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2014年5月

2014年5月31日 (土)

一枚の写真から 25 土木学会図書館所蔵の写真 3 機関車 1

土木学会図書館のHPからダウンロードした写真、今回はその中から機関車が写った写真を紹介します。
最初は本当に貴重な写真
Co0618_19201025l

元阪鶴鉄道、BROOKSの3450です。この機関車の写真は今までメーカーのワークスフォトだけしかありませんでしたが、今回発見したのは非常に貴重です。
大正9年10月25日撮影、山陰本線郷川橋梁工事で使われた時の撮影です。煙突がパイプ煙突に変わったくらいで、改造は少ないですね、キャブから煙室へ行っている太いパイプは、金田さんの本からブロワーパイプと思い込んでいましたが、近藤さんから「これは真空ブレーキのエジェクターの排気管だ」と教えていただきました。
考えてみれば確かにそうです。何に対しても、自分でちゃんと調べることは大事ですね。
この時期の機関車の写真自体が貴重ですが、土木学会図書館の写真はこの場所で機関車が遠くに行った写真と、もう1枚あります。
これ
Co0635no9

参考にBROOKSのワークスフォトを載せておきます。
29976alco_l

これ以外にも、土木学会図書館には何枚か機関車が写った写真があります。
これは上の写真と同じ郷川橋梁ですが、まだ新しい9600が美しい!後ろはB6が2両、完成時の走行試験のようですね。
Co0641

これは横黒線(北上線)川尻川仮橋ですが、機関車は前面窓が丸いようです、何でしょうねぇ
Co0428

Co0429

それから、もう1枚。
Co069240m19200405
機関車はきれいなA8ですが、後ろの有蓋車が明治期によく見られたもの、大正時代の増トン工事で普通のワ1になってしまいましたが、原形の写真は貴重です。

次回はまだ橋が出来ていない時に、機関車を川の向こう岸に運ぶ方法です。

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2014年5月29日 (木)

一枚の写真から 24 土木学会図書館所蔵の写真 2

土木学会図書館のHPからダウンロードした写真、今回は仮設の架橋用操重車を使う写真です。
仮設と言っても結構大がかりで、先ずは図面からです。
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これは、日野川橋梁での図面で、径間が60’(18288mm)の場合で、中央に特殊な台車に塔が立った物を作り、2両の機関車で距離を稼いで後部の機関車の重量で桁を持ち上げるという物です。中央の台車の前後は、ソ1のように端バリが下がり、前は桁、後ろは機関車の端バリに引っ掛けていますね。
前の機関車は500として問題ありませんが、後ろはB6なら2320ではなく2120ですね、しかし図は1-C-1で、C-1のB6ではなく2900の様な感じですねぇ。いずれにしてもB6は重量があるのでこういう作業には打って付けですね。

径間が40’(12192mm)以下の場合は機関車が1両で、しかも500です。
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中間の仮設のやぐらの詳細です。
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まだ本線に出ていない状態ですが、頑強に作った台車に4軸の車輪が付き、その上にレールを曲げて作ったビームが乗っています。

別の物です、こちらは3軸ですね。
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機関車の端バリが乗っているのが良くわかりますね。

次は実際の架橋風景です。
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記念撮影と題されていますが、こんなところに足を投げ出してよく座れるものです。

Co0006

Co0010

最後は鋼製の物です。
Co0022_2

こういう、日ごろ目にする事のない特殊な機械と言うか、車両と言うか・・・は創意工夫がちりばめられて、非常に興味を引きます。

以上、写真は土木学会図書館、土木貴重写真コレクションから引用させていただきました。

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2014年5月27日 (火)

一枚の写真から 23 土木学会図書館所蔵の写真 1

前回の架橋用操重車ソ1の写真について、土木学会図書館に問い合わせたところ、快く掲載の許可を頂きましたので、土木学会図書館のホームページよりダウンロードした画像を掲載するとともに、登場する車両達について簡単に解説しようと思います。

先ずは前回の架橋用操重車ソ1です。
土木学会図書館、土木貴重写真コレクションの、「因美線 用瀬~智頭間」です。
現地へ到着して先端にガーターを乗せ、ビームを左端のウィンチで巻上中、機関車はDUBSの525。ソの手前の台車は脱線してますね、左の端バリにガーターを乗せたため右側の台車の軸重が抜けたのでしょうか?
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ガーター先端を釣り上げて架橋先端部へ移動中、ガーターの重量を分散させるために台車を2台使っています。
Co0007

