一枚の図面から 50-2 機関車編 9600 9600-9617
9600、最初のグループは1~17号、川崎造船により1913年に製造されました。
設計の陣容は、鉄道院側が工作課長島安次郎、担当は朝倉希一、川崎の太田吉松(きちまつ)がメインとなりました。
太田吉松氏は、R.F.トレビシックの2番弟子と言われていますが、9150等の図面には太田のサインがあり、一番弟子と呼ばれる森彦三のサインが入った図面は見たことがない。
神戸工場製の機関車の実質的な設計は、計算等は森がやったかもしれないけど、実際の設計は太田が担当したのではないかと思うんですよ。
川崎が森ではなく太田を招へいしたのもその証左かと思うんですよね。
川崎は飽和式の9550に続き過熱式の特許をシュミット社から購入して決定版として9600を製造しましたが、明治44年にドイツから輸入した8850の高重心のアイディアに触れて、火室の火床面積の拡大に窮していた9600をボイラを上げて、火室を動輪の上に置いて、広火室とし、火床面積も増大して新たに設計しなおしたのが、今回紹介する9600です。
この機関車の登場により、従来の9600は9580に改番されてしまいました。
実際の鉄道院の発注は、9600~9609が京都-大津間(旧線)の勾配用、9610~9617が山北-沼津間の箱根超えの勾配用としてのもので、区間が短いので、小型の炭水車となりました。
この機関車の図面は、9600としての最初の物だけですが、明細図は一部しか持っていないので、全部を掲載します。
機関車組立図、中央をテープで補修してあり、見苦しいですがご容赦ください。
第2回目の明細図に、このような図があります。
この2枚はなぜ2回目の明細図に入っているのか不明ですが、正式な組立図より後に図面番号を取っているので、量産が始まって以降に新たに書いた物とも考えられますが、正規の組立図に比べて完成度が低いので、私は計画段階の図面を残すために図面番号を取ったものかと思っています。
機関車の図面は煙突があるだけです。
この煙突は、9600~9651号までの物で、それ以降の物より2”細く、化粧カバーのくびれも大きくなっています。
次は炭水車です。2000ガロン炭水車と呼ばれています。
組立図は無いので、水槽と台枠です。
今回はここまで。
このタイプはもう一回続きます。
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コメント
こんにちは、
「運転室背面の妻板が無い」「煙突が細い」初めて知り、興味深いです。
「ダブルボギーのテンダー」は古めかしく、面白いですね。
連載楽しみにしています。
今度は大きいの自作したい・・・なあ。
投稿: みつる | 2018年2月 4日 (日) 20時46分
みつるさん
大きいのやりましょ!
私は腕が伴わないので小さいので我慢しますが、製造当時のを5種類ほど作りたいと思ってるんですがねぇ・・・
投稿: クラーケン | 2018年2月 5日 (月) 01時34分
1枚目の図「アー1」中央の補修箇所ですが、臼井茂信さんの「機関車の系譜図4」に掲載されているものと一部が同じようです。ナンバープレートの字体が同じです。
当該図はレイアウトが変更されていて、省略されているいますが、両者で補足できそうですね。
少しずつトレースを試みようと思っています。
インチ表示は苦手なんですけど・・・。
投稿: みつる | 2018年2月 6日 (火) 22時06分
みつる様
1次型の組立図は元々1枚しかないので、私が掲載したものも系譜図の図もその他の図も、全部「ア-1」のコピーです。
ですから大きさを揃えれば当然重なるはずですよ。
ただ、組立図は絶対に正確とは言えないので、詳細図や写真で確認する必要がありますよ。
投稿: クラーケン | 2018年2月 7日 (水) 01時44分