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2014年9月

2014年9月30日 (火)

キットの製作 オハ32000(31)系の製作 6

今回は、内妻の引き戸の窓からです。

前回の最後で書いたように、元の側開戸を使った物ですが、窓枠が不要なのと、窓の上のラインが少し低いので、それらを含めて、窓を切り広げます。
1409291l

数が多いので、わずかな加工でも、結構大変で、指が疲れました。

デッキは一旦置いて、全体の構成の確認もあるので、側板の改造に移ります。

珊瑚製の側板は、前にも記したように高さが低いので、t0.3x0.8の帯板を上部に継ぎ足します。
1409292l

写真の下側は半田付けしただけの状態、この上に雨トイが付くので、綺麗にキサゲます。写真上部がキサゲた状態。

エッチング車体の板厚と帯板の板厚はほぼ同じですが、わずかな段差が出来ます。
継ぎ足し部の詳細。
1409293l

デッキ部は側板が曲がってて、裏側に段差が付いていますが、雨トイを付けるときにちゃんとさせます。

これも枚数が多くて・・・キサゲ作業等は手が疲れますねぇ。

今回はここまで。

なんか飽きてきたので、浮気に走りそう・・・・と言っても図面を書いたり・・・ですが。

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2014年9月28日 (日)

キットの製作 オハ32000(31)系の製作 5

デッキの工作の続きです。

前回切り抜いた内妻板の扉の開口上部にカモイを付けます。

実物は少々複雑な断面をしていますが、簡単に0.7x0.3の帯板を使います。
1409271l

端は見えないので、長さは適当です。

この後、仕切扉を付けます。
1409272l

右は篠原(きがらや)製。
本当の仕切扉は窓が少し大きいのですが、代用品なので我慢します。

窓枠はこの後切り抜きます。

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2014年9月26日 (金)

キットの製作 オハ32000(31)系の製作 4

キットのあまりの酷さに組み立てた分も元に戻し、気分は完全に萎えてしまいましたが、ブログで一旦始めてしまうとやめる訳には行きませんねぇ。

再製作にあたって、今回はちょっとは手を入れるので、実物資料を見て、各部の構造を検証します・・・・と言っても、従来の私の標準仕様がベースなんですが・・・・

再製作もデッキから。

妻側から見える、内妻の扉を付けるために、内妻板を切り抜きます。
14092511l

左下は、珊瑚の一般用、左上は、荷物室と、荷物車の車掌室用、右側は篠原製です。
全部で24枚、多いので手が疲れますねぇ。

次は、扉、これは使わなくなった元の側扉を使います。14092512l


側扉の妻側の折り曲げは切ってしまって、扉と面一に仕上げます。
窓桟は不要ですが、カットは後ほど。

今回はここまでです。

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2014年9月23日 (火)

一枚の図面から 32 機関車編 アプトの機関車 10040(ED41)

長らく続けて来ましたアプトの機関車も今回で終わりです。

ED40はオリジナルの資料が全くなく、ED42も鉄道史料77号に図面があって、それ以上の資料はありませんので今回は割愛します。

10040(ED41)は資料が少なく、鉄道史料75号に多くの資料が発表されましたが、組立図は計画図と思われるもので、実際のイメージとは違ったものでした。

今年になって新たに知り合いになった方から、この機関車の組立図を頂いたのですが、大変苦労して入手された図面で、この場で発表させて頂くのは無理だろうと思っていたのですが、先日、「公表しても良い」と許可を頂きましたので、ここの発表させていただきます。

大変貴重な図面ですので、内緒でお願いしますよ。(笑)

この機関車についての詳細は、EC40同様、小林正義著「RM LIBRARY 148 国鉄アプト式電気機関車(中) 」で非常に詳しく解説されていますので、ぜひ、そちらを参照して頂きたいと思います。

この場では説明の必要もないので、さっそく図面を載せます。
Ed41_12lhw

元々は非常に大きい図面だったようで、青焼図のコピーのネガポジ反転です。
折り目が非常に多くて、線が消えているなど少々見にくいですが、元々の青焼図の時のクォリティだと思われます。
この図の左側が、横川向きで、蒸気機関車と同じく下り勾配に向いて走り、反対側には運転室が無く、バック運転は、左側の運転室が車体より幅が広いので、その段差の所の窓からのぞくようになっています。まぁ通常は窓から顔を出して運転していたのでしょうね。