真横、位置関係が分かりますね。
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拡大、ソの構造が良くわかります。
Co0026

架橋先端部
Co0011

ここからさらに前に進み、枕木を積み重ねた物の上に置き、ジャッキを使いながら徐々に降ろして橋台レベルとして、固定します。

以上、写真は土木学会図書館、土木貴重写真コレクションから引用させていただきました。


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2014年5月26日 (月)

神戸交通史 写真パネル展のご案内

今回は、前回に引き続き、「鉄道設計図表全集」からの記事を書こうと思っていましたが、
土木学会図書館に非常に多くの写真があることが分かり、それを使わせて頂く許可をもらいたいと思うので、ちょっと延期です。

その代わりと言う訳ではありませんが、お付き合いさせて頂いている「神戸鉄道大好き会」のYさんから下記の案内を頂きました。

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神戸限定ともいえる内容ですが、「神戸鉄道大好き会」が所蔵されている多くの昔の写真が展示されるようです。

私もいずれかの日に行かせて頂こうと思っていますが、皆さんもいかがですか?

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2014年5月24日 (土)

一冊の本 鉄道設計図表全集 橋梁の部 5 架橋用操重車

「鉄道設計図表全集」、今回は架橋用操重車です。

架橋用操重車と言えば、近年はソ200や300が有名ですが、ここに紹介するのはソ1です。
登場は大正9年、昭和2年まで6両製造されました。

先ずは図面をご覧ください。
全体図です。右が操重車本体、左は橋梁です。
P210_l

操重車の左の端部はビームが下に折れ曲がって、先端部に橋桁の一端を乗せかけるようになっていて、その右上に回転するビームがあります、これは回送時は細線のように低く降ろされていますが、使用時は左のウィンチで引っ張って大きく回転させて、頂点を超えたところまで立ち上げて、このビームの先端と橋桁の先端、そして右端のウィンチで三角形を形成して、右端のウィンチを巻き上げる事により橋桁の先端を持ち上げ、操重車下部の引っ掛けと合わせて橋桁を持ち上げるようになっています。
各部にはそれぞれ大きな力が掛かるため、全体がトラス構造になっています。
動力は一切無く、巻き上げは全て手動ウィンチ、全体の移動は操重車の後ろに機関車を連結して行います。

構造図です。
P211_l

P212_l

図面はこれだけです、やはり橋梁の図面集なので、トラスの物だけですね。

写真は2枚

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使用中の絵葉書
Photo_2

全部手動のウィンチ、相当時間も掛かったでしょうねぇ。

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2014年5月22日 (木)

一冊の本 鉄道設計図表全集 橋梁の部 4 5米 貨車遷車台

阪神間の開業に備えて用意された機関車は全部紹介しましたが、その後の機関車はまた機会を譲るとして、「鉄道設計図表全集」に戻ろうと思います。

転車台は前回までの3種だけで終わりましたので、今回は「遷車台」、所謂トラバーサです。

国鉄の工場では大形の電動式のトラバーサがありますが、貨物を扱う駅などの貨物側線に有った貨車用の小さいトラバーサを紹介します。

5米 貨車遷車台です。
P161_5_l40

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5米となっていますが、実際の線路長さは5.5mですね、非常に簡単な構造で、線路と直角方向に車輪が付いているだけです。

図面の日付はありませんが、図面集の発行が昭和3年なので、その当時の標準のワム3500の軸距離は3962mmだったので、かなり余裕を持った長さであると言えます、ただ、ボギー車は全く無理ですね。

横動用の車輪は片フランジで、2重のボールベアリングになっています、活荷重は14tとなっていますが3m以上離れるのが条件なので一般の機関車は無理ですね。

国鉄の2軸貨車はワム80000に至るまで5.5mのこのトラバーサで使用可能ですが、ワム280000に至り、軸距離が5300にもなったので使用不能になってしまいました。

貨車遷車台は東海道線住吉駅にありました、よく見たのですが結局写真を撮らないまま貨物扱い廃止を待たずに無くなってしまいました。

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2014年5月20日 (火)

