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2014年12月

2014年12月31日 (水)

一枚の図面から 40-2 機関車編 1100とその仲間 建設用の機関車 2

先日来、ぎっくり腰になりまして、29日の忘年会に行った以外は、家の手伝いもしないでパソコンの前ばかりです。

そんなわけで・・・

建設用の機関車の続きです。

 淀川の改修工事は、前回のネィスミス・ウィルソンの機関車を使用した明治29年から途中抜けは有りますが、現在に至るまで続けられており、蒸気機関車は昭和43年まで使用されました。
 その間、最初の工事が終わった時点でネィスミス・ウィルソンの機関車は5両が他所へ転属して、残る1両は、淀川下流工事に回されて一旦機関車の使用は終わり、しばらくは小規模な工事が続くのですが、昭和14年から再び大きな工事が始まり、7両の機関車が集められました。

 その頃の内務省の機関車は、単純な番号のみや川の名前を使った物に番号を組み合わせた物等雑多な感じで、工事場所が変わっても前の名前がそのままである等、統一性を欠いたものでした。
 昭和14年からの工事の7両の機関車はそのような状態で、
鉄道史料88号記載の表の順序で行くと、
「1」号が1920年内務省千住機械工場製。
「淀2」号も同じく1920年内務省千住機械工場製。
「淀3」号は最初の工事のネィスミス・ウィルソン製の製造番号540。
「4」号は1913年大阪鉄工所製。
「淀吉5」号は吉野川の工事から転属された物で、以前 紹介した鉄道院1061号です。
「淀増3」号は淀川増補工事から転属で、製造年不詳で内務省千住機械工場製。
「信17」号は信濃川の工事から転属で、1912年内務省大河津機械工場製。
以上7両が集められました。

 内務省は戦後建設省に管轄が変わり、昭和26年頃に「淀20S1」のように番号系統が変わります。
最初の「淀」は工事事務所の名前、次の「20」は重量区分、「S」は蒸気機関車、最後の「1」は同系統の順列、となりました。

改番後は、以下の通り。
「淀20S1」は元「淀3」。
「淀20S2」は元「4」。
「淀20S3」は元「淀増3」。
「淀20S4」は不明(欠番?)。
「淀20S5」は元「信17」。
「淀20S6」は元「6」、これは元大井川鉄道6号、1923年コッペル製との事なんですが、内務省千住機械工場製に似た機関車の写真があり、この機関車は別の番号だった可能性があります。
「淀20S7」は元「淀吉5」、1061です。
元の「1」と「淀2」が消えた訳ですが、「淀20S6」の千住機械工場製の方は元「1」の特徴があり、コッペル製が他の番号になっていたとすれば両数的には戦前と同じ事になります。

 国産で増備したこのグループの機関車は他に川崎造船、日本車両、楠木製作所その他で内務省の他の工場製の物もありそうです。

 それでは各メーカー別に紹介して行こうと思いますが、金田茂裕氏が撮られた淀川の工事の物が多く、他の地域の工事関係は牧野俊介氏が撮られた旭川の工事用の機関車(後に淀川へ来たものが多い)を除けばわずかしかなく、写真は淀川の関係が多くなります。

内務省千住機械工場製
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「淀2」です。私的には鷹取工場の様な気がします。
煙室扉はボイラ中心より少し下がってるように思います、ドイツ製以外の機関車で見るのは初めてです、またドームは特徴的な末広がり、サイドタンクの水平のリベットが中央より上方に並んでいるのもこのメーカーの特徴ですね。
同じく「淀2」、改番時には廃車になってしまっていたようです。
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そして問題の「淀20S6」、牧野俊介著「岡山より汽車を求めて  下巻」P163のNo.1の写真と比べてみてください。
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次は同じく内務省大河津機械工場製。
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元「信17」、次も同じく。
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このメーカーの機関車はネィスミス・ウィルソン製のオーソドックスな部分をかなり忠実に再現していて、同じ図面で作ったんじゃないかと思えるほどよく似ています。

