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2014年1月

2014年1月31日 (金)

一冊の本 5680の詳細図 3

「鉄道車両 各部名称鑒」の3回です。

全部が5680の物かどうかは分かりませんので、各自でご確認ください。

今回はボイラー周りの小物です。

安全弁

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安全弁の平面と側面図

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次は汽笛

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火室上部の蒸気分配弁です。

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左がキャブから見た方です、一角法なので分かりにくいですねぇ。

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上側左の縦の破線はキャブの妻板です。下は平面、上から見た物です。

最後は真空ブレーキのエジェクタです。

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上下とも同じ方向から見ています。左へ伸びる太い管は、煙室まで行きますので、非常に目立つので、外観から真空ブレーキ付が確認できます。

今回はこれまで、次回は下周りです。

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2014年1月29日 (水)

一冊の本 5680の詳細図 2

「鉄道車両 各部名称鑒」の2回です。

全部が5680の物かどうかは分かりませんので、各自でご確認ください。

今回はボイラー関係の主要図です。

まずは縦断面。

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横断面。

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煙室です。

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煙室断面

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左から入ってくるんと曲がってる管は、真空ブレーキの排気管です。煙室の前側の周りのリベットと側面のリベットはピッチが違いますね。

次は運転室

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スティーブンスン式の逆転はレバー式が多いのですが、この機関車は違いますね、右側の大きな丸いハンドルがそれです。前面の丸窓は内側への跳ね上げ式、ボイラー中央上部のレバーがレギュレーター(加減弁)、その左右が水面計、さらに横がインジェクターです。焚口戸はイギリスタイプの上へ上げる方式、左のポールは手ブレーキハンドルです、そのすぐ右の2本のレバーは砂撒き用のレバーと思われます。

全体的に近年の機関車とさほど変わりませんね。

キャブの前のスプラッシャです

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ちょっとわかりにくいですが、下の図は上から見た物で、下が側寄りで、22が台枠です。

次は砂箱、第1動輪の前、モーションプレートに隣接しています。

側面図

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左が前方で、右のハッチングはモーションプレートです。

次は断面図。

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ちょっと分かりにくいですが、上は前寄りのフタの所の断面、その下の全体はレバーの所です。右のレバーは上の2つは砂箱底の排出口のフタ、下の2つはキャブから軸を回すためのレバーです、左が台枠、右が車側です。

平面です

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上が前方で、下のハッチングの平面がモーションプレートで、右の板22番が台枠です。

今回はこれだけ、次回は上周りの部品です。

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2014年1月28日 (火)

一冊の本 5680の詳細図 1

この本は、抜粋のコピーをもらった物なので、全貌が分からないのですが、よくある名称図解の一種ですが、内容は、神戸工場製のD7、後の5680を主とした、図面集とも言えるものです。国会図書館の近代デジタルライブラリーには収められていないようです。

コピーは3人の方々から集めた物で、全てを発表していこうと思います。

まず表紙

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現在の文字に直せば、「鉄道車両 各部名称鑑」とでもなるのでしょうか?最後の字は鑒ですが、現在は鑑が一般的でしょうか、機関車工学の松野千勝が序文を書いていますね。

早速内容を見ていきましょう。

全部が5680の物かどうかは分かりませんので、各自でご確認ください。

順序は、目次がないのでよくわかりませんが、内容を見ての順序とさせていただきます。

概略図です。

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外観図です。先ず正面。

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そして機関車背面。

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側面の外観。

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側面の断面

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平断面

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まだまだたくさんの図面がありますが、コピーが分割した物なので、回転や合成当の作業があり、非常に時間が掛かるので、今後引き続きという事とさせていただきます。

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2014年1月26日 (日)

一枚の写真から 17 機関車編 4000の写真

今回の写真、今日来たばかりです。ほやほやの日本初公開です。

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H.T.T.K.K、北海道炭鉱鉄道の「A」、後の4000ですね。