一枚の写真から 22 機関車編 阪神間開業時の機関車 1290

阪神間の開業に備えて購入された機関車で、開業以前に製造された機関車はここまでです。

最初のC形タンク機関車は日本では非常に特異な構造をした機関車です。
大宮の鉄道博物館に保存されているので、有名な機関車かと思いますが、保存されている1292号「善光」は阪神間とは関係なく、1881年に日本鉄道最初の機関車として官鉄が輸入した機関車ですが、阪神間で使われた2両と「善光」は元々全く同じ図面で作られたものです。

阪神間の2両も、本来の工事用として購入したものは1両で、もう1両は、同年大阪の造幣寮用に購入されたものですが、舟運に切り替えられて不要になったので1875年に官鉄に譲られたというのが有力な説です。

この機関車の竣工写真はありませんが、1875年頃の写真があります。
これは、金田茂裕著「日本最初の機関車群」所載の写真です。
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キャブの屋根は4本の柱だけ、軒からカーテンのような布を下げて雨を避けるようです。
金田さんの見解では、21号から22号への変換期で、改番された1875年(明治8年)当時の写真とのことです。 機関車は全くの原形と思われます。
客車は「最古の客車」と呼ばれた(実際は最古ではない)関西の小型客車です。

この機関車は組立図があります。

Manning_wardle_1290l

140年前の図面とは思えないほど綺麗な図面ですね。
見れば見るほど特異な機関車です。
日本最初のサドルタンク、異様に高い火室、内側シリンダ、とてもバランスが取れてるとは思えない動輪のバランスウェイト、フランジの無い第2動輪、動輪の真上にないバネ・・・・・

サドルタンクは、バグナルやポーター等のようなのと違って、ボイラーの上に乗っかっている形で、ボイラーからかなり高い位置にあります。
火室はちょっとわかりにくいですが、火室の上面がその高いサドルタンクの上辺の近くになっているので、ボイラーから大きく上方に出っ張っている形となっています。
内側シリンダなので、ロッドはサイドロッドだけで、バルブギヤーも見えず、蒸気機関車の魅力ともいえるロッドの動きがほとんど楽しめないものとなっています。
動輪のバランスウェイトはクランクと同じ形でウェイトとしては小さいですね。
板バネは通常動輪の真上に付くものですが、第1動輪はシリンダがあるので後ろへずらすしかないため、テコを介して軸箱に力を伝えています。同様に第3動輪も火室を避けるため同様の構造でずらしていますね。
図面をよく見ると、クロスヘッドの動きで動作するフィードポンプが装備されています。

「善光」以外は、明治中期にかなり改造されて、外観が変わっています。
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ちょっとわかりにくいですが、煙室戸は通常の機関車と同様の構造になっていますが、元は「善光」の形で、下から開くものです。

「善光」です。
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池袋教習所時代

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戦前の交通博物館
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ブレーキシューは木材のままですね。ドームの横から前にかけて目立つ配管はインジェクター配管です。その下のキャブから煙室への太い管は真空ブレーキエジェクターの排気管です。

そして現在。

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外に近く中は異常に暗いという最悪の光線状態に加え、何の意味かフェンスに囲まれ、キャブには透明度の悪いアクリルで囲まれて暗い照明のせいでキャブ内の撮影がまともにできない、しかも三脚禁止などと言う、全く三重苦四重苦という馬鹿げた展示で、
とても実物を研究できる状態とは思えない展示状態ですので、まともに紹介できる写真を撮れないのですが、無理に載せました。
鉄道博物館の展示方針は誰のための展示だろうと思えるものばかりで、展示方法に疑問を感じます。
機関車の下に入れるので内側シリンダーやジョイ式に改造されたバルブギヤーが見れるようになっていますが、このような展示は我々研究者にとってはありがたい展示ですが、一般人には関係のない展示、外観を横からまともに見れないようなフェンスを巡らせているのに床下のみちゃんと見れるとは、ものすごくおかしな展示と思わざるを得ません。
このようなちぐはぐな展示方法は、鉄道博物館全体に言える事だし、名古屋の博物館にも言える事。京都にできる博物館がこういう変な展示にならないことを祈るばかりです。

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2014年5月18日 (日)

一枚の写真から 21 機関車編 阪神間開業時の機関車 7010

阪神間の開業に備えて購入された機関車で、当時最大の機関車です。

日本初のC形(動輪3軸)は5000に続く2番目のテンダ機関車で、京都開業に備えた貨物用の機関車です。1873年にキットスン社から4両輸入されましたが、京都開業の旅客列車に備えて2両は2-Bに改造(後の形式5100)されて2両になりました。