上図は、左右2枚に分割されていたものですので、念のため、合成前も載せておきます。
Ed41_12_1lhw

Ed41_12_2lhw

ネガポジ反転ですので、一部に黒縁が残ってしまいましたがご容赦ください。

そして断面。
Ed41_22lhw

この機関車は、RM LIBRARY 148 国鉄アプト式電気機関車(中) と鉄道史料75号等に非常に詳しい説明があるので、ここでのコメントは差し控えさせていただきます。

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2014年9月18日 (木)

一枚の図面から 31 機関車編 アプトの機関車 10000(EC40)

 急勾配と26ものトンネルでの過酷な環境から離脱するためには蒸気機関車では限界と考えられたため、鉄道院では初めての電気機関車による運転を決断しました。

 それまで、一部電車区間の電化や、工事用での電気機関車の使用はありましたが、幹線で電気機関車による運転は鉄道院では初めての事で、既存のトンネル等の掘り下げ等が出来ないため、3線軌条の600Vが採用されました。

 最初に用意された電気機関車は、ドイツのアルゲマイネが電気品を担当し、機械部分は3900と同じエスリンゲンが製造して、1911年(明治44年)と1912年に到着しました。両数は12両です。

 この機関車に関しては、小林正義著「RM LIBRARY 147 国鉄アプト式電気機関車(上) 」で非常に詳しく解説されていますので、ぜひ、そちらを参照して頂きたいと思います。

 私も数葉の図面を載せて頂きましたが、それ以降新たに入手した図面その他を公開して、上著の補足とさせていただきたいと思います。

先ず組立図、明細図からの物なので、鉄道史料102号所載の物と元は同じと思いますが・・・
Ec40_l
 粘着用とピニオン用、巨大な210kwのモーターが各1台搭載されています。減速は1段減速で、車輪やピニオンにはロッドで伝達します。

私が持っている、「LOKOMOTIVEN DER MASCHINENFABRIC ESSLINGEN」と言う本に、この機関車が載っています。
Ec40lokomotiven_der_maschinenfabric
竣工の記念写真ですね。ポールが図面と逆向きになっています。

もう1枚は碓氷峠での走行写真、この箱型ボギーが連なった編成は、本等では見たことがありません。
Ec40lokomotiven_der_maschinenfabr_2

部分図です。

図面名称は分かりませんが、バネ及駆動装置です。
Ec40_l_3

歯車駆動装置、前後の動軸に3点支持で乗っています。

Ec40_l_6
次はピニオン
Ec40_l_4
動輪
Ec40_l_7
ブレーキ装置
Ec40_1l
ブレーキ装置、もう1枚
Ec40_2l
そして集電装置です。
Ec40_l_8
EC40は、1,2号機が後に、ラック関係機器を撤去して、京福電鉄に譲渡されました。
その時の図面です。
511_l
組立図の必要個所のみをトレースした図面と思われますが、非常にすっきりとした感じですね。
実際は図面左側のボンネットが撤去されて就役しています。

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2014年9月15日 (月)

一枚の図面から 30 機関車編 アプトの機関車 3980-5

長らく続けてきました3980も今回までです。

 3980の最後の2両は、長らく写真が発表されませんでしたが、レイル31号のP111に突然発表されました。
お持ちの方は是非ご覧ください。

 その写真は驚くべきもので、ボイラ前頭部が明らかに前上がりになっていると言う物です。
 これは初回に掲載した、勾配の下り方に頭を向けた場合にボイラが水平に近くなり、初回に私が書いた疑問が全て解消します。

 今回、この文を書くに当たり、所有されてる方に画像を送って頂いたのですが、非常にドットが荒くて、とても掲載できるものではありませんでしたので、少しはましなレイル31号の写真のコピーを、お叱り覚悟で掲載します。絶対に必要な写真ですので、事後承諾になりますが、どうかお許しください。