Dタンク、日本国内では、4030とこれと、神中鉄道1,2くらいですね。その中で最小クラスがこの機関車です。

1901年(明治34年)のポーター製で、カプラー間全長8757mm、動輪直径914mm、全軸距離3226mm、ワム80000くらいの大きさですね。

前後に木製のカウキャッチャーを装備し、ポーター製には珍しい鋼製キャブを持っています。

サイドタンクは違う色で塗り分けられているようですね。

組立図です。原版はジアゾコピーで、コントラストがいまいちですので、カラー画像を掲載します。

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白黒でスキャンした物のコントラストを上げた物。

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鮮明な図面は、近藤一郎氏の「新編H.K.ポーターの機関車」に近藤さんが作図された組立図があります。

この機関車の写真はW.Iコレクションの物しかありませんでした。この4枚だけでしょうか。

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最初の写真と比べると、キャブやリヤタンクのライニングが違いますがほぼ同じですね、まだ日本へ来て間がない時期のようです。

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キュッと引き締まったDタンク、格好いいですね。

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2014年1月25日 (土)

一枚の図面から 13 950という機関車

私が住む神戸という町は、神戸駅を境として東は東海道本線、西は山陽本線と、日本の幹線の境界がありますが、境界は明治時代から変わらず、現在の東海道本線は官設鉄道、西は山陽鉄道という私鉄だったんです。

この山陽鉄道は、元々神戸の隣の兵庫を起点としていましたが、相互乗り入れを実現するため、開業後に神戸まで延長されました、そして西は、馬関、現在の下関まで、私鉄が自力で建設した大私鉄だったんですよ。

その山陽鉄道で、比較的短い区間で、高速旅客列車を牽いていたのが、今回紹介する950と言う機関車です。950と言うのは国に買収されてからの形式で、山陽鉄道時代は、10型の41-50号、10両の仲間が居りました。

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当時最大クラスの1524mmの大動輪を持ち、走行性能を確保するために先従輪を持っています。

前後進共、走行性能は良く、終点で機関車の方向を換える事無く最短時間で折り返し運転が可能で、大動輪を生かした高速性能で、現在の快速列車のような使い方が出来る、魅力あふれる機関車です。

この機関車の図面は、古くから、中尾豊氏の模型化図面が有名(蒸気機関車スタイルブック等)ですが、今回は、この図面の元になった物を紹介しようと思います。

先ずは原形

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この図面は、鷹取工場がBaldwinの図面をトレースした物と思われます。

そして、後年空気ブレーキに改造した図面です。これも鷹取工場の図面で、この図面1枚で全ての工事をした様です。

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この時の写真です。

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私はあまり格好良いとは思いませんが、このタイプが好きとおっしゃる人もかなり居られるようです。

この機関車は国有後の1910年代中ごろから、現在の大阪環状線の東半分、城東線、大阪-天王寺間の運転に充てられ、ボギー客車5両を牽いて、当時の中間駅6駅に各駅停車で20分で走っていたそうです、今は駅が増えていますが21分ほど掛かりますので、蒸気機関車でこの速度で走っていたんですから、すごいですねぇ。

1930年(昭和5年)頃に1070等に後を譲って引退しました、そして1933年に電化されます。この電化までは城東線に1000や1070、片町線は6120改造の1060と、元特急用機関車改造の大動輪の者たちが木造客車を牽いて活躍していたんです。

そんな時代を模型で再現するのも楽しいですね。

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2014年1月24日 (金)

一冊の本 機関車工学 下巻

「機関車工学」の下巻です。

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下巻は、運転関係や整備等なので、模型人にはあまり面白い物はありません。

当時の牽引両数や速度表がありましたので掲げておきます。

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そして機関車の牽引定数

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何か参考になりましたでしょうか。

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2014年1月23日 (木)

一冊の本 機関車工学 中巻

今回は中巻、「機関車工学」の中核をなす巻です。

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先ずは弁装置、スティーブンスン式

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ジョイ式

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ワルシャート式

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次はシリンダ。アメリカ製の場合、上は普通のスライドバルブ、下はピストンバルブです。このタイプが日本に有ったって知ってますか?その話はその内・・・

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ヴォークレインの詳細

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バルブギヤー等が続き、車輪です。当時の車輪断面はこんな感じ

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そして、先・従台車、これは国内向けとの事ですが、ゴム式の復元装置で、恐らく5680の物と思われます。

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平面と断面

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ビッセル台車、どの機関車の物か分からないのですが、復元がバネ式なので、イギリス製?どなたか知りませんか?