次は民間の大阪鉄工所製
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牧野俊介氏の写真で、旭川工事の時の写真。
この機関車もネィスミス・ウィルソン製のコピーと思えるほどですが、煙室の側面の板に継ぎ目があるのが特徴です。
次は淀川、「淀20S2」になった、「4」の時代じゃないかと思います。
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「淀20S2」
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淀川関係はこれだけで、他の河川工事で使用した1100系(20tクラス)です。

荒川改修工事で発注された川崎造船製。
竣工写真です。
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シリンダケーシングがまだ付いていませんねぇ。
荒川上流戸田、昭和13年の状態です。

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次は日本車両、石狩川向けに作っています
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これはカタログのコピーです。
組立図が「日車の車輌史 図面集 戦前産業車両」に出ています。

次は楠木製作所。
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日車と同じく、石狩川の工事の絵葉書です。

最後に淀川の「淀吉5」、元1061の現役当時、昭和15年の物を紹介ます。
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もう1枚
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このほかにもある可能性はありますが、私の手元にある資料ではこれ位です。

以上で、「1100とその仲間」は完結です。

今日は大晦日。

当ブログを見て頂いた皆様、本当にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

汽車好きクラーケン 拝

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一枚の図面から 40-1 機関車編 1100とその仲間 建設用の機関車 1

 いよいよ2014年も大晦日を迎えました。
皆さんにとって今年は良い年だったでしょうか。

 時候に関係なく、相変わらず機関車のお話しですが、1100シリーズの最後の締めくくりは、地味な工事用の機関車達です。

 このジャンルは研究者が少なく、私も不勉強なんですが、鉄道史料の88号と95~98,100号等に栗林宗人氏が書かれている記事を読ませていただき、手元にある写真を元にまとめました。

 日本の河川工事等に使用される機関車は古くは内務省、戦後は建設省の管轄で、蒸気機関車は2’6”の物と3’6”軌間の物を主として、2’軌間の物も少しあったようです。

 そのうちの3’6”軌間の機関車には大きく分けて3種類あります。
一つはこのシリーズのネィスミス・ウィルソンから輸入した機関車を始祖とするグループと、同じくイギリスのホーソーン・レスリー製のグループ、それにドイツのボリジッヒ製とそこから派生したグループです。

 この項では、最初のグループを取り上げます。
最初は、1100と同じネィスミス・ウィルソンから1898年に輸入した6両。

 1895年に始まった淀川の放水路の建設は非常に規模が大きく、初めて3’6”軌間の機関車方式が採用されました。
この機関車は組立図も竣工写真もないので、金田茂裕氏の形式図をご覧ください。
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1100によく似ていますが、弁装置はスティーブンスン式で、コールバンカー部が変わっています、連結器はバッファーと鎖です。

写真は1941年の物
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前端バリの補強が目立ちますが、あとは煙突に火の粉止めを追加した程度ですね。

次は撮影時期不詳ですが、昭和26年以前で、上の写真より前か後かわかりません。
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ちょっと上からのアングルが良いですね。

戦後の写真も見ていただきましょう。
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どちらも1951年の撮影で、サイドタンクの水漏れ対策か、当て板が痛々しいですね。

国産による追加生産の分は次回とします。

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2014年12月29日 (月)

一枚の図面から 33-3 機関車編 1100とその仲間 1100の写真追加

今回は内務省関係をまとめようと思っていたのですが、かなり難解で時間が掛りそうなので、ちょっと番外編で、1100の追加です。
 今日、このシリーズを見て頂いていた中西進一郎氏から写真を贈っていただきました。貴重な写真なので、早速発表させていただきます。

まずは1100の第2タイプ。
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どこかで・・・と思われる方も居られるかと思います。
臼井茂信著「機関車の系譜図Ⅰ」に宮田氏のよく似た写真が有りますが、この時同行されていたそうで、1100の第2タイプの数少ない写真を一緒に撮られました。

この機関車は1100になる前、1895年に陸軍省に移管されて台湾に渡り、そのまま撮影時の1969年以降まで現役だった機関車です。
色々と改造されていますが、恰好いいですねぇ。

もう1枚は、元1113号。
山陽鉄道の8号を北海道炭鉱鉄道が購入した機関車で、定山渓鉄道1113号を経て最後は北日本製紙No.1になり、1964年に廃車になりました。