6039851923000031_1l_2

 この写真は真横に見えますが、少し後ろから撮影なので、サイドタンクが前すぼまりになっていますので、分かりやすいよう、サイドタンク上部に付いている手摺が水平になるよう画像を少し回転しています。
ですから、画像のサイドタンク上縁を画面の下のラインに合わせればボイラの傾斜は一目瞭然です。

もう1枚は斜め前から。

6039851923000031_2l

 これまでの3980-3983に比べて、明らかに煙室が高くなっています。
そして煙室前板はサイドタンクと一体になっているように見えますので、ここは垂直になってますね。

これら2枚の写真を不鮮明ながら、拡大コピーし、補助線を入れてみました。
39851l

 煙室も火室も上面は傾斜していて、両者は平行のようです、火室はベルペイア式なので、高く見えますが、これは以前説明したとおりカメラの位置のせいです。
 ボイラ前部は他の物と同様、煙室上縁の線に対して前が下がっています。
 サイドタンク下部の切欠きにボイラケーシング下部らしき線が見えますが、ボイラケーシングの線と特定するには暗いし不鮮明でもあるので、ここは考慮に入れません。
 煙突は前に配管があって線が特定できませんが、他のドーム類とともに縦の線を延長したところ、煙突、ドーム、重油タンクとも垂直であることが分かりますね。
 重油タンクの上縁も水平のように見えますが、運転室の屋根とは少し角度が付いているようにも見えるので、実際に角度が付いているのか、レンズの収差によるものか判断が付きません。
 それに対して、安全弁はボイラの傾きに応じた角度が付いているようです。
 運転室と火室の高さ関係は、他の機関車と同じように見えますので、火室底部が基準でボイラ全体を回転させたんじゃないかと思います。

 3982,3983の製造の次の年の完成なので、大きな設計変更ではないと考えられますので、ボイラ自体に変更はなく、台枠に対する取付方法に変更が加えられた物と推察します。
 ドームや煙突は裾の傾斜を変えるだけ、蒸気ドーム内部の蒸気溜はボイラに直角に付いて傾いている可能性があると思いますが・・・、重油タンクはボイラに取り付ける金具の変更で対応できます。
 前は高くなるので、シリンダ鋳物の上部を延長する形になり、木型を改造する程度で対応できますし、モーションプレート等のボイラの受けは板の寸法を変える程度、火室部の台枠との接続もスライド式の受けを変更すれば済みます。
 煙室前面は垂直なのでボイラとは傾きますが、過熱装置等が有るわけじゃないので特に問題はないと考えられます。
 当然内火室と煙室の管板はボイラに対して垂直で、ボイラをさわらなければ意外に簡単に変更できると思います。

もう1枚も
39852l

 こちらは、不鮮明な小さな点の明るさの違いで煙室扉の楕円を書いてみました。
中心にはハンドルがあって特定できるので、大体合ってると思います。
この図のサイドタンク前面の上縁の線と、煙室の高さ関係で比率計算をして煙室前部の高さを決めました。

以上を踏まえて、3980-3983の形式図を元に作成したものがこれです。
39843985_20140906
 ボイラは火室後部で台枠の受けに接する部分を回転の基準としました。
ここを基準にすれば、台枠の変更が最も少ないと考えられるので。
 煙室前面の高さを写真から割り出した高さとして図面を書くと上記のようになります。
ボイラの勾配は、1/30。平坦線と最急こう配の真ん中の値となりました。
ですが、真横に近い写真の角度はもう少しきついので、本当に角度がきついのか、レンズのせいかは分かりませんが、運転室と煙室前部の高さからは図の角度で良いのではないかと思っています。

 この図の上部、1/15の勾配上では、ボイラが傾斜した分、内火室の上板が水平になりません。この部分だけは設計変更した可能性は十分に考えられますが、全く資料がありませんので、不明ですね。

 以上がこの機関車に対する私なりの結論なんですが、
初回に戻って、「汽車会社蒸気機関車製造史」の、「外国製はいずれもボイラを水平に設置していたが、当社製は水平線上にある時は1/15の傾斜をもって煙室側が低くなっている」という一文は、「煙室側が高くなっている」との間違いと言う事であれば辻褄が合います。
 また、同書に掲載されている形式図のボイラが水平であることも、当初の4両がこの水平タイプで、最後の2両のみ文に有るように傾斜していると言う事で、しっくりと来るように思います。