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次はブレーキ装置、真空ブレーキの構成です。

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ブレーキが付いた台車と称する図面、これは3700の従台車です、3500はこれのブレーキをやめた物と思います。

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次は台枠。これは5680ですね。

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これはアメリカ型の例

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次は炭水車、これはどうやら標準軌のようなのでイギリスの機関車の物のようですね。

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アメリカの機関車の炭水車

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次はボイラーです。上は5500や6200等、下は5700のようですね

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煙室です、これは9150のようですね。

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中巻は内容が濃いので画像が多くなりました。

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2014年1月22日 (水)

一冊の本 機関車工学 上巻

臼井茂信氏の名著「機関車の系譜図」で不朽の名作と称された「機関車工学」は10代の頃から一度は見てみたいと思った本でした。

この本を岡山の古書店のガラスケースで見つけたのは、憧れ初めて20年以上も経った1997年の事。小躍りして購入したのを思い出します。

「機関車工学」は、森彦三と松野千勝が明治43年に発刊したもので、上中下の3巻からなる大冊です、私のは3巻とも大正2,3年の2版です。

今は。国会図書館の近代デジタルライブラリーでダウンロードが出来るので、誰でも見ることが出来ます。いい時代ですねぇ。ただし、この本は初版だけなので、改訂分はありませんよ。

では、内容の紹介をしようと思いますが、キリがないので、日本の機関車に関する図面等を載せて行こうと思います。

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表装は布張りに金箔押しの装丁です。

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トレヴィシックの機関車から始まる機関車の歴史、そして軸配置ごとの機関車の紹介、これはコンソリデーションですね。

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そして、特殊機関車の紹介、これはアプト式機関車

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そして複式機関車、これはヴォークレインです。

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当時の最新プラクティス、過熱式!、シュミット式の煙管式です。

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これは煙室式

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大正2年の追記で、巻末にはガラットの解説があります、「本邦に於いても之に注目するの必要あり」と書いています。かなり注目していたようですねぇ。

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引き続き、中巻、下巻も紹介します。

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2014年1月18日 (土)

一枚の図面から 12 小湊鉄道 1,2号と、その仲間

今回は、関東の方にはおなじみの、小湊鉄道のBaldwinです。

1924年(大正13年)製、Baldwinでのクラスは10-24-1/4Dで、その156,157です。自連を含む全長9906mm、動輪直径1118mm、Baldwinとしては末期の輸入です。模型に手ごろなタイプですね。

組立図です。

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Baldwinは標準化が進んでるので、煙突なんかはいい加減ですが、Baldwinの組立図はこういう感じの物が多いです。ボイラーは、本体を書いているので、外観上のボイラーケーシングは一回り大きい物で、ドームの下部等を参考に決めると良いかと思います。

1号の竣工写真です。

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格好いいですねぇ。

せっかくなので、同型の、北海道興業鉄道 1号も紹介しましょう。

こちらは1921年(大正10年)製、Baldwinでのクラスは同じく10-24-1/4Dで、その145です。自連に替えてからの全長9931mm、動輪直径1118mm、全長の違いは連結器の違いのみで、端梁間は同じです。北海道興業鉄道は後に北海道鉄道と名前を変え、国有化されて、この機関車は形式3025になりました。

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前照灯の台が増えたくらいしか、違いは分かりません。

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この機関車は竣工写真は持っていないので、島崎氏のこの昭和7年の写真くらいしかないようです。