これは1962年の写真です。
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サンドドームが良いですねぇ。
この機関車は1950年の島崎英一氏の写真もあります。
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色々と変わってますね。

別角度でもう1枚
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こういう改造されたのも良いかもしれませんね。

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2014年12月27日 (土)

一枚の図面から 39 機関車編 1100とその仲間 1040

 今回は、古典機関車の模型に興味がある人にとって、恐らく1100より有名な1040です。
と言っても模型に興味のない人はなぜだろうと思うでしょうねぇ。
 実は1970年代初頭に鉄道模型社というメーカーが、ただの板をへこましたエッチング板と車輪や挽物のみで構成したエッチングキットなるものを発売したからです。
このシリーズは、明治44年の8800から大正12年のD50までの大正時代の機関車シリーズと、5130や4500、2800、900、それにこの1040を加えた古典機のシリーズでした。
すぐに絶版になってしまいましたが、未だに中古市場で人気があります。

 さて、実物ですが、日本鉄道の大宮工場が1904年、5270の次に6両製造したグループで、大宮工場としては2~7号ということになりますが、最初の5270は予備部品等をかなり使ったので、実質的にはこの機関車が本格的に自製した最初と言えるかもしれません。
1100シリーズ初の国産化機関車です。

竣工写真は持っていないので、明治時代の写真です。
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もう1枚、まだ新しく、綺麗ですねぇ。
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 基本寸法は1100をベースにしていますが、動輪直径が1インチ大きく、弁装置はアメリカ形スティーブンスン式で、1100のようにシリンダは大きく傾斜して、弁室は上面です。
シリンダの傾斜に合わせてランニングボードも傾斜させているのは、同社の5500の影響を感じます。

6両はいろんな遍歴を経て戦後まで残った機関車がありますが、この写真は元1041号、雲仙鉄道2号、昭和11年の姿です。
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同じく雲仙鉄道2号、こちらは撮影年不詳です。

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 1040はこれで終わるのですが、10年後の1914年になって、九州の唐津鉄工所で常総鉄道向けに1両、1040と同型が作られました。
この機関車は1040の図面のコピーを使ってそのまま作ったといわれ、メーカーは違いますが、実質1040の増備と言えます。

1040の図面は持っていないのですが、こちらの機関車の図面があるので紹介します。
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非常に状態の悪い素材をここまで修復しました。これ以上がご勘弁。

この機関車の竣工写真と思しきものです。
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J.S.R.R.は常総鉄道のことですね。

後に口ノ津鉄道1号を経て島原鉄道と合併して、戦後の1950年まで活躍しました。
唐津鉄工所で作った蒸気機関車はこの1両のみですが、非常に良い機関車だったようです。これぞ製造所の実力ですね。

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2014年12月25日 (木)

一枚の図面から 38 機関車編 1100とその仲間 1030

まず、この写真を見て頂きましょう。

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 非常に均整のとれた英国生まれらしい機関車ですね。
反対側から見ても一部の隙もなく・・・

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1100のスティーブンスン式弁装置付きの2次タイプを元に、内側弁室にした感じで、
ちょっとしつこいですが、全くオーソドックスな機関車です。

 この機関車は、1896年に1050を輸入した中越鉄道が、イギリスのエイヴォンサイドで1898年に1両のみ作られた物を購入しました。
「製造させた」ではなく「購入した」と書いたのは、中越鉄道に入ったのが1900年で、1、2年のブランクがあるからです。

 1100とは動輪軸距離が前後入れ替わっておりますが、圧力が少し低いだけで、ほとんど同じ仕様です。
研究者の誰もが東京市役所等と同じく、1100の資料を提示して作らせたと思われておりました。

ところが・・・・

 金田茂裕氏が、イギリスから竣工写真と組立図を取り寄せてみると、間違って全然違う機関車の物が送られてきたのです。

これです。
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例によって、金田茂裕著「形式別国鉄の蒸気機関車  Ⅰ/Ⅳ」からです。

組立図
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イギリス本国によくあるタイプの産業用のサドルタンクですね(ゲージは違いますが)。