 今までは、組立図や写真等の発見により、従来の研究に対する変更点が出てきたものですが、今回の3980に関しては、3920,3950の組立図が入手できたとはいえ、私のオリジナルの考えの上に立つ研究結果ですので、各人各様で意見が出てしかるべきと思いますし、私の考えは、不明点な点は不明ですので、あくまで私の想像によるものです。
 この私の研究結果に囚われることなく、自由に考察を楽しまれて、議論が高まることを願います。 

 そして、先入観にとらわれることなく資料に向かい、あくまで事実のみを真摯に受け入れ、不明な個所は不明として、自分の想像を押し付けることなく「こういう考えもある」という姿勢で議論して頂きたいと思います。

 今回の検証は、故金田茂裕氏の著作に対する冒涜のように思われる方が居られるかと思いますが、近藤一郎氏が著作で書いてられるように、金田氏は真摯に事実に向かわれる人で、事実の探求の前には地位やプライドは全く関係なく、私の様な若輩者の意見も何ら先入観なしに聞いてくれて、間違いにははっきりと対応される、と思います。
 
 

 私の考えを議論の末納得頂いた銕騎さんとともに、この一文を金田茂裕氏に捧げたいと思います。

たった1形式の事に付き、長文で大変失礼いたしました。
これを機会に、鉄道史研究に興味をもたれる方が1人でも増える事を願っております。

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2014年9月13日 (土)

一枚の図面から 30 機関車編 アプトの機関車 3980-4

3980は2両づつ製造されたようで、3980と3981、3982と3983、3984と3985はそれぞれが同型のようですが、グループにより違いがあります。

 この機関車は、製造が遅れたために巨額の延滞金を支払ったそうで、鉄道院からは、早期製造を厳しく要求されていたようです。
 発注目的は、日露戦争で、海外からの輸入が途絶えるためと思われますが、日露戦争は1904年2月から1905年9月で、発注はこの間と言えると思いますが、最初の完成が1906年(明治39年)と言う事は、受注から最初の機関車の完成まで1,2年掛かっていることになり、当時の汽車会社の設計、製造能力がまだ未発達だったことが見て取れます。
 
 

 最初の機関車が完成した時はもう日露戦争も終わってしまい、機関車の輸入も問題なくなって、1908年に3900が3両、3950が4両追加で輸入されています。
 3982,3983は1908年製、最終の3984,3985は1909年製なので、製造能力を考えると、3982,3983が継続製造、3984,3985は上記輸入機関車と同時発注だったのかもしれませんね。

それを踏まえて、という訳でもないのですが、3982と3983について考えます。

 この2両は写真が少なく、3983のみを2枚しか見たことがありません。1枚は絵葉書で、もう一枚はベイヤーピーコック社の社内誌ですが、提供者から掲載の許可が頂けませんでしたので、絵葉書の画像を載せます。
3983l_2

 前の513号(3981)の写真に比べ、前寄りからの撮影で、カメラの高さも少し上のようです。

 煙室前部の高さや、サイドタンクの上に見える火室の状態等を見ると、ボイラ自体の傾斜等は3980,3981と変わりはないように思います。
 煙室前板は3980,3981がサイドタンクと別体だったものが、3950と同じように、一枚板になっています。
 こちら側のサイドタンクの上に、運転室からサイドタンク前まで、2本の帯板状のレバーがあって、サイドタンク前の縦軸が回転するようになっています。
これは何でしょうね、ドレンコック操作用(粘着とピニオン)位しか思いつきませんが、何か特殊な機構の可能性もありますが、そうなると、この2両から追加された機能の可能性もありますね。
 3980,3981にあった、同じく、運転室から煙突後ろまでの配管らしき物(反圧制動用?)もレバーの向こうにちらっと見えるので、こちら側のサイドタンク上部はにぎやかですね。
前の写真もそうですが、ワルシャート式のバルブギヤー、それにシリンダや先輪の軸箱、メカニカルな感じでいいですね。