この機関車は私が模型を作っている(諸般の事情で中断中)事もあり、以前のブログで何度か出ていますが、7010としてちゃんと紹介したことがありませんでした。
この機関車を改造した5100はここ、模型製作の詳細はここから後を参照して頂けたらと思います。

この機関車は組立図はありませんが、メーカーの竣工写真があります。
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明るめのショップグレーと思われるものにライニングをされた、非常にきれいな写真です。後に増備された7030と共通点が非常に多いのですが、よく見ると違いがあります。

最も大きいのは機関車にブレーキが無いことですね。ブレーキは炭水車の手ブレーキのみです。
7030は機関車に木のブレーキがあるので良いのですが、この機関車はブレーキ力が不足すると思うので、ひょっとしたら5000のような反圧ブレーキを持っているのかもしれませんね、図面がないので、全く確認のしようがありませんが・・・

しかし、何ともシンプルで格好の良い機関車ですね。
弁装置はアメリカ式のアラン式、インジェクターは1台で左側はクロスヘッドから動力を取るフィードポンプです。
一般にドームは真鍮のイメージですが、この機関車は鉄製のようです。

こちらへ来てからの写真は、あまり持っていません、「明治の機関車コレクション」にはもう少し掲載されています。
16号
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明治中期、作業局時代の写真ですが、ブレーキが追加されて、ポップ式安全弁が追加された程度で、ほぼ原形のままです。

もう1両の14号
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16号と同じ作業局時代ですが、機関車本体だけで炭水車はつながれていません、恐らく神戸工場での撮影と思われます。
運転室が前方に大きくなり、煙突、煙室戸ヒンジが改造され、
安全弁がサルター式からラムスボトム式に変えられてドームが作り変えられ、
クロスヘッドから動力を取るフィードポンプが撤去されていますが、これはインジェクターに変えられて2台になったと言う事、
それから一番大きいのはシリンダが前後入れ替わった形になったと言う事です、簡単に前後を入れ替えただけでこの形になったのか、シリンダ鋳物を作り変えたのかはわかりませんが、ピストンが前に移動すると言う事は、スライドバーが延長され、ピストン棒も延長されたと言う事です(写真で確認済み)。

皆さんは何のためにこのような大改造をしたと思われますか?
私は以前の記事で、ちょっとした推察文を書いています(まぁ相当想像をたくましくしていますが・・・)。

あまり発表されていない、島崎英一氏が昭和12年に撮影された美唄鉄道での写真を掲載します。
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私的には、色々と改造されて醜くなってしまったと思うのですが、こういううらぶれた状態が好きな人も居られるのでしょうね。とはいえ明治の状態から意外に改造点が少ないのに驚かされます。

ほぼ同型の7030は図面も写真もあるのに比べ、意外に資料が少ない機関車ですが、組立図の代わりに、前回同様、金田さんの形式図を掲載いたします。
7010

120の時は忘れていましたが、正誤表に項目があります。
>弁装置の種類は「アラン式(ロッカー・アーム付)」.
>金田著『日本最初の機関車群』に組立図を掲載


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2014年5月16日 (金)

一枚の写真から 20 機関車編 阪神間開業時の機関車 120

5000に続き阪神間向けに発注された機関車は後の形式120です。
5000から2年後の1873年(明治6年)製で、かの有名なロバート・スティーブンスンで4両作られた国内唯一のグループです。創業者のジョージ・スティーブンスンも息子のロバート・スティーブンスンも世を去った後ですが、イギリスを代表する機関車ビルダーとして君臨していました。

形態は京浜間の機関車達と同様の軸配置1-Bのタンク機関車です、1両が加悦鉄道に残り、今も重文の認定を受けて、加悦SL広場に保存されています。

現物はあるのですが、この機関車の図面はイギリスにも残っていないようで、日本国内にも無く、唯一が、ロバート・スティーブンスン社100年史所載のこの図面だけです。
120l

写真は、メーカーの竣工写真もなく、日本での原形に近い写真はこの3枚しか見当たりません。

「摂津阪西名所写真帳」所載の写真です、恐らく日本で一番古い写真です、番号が6なので、1875年の改番以降の写真と言うのが分かりますが全く原形と思われます。
神戸駅の西寄りから撮影していますね。
キャブの屋根が4本の細い柱で支えられています、図面の通りですね。