 組立図の右下、メーカー名の上に、小さな文字で、「En.No. 1391」と書かれています。
この番号は、現車の銘板に書かれていた製造番号と一致しましたので、まさにこの機関車の図面と写真と言う事になります。

 改めてよく見直した金田さんは、各部に共通点を見つけ、これこそがこの機関車の本来の姿だ!、と結論を出しました。

 最初の2枚の写真と竣工写真を比べてみてください。
 動輪のバランスウェイトが違いますが、後の写真をよく見ると、ウェイト部にリベットが見えます、これは原形の物に対して重くするように改造した表れ。
それ以外、下周りは同じですね。
 継ぎ目のあるドーム、イギリス製では普通見かけませんが、竣工写真のドームを使って継ぎ足した考えられます。その時に安全弁との相対位置を少し下げたので安全弁が飛び出しました。この構造は組立図で分かりますね。
 煙室も煙突も全く同じです。特徴的なキャブのステップ、リヤタンクも同じですね。
 砂箱は角形の物がボイラー上に乗っていますが、これは1050等も同様で、中越鉄道のオリジナルのようです。

 サドルタンクを一般的なサイドタンクにして、それに伴い運転室も作り変えたと考えれば、1、2年のブランクの期間に改造は十分に可能と思われます。

 形式5は1898年、流山のサドルも同じ1898年で、この当時サドルタンクを持った機関車は1290以外無かったと思われ、見たことがない異様な形と写って買い手が付かなかったから、一般的な形に改造をしたんじゃないかと思うんですが、全く推量です。

 たった1両ですが、中越鉄道が1920年に買収されて1030になり、1923年に阿波電気軌道(後に阿波鉄道)に払い下げられ、1933年に阿波鉄道が国有化されて、再度国鉄籍になりましたが、その時には1030と言う番号は使われていたので、形式は「ア6」で番号が1030と言う特殊な番号扱いとなりました。

 上から2枚目の写真は1937年撮影ですが、その年に廃車されました。

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2014年12月23日 (火)

一枚の図面から 37 機関車編 1100とその仲間 1060 1次

この機関車は、官鉄が1896年に、バラストエンジン(1100クラス)の増備としてシャープ・ステュウアトに2両製造させたものです。

1060と言えば6120をタンク機関車に改造した物が有名ですが、こちらはそれが出来る前の形式です。

形態的には1100の第1タイプを元としていますが、前回紹介した1892年に東京市役所が購入したベイヤー・ピーコック製の機関車とうり二つです。

1896年と言えば、1100の第3タイプが出来ておりますが、当時第3タイプは山陽鉄道と京都鉄道、そして官鉄に1両来ていますが、これは元来陸軍の注文で官鉄が引き取った機関車なので、官鉄としてのこのタイプの設計は、1100の1,2タイプと、上記東京市役所の機関車のみで、東京市役所のタイプが最新の設計と言う事になります。
なお、前回書くのを忘れましたが、東京市役所発注の機関車は官鉄が設計等を行ったと思うので、それと同じ図面をシャープ・ステュウアトに渡すことは容易なので、同じ物を作った可能性は高いと思われます。

とはいえ、図面自体はシャープ・ステュウアトが書いているので、全く同じかどうか・・・
この図面と前回の物の図面を詳細に比べてみるのも面白いと思います。

今回の1060の図面です。
Sharp_stewart_1060_400_250

ボロボロですねぇ、120年近く前の図面なので、残ってるだけでも良しとしましょうね。
いつもはもっと綺麗にするのですが、ここまで良い感じの図面を綺麗にしてしまうのももったいないので、たいした修復をしないままとしました。
たまには実際の図面の雰囲気を見てもらうのもいいと思います。

シリンダを傾斜させてジョイ式のバルブギヤーは結局1100最初の仕様ですが、1100の2次のスティーブンスン式はバラストエンジンには向かないと考えたのかも知れませんね、ただし、最後に紹介する内務省の機関車はスティーブンスン式なので関係ないのかも知れませんが・・・

この機関車の竣工写真です。この写真は金田茂裕著「日本蒸気機関車史  官設鉄道編」からです。
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塗装の違いでしょうが、ベイヤー・ピーコック製の機関車とは違うように見えますねぇ。