3980,3981とは、細かな変更程度で基本設計の変更はないと思いますが、次の3984,3985は大きく変わりますが、それは次回です。

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2014年9月11日 (木)

一枚の図面から 30 機関車編 アプトの機関車 3980-3

 1回目で書いたように、「前下がり」には、根本的な矛盾点があります。
そして、2回目で検証したように、前下がりはわずかで、ほとんど効果なしと言う事。
しかし、ボイラケーシング上部は明らかに前下がり。

 以上を考えると、ボイラは火室前面からゆるいエクステンデッドワゴントップ(ボイラ頂部のみ勾配が付いている)と考えるのが普通ですが、工作が大変で、この程度の勾配で効果はあるのか。

 ボイラ頂部の傾きは、一応ワゴントップとして考えると、ボイラが前下がりと言うのは消えてしまい、普通の水平ボイラと言う事になります。

もう一つの問題は、3950と3980は伝熱面積が誤差程度の1.3%ほぼ同じと考えると、ボイラがワゴントップと言う事は、後部が太くなっていなくてはならないと言う事。

この段階まで私とずっと論議を交わしていた銕騎さんが、水平ボイラの形式図を書いてくれました。
39803981l
 これは、金田さんが書かれた形式図集で3982-3985の4両に対する図を元に改良を加えた物です。煙室前部が3982,3983と違っているので3980,3981に対するものです。

この図では、とりあえず水平ボイラで、ワゴントップにはしていません。

 しかし、実際のところ、ワゴントップの必要性はどこにあるのでしょう?
ボイラ効率的には、高温の火室付近の容積を大きく、比較的低温のボイラ先端部の容積を小さくするのは、重量面も含めた効果はある程度期待できますが、この機関車の場合、重量は巨大なサイドタンクを小さくすれば良いので問題なく、わずかな勾配のワゴントップはボイラ効率面のわずかなメリットより、ロールベンダーで丸められない事や、板取等の作業上のデメリットが大きく、当時の汽車会社では、まだワゴントップの機関車を作ったことがないという事もあり、私としてはワゴントップではないと思っています。

では、ボイラ上部の勾配は何か。

 それを解明する試みとして、銕騎さんから、上記図面のCADデータを頂きましたので、
この図の元(金田さんの図)を書いた時にはまだなかった、3950の組立図のボイラーと火室を記入してみました。2段の図の上側は、碓氷線の最急こう配の1/15に置いた状態です。内火室上面は最急こう配とほぼ同じ傾きとなっています。
39803983_20140904l
ボイラは4段のテレスコピックで、前から板厚分だけ順に太くなっていて、ボイラ最後部でケーシングとボイラの間隔は最も狭くなり、ボイラ先端ではケーシングとボイラの間隔はかなり広くなっています、煙室とボイラ先端の段差も非常に少ないです。
 この部分、元にした3950の組立図のボイラ頂部の拡大です。
Beyer_peacock_3950_39503959_98377_2
 煙室後部とボイラ先端の段差は、ケーシングで見るとほとんどありません。
赤で書いた寸法は、ボイラと、ケーシングの隙間で、ここにはアスベストを詰めた布団状の物が入ります。
 火室の所の隙間38.1mmは一般的ですが、ボイラ先端部94.5mmは他の機関車でもあまり見ないくらい大きくて、無駄な空間と言えます。

 試みに、ケーシングのボイラ先端部の隙間を38.1mmにして段差を付け、写真に見られる程度の勾配を書いてみると・・・
39803983_20140904l1
1/45の勾配で書くと、ちょうど蒸気ドームの後ろ、第2罐胴後端で水平部とつながります。
当然ボイラ下部も同じテーパになっています。

煙室とボイラ前端の段差も良い感じです。ドーム類はケーシングが傾いているだけなので垂直に立っています。

これで、前回紹介した、512の真横に近い写真のイメージと合ったと思うのですが、いかがでしょう。

 従来の研究では全て、最初の2両はボイラは前下がりで、管板は垂直とかボイラと直角とか議論がありましたが、
私の結論は、ボイラは水平で3950と同じもの、3950との見た目の違いは、ボイラケーシングが3950ではストレートなのに対して、3980ではテーパが付いているため先細になっている、ボイラが水平なので管板は当然直角(垂直)と言う事で、定説と異なりオーソドックスな構造だったと言う事です。