21026l

そして、金田茂裕著「日本最初の機関車群」所載の写真です。
12号、大阪駅ですね、これも改番後で、煙突に番号が貼られています。

120

そして比較的有名な写真、これも大阪駅での撮影だそうです。
キャブに板が張られていますが、後部は何もなしです。キャブの前のボイラー上に道具箱らしきものが取り付けられてますね、ライニングも変わっています、5100のライニングに似ているので、その頃に塗り替えたのかもしれませんね。

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現在保存されている状態とかなり違っていますね、明治中期にボイラー新製を含む大規模な改造がなされて外観が大きく変貌しました。
その後の状態はW.I コレクションで記録されています。

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この写真の機関車は12号です、この機関車が後に簸上鉄道に払い下げられ、その後加悦鉄道2号となります。

そして、戦前の加悦鉄道2号です。
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そして現在。撮影は2005年、そういえば最近行ってないなぁ・・・誰か一緒に行きませんか?
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雲が低く垂れこめていましたが、たまたま太陽が顔を出した時に撮影しました。

今回は組立図がないので、代わりに金田さんの図面を掲載します。もちろん許可は頂いてますよ。

原形。
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120,123号(加悦2号)、123号は窓が前後に長い。1202_50

121,122号、水タンクが大きくなっている。1203_50

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2014年5月14日 (水)

一枚の写真から 19 機関車編 阪神間開業時の機関車 5000

5月11日に阪神間の鉄道開業から140周年を迎えたとネットのニュースで読みました。

鉄道史をやってる者にとって、日付は重要ではありますが、覚えるのは年ばかりで、何月何日と言うのは疎いもので、今回の5月11日と言うのも全く知識の中にありませんでした。
そういえば、京浜間仮開業は6月12日(新暦)ですねぇ、こんな記念日を言い出したらきりがないのですが、まぁ、日本で2番目に開業した鉄道の記念日として、開業に備えて用意した機関車を紹介していきましょう。

この区間の機関車として最初に発注した機関車は後の形式5000です。
これは日本初のテンダ機関車として有名ですが、製造が京浜間の機関車と同じ1871年(明治4年)なので、昔は京浜間に向けて作られたものと思われていたようです。

この機関車の写真はW.Iコレクションにも多く残されていますが、彼らの撮影以前(明治初期から中期)にかなり改造されていて原形とはかなり異なっています。

メーカーの竣工写真は許可をもらうのが面倒で載せられませんが、日本で最初に撮られたと思われる写真を紹介します。
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人物が少々邪魔ですが、原形のままです。
煙突には「A」の文字、当初はA,Bの番号だったようです。
W.Iコレクションの写真に比べて、ボイラーやキャブ、テンダーまで、下周り以外ほとんど作り変えられています。煙突キャップとキャブ屋根の軒飾りがいいですね。

この機関車は1873年に線路の工事が始まるとともに稼働を始めたようで、他の機関車が到着するまでこの機関車2両だけで工事列車を牽引していたようです。

この機関車は組立図があります。

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143年前の図面ですのでかなり傷んでいますが、残っているだけで凄いですねぇ。
機関車の日付は1871年2月8日、炭水車は1871年2月7日です。
煙突はダイヤモンドチムニーですね、機関車には通常のブレーキは無く、190の時に書いたのと同様なスティームブレーキが装備されています。
従輪は床板の補強板を下に伸ばした形の軸受けで支えられており、バネや軸箱守は内側です、回転はしませんが、わずかに横動するようになっています。
バルブギヤーは一般的なスティブンスン式、ラディアスロッドが第1動輪との干渉を避けるため○形にして動軸を逃げていて、下部はカットして、接続板をねじ止めして、ロッドを抜くことが出来るようになっています。
バネは全輪独立の6点支持です。
キャブの逆転レバーは通常のレバーではなく大層な構造のネジ式ですね。

炭水車の軸受けは、機関車の従輪に合わせた構造で、バネ等は内側です。
ブレーキは手用ブレーキ、ブレーキシューは木ですね。

この少し後の写真です。
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原形に近い写真はこの2枚だけで、この後いろいろ改造が加えられてしまいます。