明治の姿。
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戦後の建設省時代、汽車会社構内での写真です。
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もう1枚
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実際にはランニングボードやカバーが付くのですが、
ジョイ式は、モーションプレート後部の扇形滑の中を滑り子が常に動くので、このようにオープンになることはないので、整備中の貴重なショットですね。

河川改修工事で活躍する姿は最後の項で紹介しようと思います。

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2014年12月21日 (日)

一枚の図面から 36 機関車編 1100とその仲間 鉄道庁I形と東武A1形

1888年のドゥブス製に続いて、東京市役所が淀橋浄水場工事のために、1892年に2両ベイヤー・ピーコック社に発注された機関車は、1100の第1タイプの資料を提示されて設計されたようです。
外観的には一見よく似ているように感じますが、キャブの窓の構造が同メーカーの3200に似ていて、このメーカーの特徴が表れているように思います。

この機関車はメーカーの組立図があります。
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弁装置はオリジナルと同じジョイ式で、日本に来たこのメーカー製の機関車で唯一です。
ランニングボード上は弁装置の干渉を避けるため、1100の第1タイプに似た感じですが、1100とは違う点が多く、概略の資料を示されただけで設計はこのメーカーの独自の物のようです。

竣工写真です。例によって金田茂裕著「形式別国鉄の蒸気機関車  Ⅱ/Ⅳ」からです。
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明治時代の写真です。
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この写真は1898年(明治31年)発行の「日本鉄道紀要」という、恐らく日本最初の鉄道写真集と言える物に載っている写真です。

この2両の機関車は1894年の工事終了に伴って、帝国鉄道庁(当時の官鉄)に移管され、Ⅰ形166,167号となりました。この写真はその当時の物ですが、1896年には陸軍に移管され、台湾に渡り、1936年に廃車となりました。
そのため、鉄道院の形式は与えられませんでした。

この機関車の6年後の1898年、東武鉄道が開業時の工事用として同型を2両購入します。
形式番号はA1形1,2号です。

上記の組立図の日付は1892年となっていますが、この機関車は同じ図面で作られたと言われており、現在の所、相違点は見つけられていません。

この機関車の図面は非常にきれいな形で清書されたものがあります。

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どうです?

本当に綺麗な図面ですねぇ。こんな図面を書けたら良いですね。
この図面は、石島治久著「図面資料集成 東武鉄道の蒸気機関車」に掲載されています。
東武鉄道の難解な蒸気機関車を調べ上げ、全てオリジナルの非常にきれいな図面集として、2012年に発刊されました。
有名な「ピーテン」や、アメリカンのD1、佐野鉄道の小型機や保存されている1号機からC11まで、多彩な図面集で、原典が明記され、資料が少ない機関車も多くの人たちの協力により、写真等から丁寧に考察されていて、現在で最も正確な図面集と言えます。

図面は全て1/64に統一されて迫力ある物となっています。
つい最近、オンデマンド版として、1/80のサイズとした[1/80縮尺改訂版]が発刊されました。
模型作りにはこちらの方が有用かもしれませんね。

Amazonでは、1/64の方は「大型本」、1/80の方は「オンデマンド」の方でどちらも購入可能です。

ちょっと宣伝を入れてしまいましたが、こういう本は元々採算性が薄く、少しでも売れればと思い、勝手に宣伝させてもらいました。

さて、この機関車の写真です。

先ずは東武鉄道時代の1号
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同じく、工事列車を牽く2号
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元来工事用として購入された機関車なので、こういう列車が一番似合う訳ですね。
工事用とはいえ、ドームや煙突のキャップはピカピカに磨きだされているのは、この機関車が非常に大事に扱われていた事を感じますねぇ。

この2号は後に南越鉄道の2号になり、福武鉄道(福井鉄道)となりましたが、南越鉄道時代の昭和14年の写真です。
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原形を崩していませんね。

1100シリーズの模型を作る時、ぜひ加えたい機関車です。







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2014年12月19日 (金)