ボイラの伝熱面積が3950と約1.3%異なっている件ですが、詳細図がなくて実測して作ったとの事なので、実測誤差と思います。

結局、3980の初期の2両は、3950のコピーだったと言う事で、外観上の違いを見せた程度と言えると思います。
汽車会社の31両目という製造実績から考えても、コピーなら苦労しても何とか製造できると思います。

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2014年9月 9日 (火)

一枚の図面から 30 機関車編 アプトの機関車 3980-2

3980の汽車会社の竣工写真は2枚あります。

 朝倉圀臣氏が大切に保存されてきた、非常に貴重なものですが、今回快く掲載の許可を頂くことが出来ました。

512号、後の3980号です。
31512l

513号、後の3981号
32513l

この2台の機関車は同型と思われます。

これらの写真のボイラー周りをよーく目を凝らして見ました。

 上の512号の写真は、運転室の後端辺り、ランニングボード(水タンク下端)くらいの高さにカメラを据えて撮った物と思われます。
ですから、問題となるボイラはサイドタンクのせいで、本来より低く見えているはずです。

サイドタンクから上を拡大してみました。
31512_2
 後ろから見ていきます。
四角い重油タンク中央付近から後ろは火室部分のケーシングが見えています、上辺はサイドタンクと平行、つまり水平に見えます。
そして、その前の蒸気ドームの後ろは、ドームの裾とボイラーケーシングがわずかに見えていますが、ドームの前側は少し下がっているような感じで、裾もケーシングも見えていません。
サンドドームは前後とも裾は見えていません、その前の煙室の後端には段差が見えていて、煙室は上面が見えていますので、ボイラーケーシングに対して段差があるのが分かります。

 垂直の線は、運転室入口の線はほぼ垂直ですが、サイドタンク前面の線はレンズの収差で後ろにかなり倒れています。重油タンクからドーム、煙突等は多少の傾きはありますが収差を考えると、大体垂直に立っているようです、サンドドームはわずかに先細、煙突はわずかに先太のようです。

 513号の写真は斜めで、カメラの高さは512と同じくランニングボード辺りです。

拡大です。
32513
 これも後ろから見ていくと、火室はベルペイア火室であることが分かります。火室の前からは奥まるので重油タンクの陰になって見えません。
蒸気ドーム後端は、かすかにボイラケーシング上端が見えるようです。前端付近にケーシングとドーム裾の線があるのですが、ケーシングは斜めに下がってサンドドームとの中間くらいでサイドタンクの上縁の線と重なってしまいます。
当然サンドドームの裾は見えませんが、煙室はかなりの段差で上に上がってます。
煙室前面はサイドタンク前面と面一で、3950のように一体になっていなくて、各々が独立しています。

 この写真も、レンズの収差があり、垂直面をサイドタンク前端に合わせたので、運転室入口は前に傾いていますが、ドーム類のわずかな傾きは512の写真で見たと同様、収差によるもので、傾いていないと思います。

以上をまとめると、
・火室はベルペイア火室で水平?。
・ボイラケーソングは火室より前から、前下がりに傾斜している。
・3950ではほとんど段差がない煙室との境に大きな段差がある。
・重油タンクやドーム、煙突は垂直と思われる。

これを、ボイラが1/30勾配で前下がりの金田茂裕氏の形式図と比べてみましょう。
116_0251_3980

まず、火室の高さですが、写真より少し高いように見えますが、それはとりあえず良しとして、火室部分の高さは見た目通りで良いのでしょうか?

