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2017年1月23日 (月)

全盛期の山陽鉄道 1

このところ、更新が滞ってますねぇ。

年末ごろからちょっとはまっているテーマが「山陽鉄道」

鉄道史料148号に、井原実氏の寄稿「山陽鉄道 明治36年1月20日 時刻改正」、
そして、151号には、「山陽鉄道 明治36年7月1日 時刻改正」が掲載されました。

この期間を見て「お!!!」と思った人は少ないでしょうねぇ。
けど、この36年1月20日から7月1日までが、正に山陽鉄道の全盛期と呼んでいい時代なんですよ。

21年の開業当初から本州発の列車トイレを設置し、早々に全車両(貨車は貫通管のみ)に真空ブレーキの装備をし、30年からの列車電灯採用、33年には日本初の蒸気暖房と、次々と新機軸を取り入れてきた山陽鉄道は、
運用面でも27年から急行列車を設定しました。28年には官鉄の京都まで乗り入れを果たし、32年三田尻(現防府)まで開通の時点で、後の特急に相当する「最急行」が設定され、同じ32年には日本初で国産の食堂車を採用し、翌33年に最初の寝台車を投入しました。
官鉄に比べてはるかに安い料金の簡易式の二等寝台や、座席料金のままで利用できる三等寝台(と称する)、それに座敷のある客車も出てきました、もちろんこれらも日本最初です。
明治34年に馬関(現下関)まで全通して当初の目的を果たし、充実した日々が始まりました。

初回は、これらの車両たちを紹介しようと思います。

32年、最初の食堂車、一等室と合造です。国有後の形式ホイシ9180
187_2
食堂は、当初は定員10人の大テーブルだったものを13人の個別席に改造しています。
左は一等室、今で言うロングシートで、3人おきにひじ掛けがある。

車内
L_2
左は製造当初の大テーブルの食堂、右は別の形式ですが、一等室は同様と思います。

34年製、一等寝台食堂車、国有後の形式イネシ9080、山陽鉄道案内(復刻)よりL

一等寝台食堂車の構造図。005_022_p020l
右から調理室、食堂(定員8)、一等寝室、車端上部は便所、下部は乗務員室、物置の順です。
以前から問題とされる一等寝室の表示方法は、右半分が夜、上側は上段寝台、下側は下段寝台、左半分が昼の状態です。

室内、どちらの写真も、片側が夜で、反対側は昼の状態。
Photo

36年製、二等寝台車、国有後の形式ロネ9130
183

二等寝台車は2形式8両のみ。
これの椅子の構造は、この資料「帝国鉄道協会会報11巻」に略図があり、研究者の間で有名ですが、これ以外何も情報がなくてよくわからなかったんです。
Photo_2

図は、上段下段共にこのような構造と書かれています。

ところが先日、私は所有の書籍等をしらみつぶしに探していたところ、写真が見つかったんです。
4
下段は向かって右側が夜の状態、上段は左が夜の状態です。
下段はまさに図の状態ですね、上段は向こうの方ですが、舟型寝台の上に何かあります、これは図のような背もたれの様にも見えます。

そこで、形式図を元に、実際の寸法を推定して図を書いてみました。
9130
客室部分に13組の寝台を書いたところ、一人分の長さが1650mm程度確保できることが分かりました。これなら、当時の日本人の身長なら問題なさそうですね。
上段は形式図の断面から高さを測ったところ、下段と同じもので成り立つことが分かりました。

36年製、三等寝台と称されるもの、資料はこの形式図のみ
223
鉄道時報では、背もたれを引き出すと、60度程度に傾き、枕も引き出せると書いています。
これは、一種のリクライニングシートのようになるのかもしれません、特別料金を取らないというのは良心的ですねぇ。
ちなみに、一般の三等車の写真を載せておきます。
901l

時刻改正関係等、続きは次回。

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コメント

はじめまして、こんにちは。

 元来客貨車が好きで、最近は木製客車の資料~ピク誌掲載の瀬古瀧雄さんの「木製客車メモランダム」なんかをぽつぽつ集めたりしています。でも瀬古さんもお亡くなりになって、木製客車の解説を出来る人が今どれだけおられるのでしょうか?