一枚の図面から 35 機関車編 1100とその仲間 1150 1次

1150と言えば、2Bテンダ6300改造の物が有名ですが、こちらは初代1150、1896年に西成鉄道発注でドゥブスで作られた機関車です。

関西鉄道が1888年に同メーカで作らせた、1270とは非常によく似た機関車で、
外観的には弁装置がジョイ式に変わったのと、それに関連してシリンダ周りやランニングボード上部が変わった、そしてサイドタンクのリベットが減っている程度で、大きな差がない機関車です。

先ず組立図。
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外観的には1270も同様ですが、端バリ間の寸法等に差がありますので、ご注意ください。

竣工写真、金田茂裕著「形式別国鉄の蒸気機関車  Ⅰ/Ⅳ」からです。
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工事用に使うにはもったいないような端正な姿ですね。
前回の1270と比べてみてください。

明治時代の姿。
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サイドタンク中央部にリベットがないのできれいですねぇ。

次は国有後の絵葉書。
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1150のうち3両は佐久鉄道に払い下げられ、そのうち2両が笠原鉄道に移動します。
そこでの写真、笠原鉄道1号です、1937年の撮影
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笠原鉄道2号、同じ時の写真です。
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どちらもリヤータンクが改造されていますが、形が異なっていますね。
それ以外では砂箱がランニングボード上からボイラ上部に移った程度で、端正な姿を保っています。

1100と共に、ぜひ模型化したい機関車ですね。

次回は、鉄道院に入らなかったグループです。

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2014年12月17日 (水)

一枚の図面から 34 機関車編 1100とその仲間 1270

ネィスミス・ウィルスンの1100クラスが登場してから2年後の1888年と翌年、関西鉄道がドゥブスに2両作らせた機関車は、恐らく1100の仕様等を提示して作られたと想定される、非常によく似た機関車です。

あまり有名ではないこの機関車は、関西鉄道でNo.1,2を名乗りましたが、購入して間もない1900年に2両とも売却してしまいます。

No.1は七尾鉄道へ行き、1907年に国有化されて1270を名乗ります。
No.2は近江鉄道から上武鉄道へ行き、国有化されなかったので、1270という形式は、唯1両と言う事になります。

「一枚の図面から」と言いながら、この機関車の組立図は持っていませんので、写真を紹介します。

まず、竣工写真。これは、金田茂裕著「形式別国鉄の蒸気機関車  Ⅰ/Ⅳ」から
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外観的には1100の第1のタイプに似ていますが、ドゥブスの匂いプンプンですね。
ネィスミス・ウィルスン製に比べて、個性の少ない端正なデザインです。

シリンダが水平なので、ランニングボード上のカバー等が不要になって、すっきりまとまっていますが、
シリンダが下がっているため、工事用に使ったらクロスヘッド下部と下側のスライドバーの摩耗が懸念されます。
弁装置がワルシャート式に変わっていますが、ジョイ式同様工事用として外部からのメンテナンスの便の良さで採用したのではないかと思います。

関西鉄道No.1の1270になった機関車はこの写真のみで、No.2の方は後の写真があります。
上武鉄道時代、ほぼ原形のままですが、バランスウェイトが大きくなっています。
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末期の室蘭埠頭に居た頃。
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この機関車の、7,8年後に、西成鉄道が同メーカーに非常によく似た機関車を注文します。

その機関車は次回に。

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2014年12月15日 (月)

一枚の図面から 33-2 機関車編 1100とその仲間 1100のグループ 2

1100の第3のグループは、1888年山陽鉄道の注文が最初で、弁装置が再びジョイ式に戻りました。

工事用に使っていたので、弁装置に不具合があっても、現場で外観から確認できるのがメリットと言う事でしょうか?。

このタイプは組立図は持っておりませんが、ブレーキ部分に異なる部分がありますが、それ以外が同様と思われる1898年製の河陽鉄道向けの機関車の大阪鉄道による図面があります。
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この図面は、別府鉄道3号の時に載せたものですが、少し見やすくしています。