ベルペイア火室は断面が四角形で、上部は幅が広くなっています。
これを撮影した場合の見え方を図にすると。
3980_2
左端の図示がカメラの位置で、斜めの線が視線です。視線の一番下の線がサイドタンクの上縁で、これより上が見えている状態になります。
拡大図で、サイドタンクの視線のすぐ上は、ボイラの上縁で、サイドタンクのすぐ上に見えます。これは写真の蒸気ドーム後方のボイラケーシング上縁に当たります。
火室は普通の丸い物ならばこの線で見えるはずですが、ベルペイア火室は幅が広いので、さらに上の「ベルペイア火室」の視線の位置に見えます。

写真で火室上縁はサイドタンクからかなり上がって見えるのは、ベルペイア火室で幅が広く、ボイラ中央部に比べて実際よりかなり高く見える事によるものと言えますね。

そう考えると、サイドタンクより大分高い位置に書かれている金田さんの火室はかなり高すぎると言う事になります。

煙室の高さは、3950と同じなので、火室を下げてしまうと、ボイラに1/30の勾配を付けようと思えば、ボイラ前端(煙室後部)には火室が下がった分だけ大きな段差が加わることになりますが、段差が大きすぎて非常におかしなものとなります。
そのような場合は、普通煙室を下げますが、鉄道院の形式図でも写真でも3950との高さの差は認められません。

と言う事は、ボイラの勾配は1/30よりかなりゆるい事となりますが、碓氷線の最急勾配は1/15(66.67‰)ですので、半分の1/30よりゆるくては、せっかく勾配を付ける効果がほとんど無くなってしまいます。

では、どうなっているんでしょう?
という所で、次回に続きます。

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2014年9月 7日 (日)

一枚の図面から 30 機関車編 アプトの機関車 3980-1

今回は3980、アプト式最後の蒸気機関車です。

 「一枚の図面から」と言いながら、組立図は現在まで見つかっておりません。
3980は日露戦争に向けての輸送力増強をするにあたり、海外への発注では間に合わないとの考えで、まだ操業間もない汽車製造合資会社に発注されました。
 当時、蒸気機関車を作ることが出来る民間会社は汽車製造合資会社が唯一で、製造31,32両目に作った物が最初で、製造は1906年(明治39年)WNos.31,32と1908年WNos.55,56、1909年WNos.59,60の3回にわたり、6両が製造されました。

 この機関車は残された資料が非常に少なく、数葉の写真と簡単な略図と主要諸元程度です、通常であればこれで大体の事は分かるのですが、汽車会社蒸気機関車製造史(1972年汽車会社刊)P72,73にこの機関車の記述が有り、「外国製はいずれもボイラを水平に設置していたが、当社製は水平線上にある時は1/15の傾斜をもって煙室側が低くなっている」という一文が大きな謎を生み出すことになります。

 著名な研究者がこの一文に注目し、スイス等の急こう配の蒸気機関車で採用されているボイラが勾配に合わせて傾いた機関車と同様な機関車と想定して、ボイラーが前下がりの機関車という考えが一般化しました。
 その中で、金田茂裕氏は1/15(碓氷峠の最急勾配)で図を書き、残されている写真との比較で1/15に疑問を持ち、1/30の勾配とした図を書いています(形式別国鉄の蒸気機関車等)。
 これらは、上記「汽車会社蒸気機関車製造史」の一文と、ボイラーに勾配が付いている(ように見える)竣工写真から、ほぼ、この1/30(あるいはその前後)の勾配が正しいというのが定説となりました。

 碓氷峠は横川から軽井沢への一方的な上りこう配で、蒸気機関車は全機横川方に頭を向けて推進運転で勾配を上ります。

こんな感じ
Photo
 勾配を上る場合は推進運転で、トンネル等で運転室に煙が入るのを少しでも防ぐようになっています。
もちろん、機関車を勾配の下に付けるのは、連結器が切れてしまった時の安全策です。
先頭の機関車の次の2両は、ブレーキを利かすためのピニオン付のピフです。

 この形の場合、勾配上でボイラを水平にするにはボイラは、前を上げなければならないのは分かりますね。
 この機関車のボイラが前下がりで成り立たせるには、この機関車だけ、逆向きの軽井沢方に頭を持ってこなければいけません。
もし、この機関車だけ逆向きにした場合、運転の向きがこの機関車だけが変わることになって、機関士は全く別の環境で運転することになり、現場からは絶対に反対が起こります。

 ただでさえ極限の運転技術が要求される運転で、推進運転で最高の性能を出すべく訓練しているところに、一部の機関車だけ前向きの運転となると、全く違う機関車が入ったのと同じこととなり、機関士の苦労も増えるし、事故の可能性が高まります。