この機関車の後、阪神間向けに、後の形式で120、1290、7010が発注されます。

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2014年5月12日 (月)

一冊の本 鉄道設計図表全集 橋梁の部 3 20m下路式転車台

「鉄道設計図表全集 橋梁の部」、今回で転車台は終わりです。

今回は20m下路式転車台です。
前回の上路式と同調する下路式ですが、こちらの図面の日付は大正12年6月です。
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これも上路と同等の、クーパー荷重はE40、最大軸重18tです。

ガーター端面の上部がレール面とほとんど同じですね、戦後の大形の物とはかなり印象が違います。

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これは部品が多くて、枚数が多いですね、中心ピンの構造は上路式と似ていますが、高さ調整は板を挟む方式で、分解しないとできないので、 上路式より面倒です。
構造的には、同じ下路式の60呎の物がベースになっているようです。

このタイプも幹線筋によく見られましたが、戦後交換されたものが多くあります。
変遷の一例として、皆さんお馴染みの梅小路機関区の転車台について記しますと、
大正3年の新設時は60呎上路式、その後、今回紹介の20m下路式、そして現在の3点支持上路式と、製造時より2回も変わっています、それも上路下路が変わっているので、ピットから変わる大工事です。

よく見た割に写真は撮っていないので、今回写真は無しです。
著名な方々の機関車の写真に多く写っていますので参照してください。

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2014年5月10日 (土)

一冊の本 鉄道設計図表全集 橋梁の部 2 20m上路式転車台

「鉄道設計図表全集 橋梁の部」より、今回も転車台です。

今回は20m上路転車台です。

18900(C51)や9900(D50)等、大形の機関車が登場して、18m級では余裕が少なく、転車台の中心に機関車の重心を合わせるのが難しくなって登場した20mの転車台です、日付は大正14年4月。
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クーパー荷重はE40、最大軸重18tです。

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前回の60呎下路式と違ってコロは薄いコロが多数並んでいる方式です。
部品図左上、 中心部材でテーパーが付いた板状の物をネジで締める事によって、線路の高さを調整することが出来るようになっています。
60呎下路式ではテーパーコロで高さ調整をしていたようですが、それでは多くのコロを全部同じに調整する必要があり、ちゃんとしないと一部のコロに荷重が集中する事になるため、調整は大変だったと思われます。

今回の物も、中心部材中央の枕木方向の軸の上に乗っているだけで、当然この軸を中心にガーターはシーソーのように動くことが出来ます。

戦前の幹線筋の標準タイプとして目にしましたが、大機関庫では24mの三点支持の物に交換されたものが多いようです。

昔撮った写真はあまりスキャンしていませんが、1973年に鷹取機関庫で撮った物を紹介します。
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上のDD13がメインなので転車台はよくわかりませんが、今回紹介したタイプと思われます。

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2014年5月 7日 (水)

一冊の本 鉄道設計図表全集 橋梁の部 1 60呎下路式転車台

5月4日のニュースで、仙山線作並駅の転車台が発掘されたらしいですね。

それに関連して、私が持っている書籍の中から、今回は「鉄道設計図表全集 橋梁の部」を紹介しましょう。

発行は昭和3年、基本的な橋梁から、特殊なもの、橋梁に関わる機械や建築物まで、
本編281ページ、参考の建物が82ページ、その全てが図面と言う、図面マニア垂涎の図面集です。

その中から、私の興味の範囲で発表していきます。
なお、鉄道史資料保存会から同名の書籍が出ているようですが、内容はわかりませんが、これはオリジナルからのスキャンです。

先ず外観です。
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古いので大分痛んでいますが、表紙は布張りで金文字です。

この中から、今回は転車台を紹介しようと思います。
この本に載っている転車台は3種類。
この当時は全て非動力ですが、後にほとんどの物に牽引車が取り付けられ電動化しました。

今回は、桁長60フィート(18,288mm)下路式です、日付は大正6年1月。
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クーパー荷重E33ですね、最大軸重は15t。
戦後の大きな下路式と違ってピットが深く、端部は線路面から少ししか上がっていません。
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センターは台形の台座の中に円錐コロが入っていて、その上にガーターが嵌まり込む感じで乗っていて、長手方向はシーソーのように回転する構造になっていますね。