さて、鉄道院1100に戻ります。
3次形最初の3両の山陽鉄道8号の竣工写真です。
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この機関車は山陽鉄道8号から、北海道炭鉱鉄道18を経て1113号になったものです。
2次形で上に上がったランニングボードはサイドタンクまでまっすぐに伸びる形となりました。デコボコしている1次形に比べてずいぶん洗練されたデザインに感じます。

この機関車は北海道に行ってだいぶ形が変わりました。
僚機の北海道炭鉱鉄道17号です。
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上写真の18号も同じような感じだったんじゃないかと思いますが、イギリス製機関車の北海道仕様って珍しいですね。

この3両の後、1894年に京都鉄道の注文によるものですが、そのうちの1両は陸軍により台湾に行きました。
京都鉄道に残った機関庫です。
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のちに1111号になりました。

次の1895年製は陸軍が注文したが流れてしまったものを官鉄が引き取った機関車で、上記の機関車とはクロスヘッドの動きで作動するフィードポンプが装備されなかった程度の差です。

次の1896年製は北越鉄道と、中越鉄道、中国鉄道の注文による8両で、上記の機関車と実質同じと思われますが、北越鉄道の物は明治40年の国有法によって国有化されたので1100形1109,1110になりましたが、中越鉄道と中国鉄道は国有化の時期が異なるので、中越鉄道のは1050、中国鉄道のは1220と別の形式になりました。
中越鉄道1から1050になった機関車は別府鉄道3号となりました。その当時の写真です。
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中越鉄道3から1052を経て電気化学青梅の1号となった機関車が富山県砺波市に保存されていて、ここここに詳細写真を載せていますので興味がありましたらご覧ください。
中国鉄道の機関車、明治時代の写真です。
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1898年製河陽鉄道の機関車はトップに載せた図面の機関車で、蒸気ブレーキを持っていますが、そのシリンダは取り付けに苦労したらしく、第3動輪後部に斜めに付けられていて、台枠の形も少し変わっています。
河陽鉄道の機関車は1,2号はそのまま残って大阪鉄道になってそのままでしたが、3号のみ阪鶴、日本を経て国有化され1105になりましたが、のちに阿南鉄道に払い下げられてそれが国有化されて、今度は1220形1220号になりました。その時の写真です。
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3次形の変形と呼ぶべきものは、1897年製の豊川鉄道の1~4号で、水タンク容量を大きくしたので、サイドタンクの高さが大きくなり、キャブの窓が扁平になり、後部端バリまでの距離が伸びています。
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この写真は名古屋鉄道13で、元豊川鉄道3号です。

僚機のうち、豊川鉄道1号と4号はのちに国有化されて1280になりました。

このシリーズのネィスミス・ウィルスンの機関車はこの他に内務省の工事用の機関車がありますが、このシリーズの最後に載せようかと思っています。

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2014年12月11日 (木)

一枚の図面から 33-1 機関車編 1100とその仲間 1100のグループ 1

9月のアプト式の機関車以来、久しぶりに実物の機関車の紹介をしましょう。

数ある国鉄系の機関車で、最も愛らしいグループと言えば、
1100に代表される、バラストエンジンと呼ばれる機関車ではないでしょうか。

イギリスのネィスミス・ウィルスンで、1886年から製造された、端バリ間6mほどの小さい動輪のC型タンク機関車です。

この機関車は大きく分けて5種類あります。

先ず最初の1両、1886年製は、このグループすべてのベースとなる機関車。
金田茂裕著「ネイスミス・ウィルスンの機関車」から、竣工写真です。
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全体に白っぽい感じですが、これは、この写真を撮るためにグレー系で塗装されたもので、この状態を「ショップグレー」と呼ばれていたと聞いたことがあります。

この機関車の組立図は有りませんので、写真をもう1枚。
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弁装置はジョイ式で、スライドバルブがシリンダの上にあり、バルブギヤも逃げるため、ランニングボード上にカバーが出っ張っています。
輸入は官鉄ですが、日本鉄道の建設用に使用され、日本鉄道分離後はその22号になりました。
国有後は1100形1106号になりました。