 ピク誌の1980年1月No371号に大久保邦彦さんの「絵はがき切抜帳 客車写真3」にこの山陽の2等軽便寝台車の車両の外観の一部の写真が掲げられており、解説もありますが、この軽便寝台構造が今一つよく分かりませんでした。しかしこの写真と図を見て納得しました。

 昔の(木製)客車はいいですね、重厚で気品があります。私は客車の中でも特に~ハユニが好きで、先ほどの絵はがき切抜帳のもう一つの車両解説は、元阪鶴のホハユニ8240(明43)です。まず何といっても郵便室の構造が面白く、なぜこのようなデッキ構造なのか?これも疑問でしたが、昔はみだりに郵便室に立ちれなかったとは、これも納得です。

 ピク誌の2011年10月No854にも、瀬古さんが昭和26年に東北一周旅行をされた時に、野辺地で撮影された大湊線の列車に連結されている元日鉄車改造の〔青オミ〕ホハユニ3505(写真キャプはホハユですが明らかにホハユニ)の写真が小さく掲載されていますが、これなども形式図や大きな写真があれば是非見てみたいものです。

長文失礼いたしました。

投稿: ホハユニ | 2017年5月25日 (木) 10時32分

ホハユニ様
コメントありがとうございます。
私も木造客車大好きです。
しかし、雑型と呼ばれる明治時代の客車は写真が少なく、形式図が頼りとなる面が多いのですが、瀬古さんの木製客車メモランダムや古くは木製客車通観等は重要な資料ですね。
阪鶴のホハユニは日本のボギー客車の中で最も面白い客車と言っても過言ではないですね、私も日鉄のいろ61などと共に大好きな客車の一つです。

これからも時々客車も書いていきたいと思います。

投稿: クラーケン | 2017年5月27日 (土) 00時39分

はじめまして。
山陽鉄道の2等軽便寝台について、私も色々調べましたが
どうも、ピンと来ませんでした。
リクライニングシートみたいなもの……ってのは分かったんですけど、構造上が納得できなくて。
しかし、クラーケンさんのサイトを見て、納得できました。

当時は1等・2等は今のロングシートという概念から抜け出せなかったようですね。
ロングシートから、リクライニングシートへの変換っていう発想がすごいなぁと思いました。

で、不躾ながらお願いなんですが、今回の写真等々をブログで使わさせてもらってもよろしいでしょうか?
私のブログでは、鉄道関係の話しもしてまして、ブログに挙げたいと思っているのですが……。
よろしく、お願いいたします。

https://blogs.yahoo.co.jp/kabukuwa0820 ←私のブログです

投稿: ゲバゲバ | 2017年11月 9日 (木) 22時21分

ゲバゲバさま
はじめまして。
ブログ、一部ですが見せていただきました。
震災では大変だったようですね、私も被害を受けましたが、家は大きく揺れたものの外壁が落ちた程度で今でも住んでおりますが、模型は気に入っているものほど被害が大きい状態でショックが大きかったです。

山陽鉄道の記事はご自由に流用していただいて結構ですよ。
ただし、改変はご遠慮くださいね。また、「汽車好きクラーケン」という名前を入れていただければありがたいですねぇ。

投稿: クラーケン | 2017年11月 9日 (木) 22時49分

ありがとうございます。
今回のクラーケン様の軽便寝台で、3種類の内容のブログが書けます。
チョッと内容をまとめますので、出来次第、ブログに挙げていきます。
私も鉄道ピクトリアル1980年1月号を持っており、
上記のホハユニ様と同じ状態でした。

いや~、久しぶりに嬉しい気分になりました。
ありがとうございます。
ブログ内に「汽車好きのクラーケン」は、書きますよ。

投稿: ゲバゲバ | 2017年11月10日 (金) 19時49分

ゲバゲバさま
ありがとうございます。
こういう話ができる方は珍しいので私もうれしいです。
こういうのがあるから、ブログはいいですねぇ。

投稿: クラーケン | 2017年11月10日 (金) 21時06分

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