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このタイプは、軸重15tで長さが18mなので、C51やD51クラスがギリギリです。
C52やC53は軸重の関係で無理です。
戦後の軸重の軽いC61の短い炭水車は、まだまだ地方に有ったこの転車台に乗るためと考えられます。

小樽交通記念館の扇形庫前の転車台がこれです。電動式だったのを空気式に変えていますが、 給電用のやぐらは残っていますね。
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2014年5月 3日 (土)

一枚の図面から 25 メーカーの提案図面 4

今回はメーカー提案図の最後、実際に契約をした機関車の、提案時のものと思われる図面です。

メーカーは前回と同じBaldwin、相手先は山陽鉄道。
Blw_82501902630_111112_8536_25

このブログを見てられる方にはピンと来るかと思います。
そう!山陽鉄道の112号、後の8250の基になった図面です。
ヴァンダビルト・コルゲイテッド・ファイヤボックスですね。
8250は1903年(明治36年)1月製で、この図面の日付は前年の1902年6月30日、半年前です。

右下の記述に、「ENG - BASED ON 8-17/32D-DWG 3」と書かれています。
この「8-17/32D-DWG 3」は、やはり山陽鉄道の5形、26-31号、後の8450です。
8450を基にしたとはいえ、この時点では寸法的な共通点はほとんどありませんね。
動輪の軸距離は72インチ1828.8mmです。8450は69インチですが、台枠後部の形は8450のイメージが残っています、この時点では動輪直径は8450と同じ54インチ1371.6mmです。
煙管長は121インチです、これは8250とほぼ同じ数値、火室長105インチは8450と同じです煙室管板と火室管板は傾斜していますね、ボイラは8250のベースとなったようです。
ボイラー中心は8250より4インチ高くなっています。炭水車は8250の物に似ています。

そして、1902年7月5日付の図面。わずか5日後なので、図面の変更ではなく、別案と考えられます。
Blw_8250190275_111112_8541_25
こちらは大きく、動輪軸距離は78インチ1981.2mmになっています。
煙管長、火室長とも8250よりかなり大きくなっています。
全長は前回の468インチに比べてこれは498インチ12649.2mm、30インチ762mm長くなっています、ボイラー中心高さは同じく88インチ、動輪直径も同じく54インチ1371.6mmです。

この2案は最大と最小の案かもしれませんね、実際の8250は、下周りは大きい方の後半の軸距離が72インチとなり、ボイラーは小さい方の物として、本設計がされたようです。
高さがきつかったのか、動輪直径が4インチ(101.6mm)小さくなっています。

以前に紹介しましたが、8250の組立図です。
Blw_8250_111112_4364l50

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2014年5月 2日 (金)

一枚の図面から 24 メーカーの提案図面 3

メーカーの提案図、今回はアメリカ、時代は20年後、1902年、Baldwinから北海道庁鉄道部、北海道官設鉄道への提案図です。

Blw_8300_25

全くの概略図ですが、多くの情報があります。

まず目に付くのは、山陽鉄道の8250で採用された、ヴァンダビルト・コルゲイテッド・ファイヤボックスです。これについては、これも参照下さい。
一見、大きい機関車のようですが実際には下記のように小型に属する機関車です。
この火室独特の同心のワゴントップボイラーが珍しいですね。
右下に 、日付と、Baldwinでの種別、「10-26-E」 が書かれています、「10-26-E」と言えば、9000(9040)や9030と同じクラス、実際、翌年の1903年に製造された9030とは動輪直径も軸距離等も全く同じです。
後半部が書かれている台枠は、9030と同じもののようです。

と言う事は、北海道炭鉱鉄道から発注されている後の形式9030の下周りを基に、ボイラーを当時一押しのこのタイプにした物を提案したと言う事ですね。

北海道官設鉄道はモーガル(1-C)が主体で、この機関車のようなコンソリデーション(1-D)は1両もなく、Baldwinがこの機関車をコンソリデーションを多く所有している北海道炭鉱鉄道ではなく、なぜ北海道官設鉄道に売り込もうとしたのが大いに疑問ですが、この当時、京都疎水等で有名な田辺朔朗がまだ居たなら、彼への売り込みの可能性も考えられます。
また、これを機会に今後コンソリデーションも売りたいと言う戦略があったのかもしれませんね。

このボイラーは、多くの煙管を取り付けられるので、大きさの割に効率の良いボイラーが出来るので、9030よりパワフルな機関車になったことと思います。

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