この機関車の増備は、1886,1887年に6両つくられ、弁装置がスティーブンスン式に変わりました。
イギリス製の機関車は弁室を台枠の内側に置くことが多いのですが、この機関車は上記の物と同様に弁室をシリンダの上に置いたので、本来ならランニングボードから飛び出すのですが、この機関車はランニングボードを優雅にカーブさせて逃がしています。
この機関車の大きな魅力ですね。

この機関車の竣工写真も金田茂裕著「ネイスミス・ウィルスンの機関車」からです。
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私はこのタイプが一番好きですねぇ。

このタイプは組立図があります。
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これらの写真は同じ機関車で、官鉄の87号は日本鉄道分離後の1894年の改番で官鉄のまま63号になりました。キャブの開口が小さいですが、改造によると思われます。
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この機関車は1102号を経て、調子遊覧鉄道1号から、最後は八幡製鉄200号になりました。
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最早別の機関車のようですね。

3次型以降は次回とします。

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2014年12月 9日 (火)

キットの製作 オハ32000(31)系の製作 22

週末ちょっとバタバタしていて更新が遅れました。

屋根の延長はまだ続いていますが、妻を付ける前に扉の取っ手を付けました。
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左が一般車の開き戸、右は荷物室の引き戸です。

エコーの取っ手ですが、本当は一般用は形が違いますがこれしか見つけられなかったので、肉眼では判別不能と言う事で、これで行っちゃいます。

窓桟が曲がってますねぇ、細かいゴミも付いてる、写真を撮るといろんなことが見えてきて、アラも目立ちます。

実際は屋根の延長をしてるので、今回はこれだけです。

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2014年12月 5日 (金)

キットの製作 オハ32000(31)系の製作 21

オハ32000、妻板を取り付ける前の作業です。

まず、屋根の延長です。

側扉をちゃんとした物に交換したことによって、片側伸びた分だけ、屋根を延長する必要があります。
屋根の事を考えて本来10mm幅の扉を9.4mmにしたので、延長分は0.4mmで良いのですが、調整代も考えて1mm角線を適当に曲げて半田付けします。
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それを仕上げるとこんな感じ。
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下屋根端部も削れていますが、この後0.6mm程度短くなるので問題なしです。

角線の曲げの合わせが意外に大変で・・・

これから残り9両をやらなければ・・・・まともなキットならこんなことしなくて良いのになぁー

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2014年12月 3日 (水)

キットの製作 オハ32000(31)系の製作 20

オハ32000、今回から妻板の取付準備です。

前回のブログにコメントを頂きましたが、妻の貫通路が本来10.75mmなのに8.3mmしかなく、貫通幌を付けた場合幌の内側に見えてしまう事が分かりました。
管通路の裏側に厚み表現をしてしまったので、今さらやり直す気にならず・・・・

荷物室の貫通路は扉があり、その開口は大体合っていますが、本来あるべき段差も扉を外さなければ表現できないので、ここは幌なしで、と考えていたのはダメになりました。

本当に何から何まで全部測定しなければいけないのかもしれませんね。
初めから自作していればこんな事にはならないと思うのですがねぇ・・・・

まぁ愚痴はほどほどにして工作を進めます。

妻板を車体に取付ける前に、妻に付くディテールを付けます。

先ずは穴あけと切欠き。
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元々埋め込みタイプの尾灯のために穴が開いているのですが、初期は妻下部の尾灯掛けに引っ掛けていましたので、元の穴はふさぐ必要があります。
穴はプレスで抜いていて、表面側の穴の縁が変形しているので、1.8のドリルで広げます。
新規に付く尾灯は左側だけにするので、下部にロスト製の尾灯を差し込む穴を開けます。
尾灯が付かないところは、下部に0.5mm幅の切り込みを入れます。

φ1.8の線材を埋め込んで穴埋め。
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ロストパーツの取付。

普通車。下端に合わせて取付
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荷物室側。穴埋め部の仕上げとロストパーツの取付。
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これを20枚。
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ふぅー疲れた。

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2014年12月 1日 (月)

キットの製作 オハ32000(31)系の製作 19

上屋根の取り付けは結構しんどくて、1週間ほどかかりました。

けど、上屋根が付くと俄然それらしくなってきますね。

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先はまだまだですが、次はいよいよ妻板を取り付ける工程です。

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