組立図のままで、前と後ろにライトが付いていますね。

この仲間は、1914年(大正3年)の富士身延鉄道4号に始まり、富士身延鉄道11~16、青梅鉄道5,6、常総鉄道1,7,8、芸備鉄道7があります。

このうち、常総鉄道の1号、H御大の写真です。

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サイドタンク上部にRが付いています、客車もいいですねぇ。

再び、小湊に戻りまして、私が1987年に撮影した部分写真を掲載します。

天気が悪く、屋根の下で暗かったので、ほとんどはストロボ撮影です。機関庫の方に許可を頂いて、上からの写真も撮らせて頂きました。

煙突とスティームドーム。

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サンドドームとキャブ

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サイドタンク上部のハッチ、ヒンジ付で鋳鉄で出来てるようです。

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煙室周り、1号は煙室戸にクリートがないので、これは2号です。

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クリートアップ

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クリーニングホール

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煙室下部のシンダシュート、上のクリーニングホールを開けて、シンダシュートの鎖が付いている板を引き抜くと、管が導通するので、クリーニングホールからホースを突っ込んで、水を流すと、シンダが水と一緒にシンダシュートから流れ出る。

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1号のシリンダ上部

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これから下周り、先台車

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先台車のハートリンク式復元装置、従台車も同じ構造、端梁は木材に薄板を巻いたイメージですが、朽ちている

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前から順に

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他にも写真があります、興味がある方はここからダウンロードできます。

ps.

銕騎さんがおっしゃるステイ、たまたま撮っているのでアップしておきます

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2014年1月15日 (水)

一枚の図面から 11 明治時代の新橋駅

この3連休は、来客が2件であとは仕事、仕事はともかく、お客さんが来てくれるというのは嬉しい事ですね。年末の模様替えをした甲斐があったなぁと思います。

今回の図面は、ちょっと指向を変えて鉄道施設の話です。先日まで特集した初期の機関車のねぐら、新橋駅の事です。

ご存知の方も多いと思いますが、初代新橋駅は、大正3年の東京駅開業と共に旅客駅は廃止されて汐留貨物駅となり、JR発足直前の貨物駅廃止と共に大規模な発掘調査が行われ、多くの遺構が発見されて、当時の巨大な鉄道拠点の全貌を見るに至りました。

現在は埋め戻されてしまって、駅跡には初期の本屋を模した施設を作って公開しているのはご承知の通りです。

今回の図面は、明治14年当時の新橋駅の配置図です。日本鉄道史上巻からのコピーです。

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左下の「停車場」と書かれているところが、現在「旧新橋停車場」として復元されているところです。初期はこのような感じで、ぐるりと3方を汐留川が巡っていて鉄道と船の連絡運輸を考えています。

駅の海寄りに客車庫や機関庫があります、最初の機関庫は扇形庫だったのは面白いですね。

図面下部の貨物ヤードにはすでに貨車用の小型転車台がありますね。

この頃に撮影された写真があります。

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機関庫は瓦葺の木造で、6線あります。

真ん中で煙を上げて出発しようとしてるのは、1月3日にアップした「一枚の写真から 13 機関車編 ブレーキヴァンが付いた機関車」の機関車9号です。ブログの一番下の写真の頃ですね。

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中央で煙を上げてるのは、23号、後の165、何と!明治村で今も煙を上げている12号の生まれて間もない頃の元気な姿なんです。そして向かって左隣で向こうを向いているのは、こいつの先輩、2~5号、後の160~163のどれかです、まだキャブ前板が横とつながっていませんね。

そしてその左が、1号機関車、後の150です。日本での機関車の機関車の大改造前の原形に近い姿を撮った唯一の写真で、キャブの前妻の窓を大きくしていますが、それ以外は原形からさほど変わっていない状態です。

