加悦SL広場へ行ってきました 8
加悦鉄道、客車です。
昔の地方鉄道の雰囲気を残す車両たちですね。
ハ2
現在は残っていませんが、鉄道として存在していた頃に加悦駅の側線に留置されていた客車です。ハ6も同型ですが、私が行った頃にはもう有りませんでした。
2軸客車でクローズデッキで二重屋根、凝った引戸等、非常に特徴の多い客車です、
和歌山鉄道が大正5年に梅鉢製作所で製造した客車で、昭和18年に同型4両が日本冶金へ、その後加悦の所属になりました。
和歌山鉄道当時の同型車を牧野さんが撮られています。
「うそ!」と思うでしょうが、これなんですよ。
日本冶金時代に扉等、側板を全面的に作り変えて上の写真のようになりました。
扉は見えませんが、上記の後の扉と同じ物のようで、この時から引戸となっています。
全長の割にホイールベースは2438mmしかないのですが、改造時に3230mmに変更されています。改造前はピッチングが大きく、さぞ乗り心地が悪かったと想像されますね。
ハ10
加悦唯一のボギー客車です。
大正15年梅鉢製作所製、台枠はトラス棒ではなく、チキ300のように、アングルによって補強されています。
元は2,3等合造車でしたが、仕切りを撤去して普通のハとなっていました。
1981年撮影
近年、仕切りをきれいに再生して、ロハの時代を復元されています。
撮影2005年
綺麗な二重屋根
ハ20>ハ21
ちょっと複雑ですが、現在のハ21は元々はハ4995で、昭和10年に元の車体を撤去して丸屋根の上周りを新造して、ハ20としました。
旧車体は加悦駅構内に倉庫として残りました。
後にハ4995を復元する時に、旧車体を元のハ21に載せたため、このハ20は21に改番されました。
1977年撮影
2002年撮影、茶色に変わりました。
良い感じの客車です。
ハ21>ハ4995
ハ20(初代)と同型の客車で、元はハ4999だった客車ですが、ハ4995として原型に復する時になぜかハ21ではなくこちらの下回りを利用してハ4995としました。
この車の上周りの状態が悪かったのでしょうか。
ハ4995への改造は1970年なので、改造前の写真は撮っていませんが、改造で撤去された車体は、長い間妻板とアオリ戸を外されたト3に乗せられて倉庫となっていました。
その頃、1982年の撮影
ボロボロですね。
手前はハ2、向こうはキハ51の古い台車です。
ハ4995とした後の姿、1977年
今は2号機とともに屋根の下です。
普通のマッチ箱と思われがちですが、一般的なコンパートメントタイプのハは5区画、扉が片側5枚なんですが、この車は4区画です。
この客車は明治36年製、区分室タイプなので便所がなく、短距離用の2等車(3等時代)です。当初は官鉄ロ152、国有後の形式はロ550です。
3等車と同様な構造で、畳が敷いてあり、少し区画が広いだけのもので、便所もなく、戦争終結によって軍人の減少やボギーの基本型客車の増備に伴い、大正3年に3等車ハ4995に格下げられました。
ハ21とは軸バネの受けの構造が違っています。
フハ2
ハ20,21と編成を組むのに好適な客車、大正5年名古屋電車製、ハ20,21より低めの丸屋根で、貫通路付の妻板はありますがデッキ扉はない構造です。
昔のカラー写真は撮ってませんねぇ、白黒は山ほどあるんですが・・・
2002年撮影
真横
今回
ハブ3
明治22年ドイツのファンデル・ツィーペン製の、御料車以外では日本最古と言われている客車です。
従来讃岐鉄道の側廊下付のユニ3907(鉄道院形式)が前身と思っていましたが、現在のSL広場での表示では「九州鉄道」となっています。どうなんでしょうねぇ。
どこに原型が残っているのか、謎の客車ですが、非常に珍しい片デッキという特徴は、讃岐鉄道からのユニ3907に共通する特徴です。
今回撮影
昔のデッキはどんなだったんでしょうねぇ。
加悦の客車は各種存在して楽しいのですが、模型では、例えばハ10を5両ほど量産して1号(元鉄道院5100)で引っ張るとか面白そうです、またハ20、21などはどこの鉄道の機関車にも合うので、数両増備したい客車ですね。
何れも魅力的な車両たちです。
長々と続けてきましたが、加悦鉄道の紹介はこれくらいにしましょう。
単独の車両については、まだ大量に撮った白黒の部分写真があるので、もっと詳しく書くことも有ろうかと思います。
次は何にしよーかな。
ネタはいくらでもあるので、また古典機関車に戻りましょうかねぇ。
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