 と言う事は、現場からは絶対に反対が起こったはずで、設計当初の段階で没になると想像します。
一部の研究家は、現地の状況を分からずにこのようにしたのではないか、と言う人も居られますが、大勢が集まって行う設計会議は数十回に及び、もちろん現場の人も参加するので、その最終段階まで誰も気が付かないなどとは考えられないと思います。

というわけで・・・
重要な竣工写真を見てみましょう

・・・・・は次回で。

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2014年9月 4日 (木)

キットの製作 オハ32000(31)系の製作 3

色々な点に目をつぶって、キットの不良在庫を減らそうと始めた工作ですが、それほど調べるべくもなく、実物とのあまりに印象の違いにこのまま作ることはあきらめました。

と言う訳で、餅焼きです。
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私の部屋にはガスコンロが無いので、この方法とガスバーナーの両方でばらしますが、この方法だと温度が低いので、部材へのダメージが少なくて良いですよ。
本当はもっと細かいメッシュか板なら良いのですが、板では温度が伝わりにくいので、餅焼き網です。

バーラバラ
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これを加熱しながら真鍮のワイヤブラシで半田を飛ばします。
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半田メッキ状態ですが、綺麗に磨いて終わり。
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さぁ、やり直しです。

従来持っていた客車用のパーツや今回手配したパーツや素材。
本来キットに入っていてこその高価な価格ですが、そこそこに作るならキットに入っているものはほとんど使えません。
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今回追加分でも結構な量です。

こんなキット、これらを使う気になる所まで行けるかどうか・・・・ちょっと自信が無くなってきました・・・・




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2014年9月 1日 (月)

一枚の図面から 29 機関車編 アプトの機関車 3950-2

前回に続き、3950の写真を紹介します。

今回は、鉄道院になって、3950の形式になってからの末期の写真と、解体中の部分写真を発表します。

電化工事中の1枚、現役末期の物ですね。印刷物の複写なので、荒い画像はご容赦。
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次は、廃車後、大井工場で保管中の物、島崎英一氏の撮影です。
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せっかく1両残っていたアプトの機関車ですが、大東亜戦争前夜の1941年4月に解体されてしまいました。

以下は、その解体中の写真です。撮影は1941年4月26日
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ボイラ中央部、サイドタンクが無いので、特異な台枠やばね装置、ベルペァ火室等が良くわかりますね。この時点で廃車から20年、ボイラーケーシングは相当錆びており、外観上、解体やむなしだったのかもしれません。

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機関車後部、大分部品が撤去されていますが、火室後部の雰囲気が分かります。
サイドタンクの解体はまじめにリベット頭を削っているようで、綺麗にリベット穴が残っています。今より材料に愛情が感じられる(?)解体です。

1か月後の5月29日の状態。のんびりしていますねぇ、上周りはすっかり解体が終わったのか、動輪とラックギヤーのユニットです。
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右が第1動輪、動輪の間に見えている加減リンクは、ピニオン用のワルシャート式弁装置の物で、リターンクランクに相当するものは、スティーブンスン式の様な偏心輪です。台枠の動輪間の四角の物は、ピニオンの軸受け、中央上部のクランクにシリンダからの動力が伝わり、前後にスパーギヤーで伝導しています、クランクとギヤーの間にあるのが、上記の偏心輪。

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機関車前方から見た物。
ピニオンの中央軸にはスパーギヤーが2つありますが、ピニオン軸の写真の右側には対応するギヤーが無く、何かリベットを打った物があります。
中央軸からの伝導は写真の前方側では向って左側のみ、右側のリベットが有る物は、バンドブレーキのバンドと思われます。
後部は左右が逆になるので、中央軸のギヤーは前後別々に伝導するようになっています。
普通であれば、ギヤーは片側に統一して中央軸のギヤー1個から前後に伝導して、バンドブレーキも反対側に統一すれば構造が簡単になると思われますが、力が片側に偏るのを嫌ったと言う事だと思います。設計者の慎重さが窺えますね。

次はアプト式蒸機の最後、3980です。
謎多き機関車ですが、私なりに考察してみたいと思います。

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