転車台は中央の柱でやじろべえのように支えるタイプで、手前のフタは、中心ピンのカバーです。明治村に設置されているのも同じようなタイプですね。

これは明治村の機関庫前の物

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そして、新橋駅周りの設備はどんどん大きくなり、明治30年にはこんな感じに

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もはや扇形庫は無く、横浜方に転車台が追加され、機関庫や客車庫等が横浜寄りに移動して、代わりに新橋工場が大きく拡張されています、汐留川からの荷揚げ設備も充実しています。

そして、新橋駅末期の明治44年

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追加された転車台は、横浜寄りに移動して大型化されている。客車等の車庫が大きくなり工場はさらに拡張して、火力発電所も作られ、工場設備が電化された。もはや飽和状態の様に見えますね。

この後、新橋駅と新橋工場は廃止されて、全体が大きな貨物駅となって再出発となります。

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2014年1月11日 (土)

旧作の記録 E50の製作

しばらく実物が続きましたので、模型の事を書こうと思います。

この機関車は、私が所属する模型クラブ「冗車会」で2008年秋の運転会に向けて競作の企画がありまして、お題は「幻の車両」、この分野は好きなメンバーが多くて盛り上がったんですが、私はかねてからぜひ作りたかったこの機関車に決めました。

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見ての通り、昭和18年の計画で、計画形式KE50、軸配置1-E-1の機関車です。上周りはD52をベースとして、煙管を500mm延長したもの。下周りは第5動輪から後ろをD52と共通化して燃焼室前端と最後位の動輪の距離はD52と共通で、ここから前はオリジナルとなります、後に登場したE10の動輪の軸距離は1450ですが、この機関車は1420と30mm狭くなっています。動輪群のせいで、シリンダはD52より前に出て、煙室前端とシリンダの関係はD52よりだいぶ短くなりましたので、前のイメージはD52よりだいぶソフトになります。動輪とサイドロッドは鉄道模型社のE10の物がありましたので、それを使いましたので、動輪軸距離は18mmとなりますので、80倍で1440mmE10とKE50のちょうど間の寸法ですね。

この形式図に軸距離を1440として模型化したのがこの図面です。20131228004356165_0001l

内部構造、R750上での各部の動きの検討もします。

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ギヤーボックスやイコライザー等、この頃はイコライザーの最終段はバネ用のステンレスで、硬めのバネとしています。ギヤーボックスはいつものクラッチ付、軸箱はベアリングです。

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右の図はモデラの切削パターンです。台枠は快削のt1.5、その他の部品はt1.0です。

2008/03/24 製作開始、モデラで切り出した部品とパーツ類を合わせながら使う部品を考えます。ボイラーとキャブはフォムラスのD52のジャンクパーツを使います。

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台枠上部のバネは、0.4mm残してバネの輪郭を切り抜いた物に、だるまやのバネを半田付けします。こうすれば強度が保てます。

2008/05/25 シリンダは前台枠と一体で、4本のネジで台枠にはめ込んで固定します。

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2008/07/02 灰箱はモデラで削った物を8枚重ね、火室側面は安達のパーツです。

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2008/07/28 下周り仮組

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2008/08/08 軸箱守控えは、M1.0タップ立て

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2008/08/24 ボイラーは7mm延長になるので、ボイラーバンドの所で切断し、中間体を作ります。

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2008/08/24 延長完了

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2008/08/31 ドームもD52用を延長、ランニングボードも作ります。

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2008/10/06 細かい部品や配管・・・・苦手な作業も大詰め

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2008/10/24 運転会前日、テンダーは仮組。

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2008/11/09 ブレーキを作る

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2008/12/26 技工士の健太郎Tがナンバープレートをプレゼントしてくれた。実物と同じ鋳造製

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しばらく間をおいて、2009/05/01 炭水車完成。

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2009/05/06 ゴールデンウィークを使って各部の仕上げをして、未塗装完成!!

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運転会で。

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エンドレスを半周するほどの列車を牽いて快走しました。

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2014年1月 9日 (木)

一枚の写真から 16 機関車編 ただ1両の機関車

新橋-横浜間で最初の機関車たちを紹介してきましたが、1-9号まで終わり、最後の10号です。

この機関車は150と共にただ1両のみの機関車で、イギリスのヨークシャー・エンジンと言うメーカーで1871年に出来ました。日本に来た数多の機関車でこのメーカーの物は結局この1両のみの一人ぼっちの機関車です。

クリスティ報告では、初期の10両の内で最も調子が悪いと書かれていますが、研究家の見解ではそれほどひどくはなかっただろうと言いますが・・・・。

金田さんの「日本最初の機関車群」からのメーカー写真です。

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キャブは小さめの前板と4本の細い柱で屋根を支えているだけ、キャブの前の煙突の様な物は安全弁のカバーです。煙突の前側真ん中辺りの出っ張りは「10」の文字です。

この機関車のメーカー写真はもう1枚あります。

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煙突がダイヤモンドチムニーになっていますね。

ダイヤモンドチムニーは煙突からの火の粉の飛散を防止するための装置で、沿線火災を防ぐため、森林用の機関車には必ず装備されますが、日本の家屋の茅葺屋根を見て、ダイヤモンドチムニーもオプションで注文したようです。

この機関車に限らず、錦絵にはダイヤモンドチムニーを装備した機関車が何枚か見られ、当初はダイヤモンドチムニーを装備していたようですが、茅葺屋根は見た目ほど火に弱いわけではなくて問題ないとして、初期の段階で通常の煙突に替えていたようです。

組立図です。

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イギリスの機関車には珍しく動輪にイコライザーが付いています。

このクラスでは、後の130,140に付いているくらいだと思います。

ランニングボードが低く、全体に小ぶりです。

安全弁がぺったんこのサルター式ですね、スティーブンスン式バルブギヤーの逆転テコが下に有ります。ブレーキ引き棒はロッドのエンドを避けるために変に曲がっていますねぇ。

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1975年に3号に改番された後の原形に近い写真です。

後に水タンクをかさ上げされ、キャブの前の柱に回転する板を付けて、後ろも塞がれましたが、その他は後々までかなり原形に近い状態で推移しました。

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後に大宮の「鉄道参考品陳列所」に展示されたんですが、その時に各部を切開されて痛ましい姿となって、現在は青梅に保存されていますね。

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この写真は青梅へ行く前、大宮に居た頃の写真です。

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2014年1月 8日 (水)

一枚の写真から 15 機関車編 鉄道院の形式が無い機関車

日本最初の機関車シリーズの中で、最も知られていない機関車と言えばこの機関車でしょうか。

当初の6,7号、製造は1871年エイヴォンサイド製、このメーカーの機関車は何両も日本に来てるんですが、みんな独特で面白いですねぇ。

それは、1901年に2両とも日本本土から居なくなってしまって、鉄道院の形式が付けられなかったからですね。

なぜ居なくなったかというと、それは性能が良かったから・・・・

そうなんです、クリスティ報告で、先の160の次に性能が良いと書かれている機関車なんです。

格好いいですねぇ、当初の機関車でも190に次ぐユニークな機関車だと思いますよ。

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キャブの窓がにっこりしてるように見えて、キャブ自体もちょっとかわいらしいですね。

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例によって錦絵

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まさにこれですよね、これもこの機関車ですね。

広重はこの機関車と160が相当気に入っていたようです。

それにしても上の方の画像、海の中に築いた築堤、いいですねぇ。誰かレイアウトで作らないかなぁーーー絵になると思うけどなぁーーー

いつもはこの辺で組立図が・・・なんですが、この機関車図面が無いんですよ、竣工写真も。何方かお持ちじゃないですか?

この機関車、1901年に2両とも台湾に行った・・・・・んですが、この2両、明暗が激しいです。

1両は台湾に着く前に海難事故で水没、もう1両は台湾で活躍して、なんと今でも保存されているんです。金田さんの写真です。

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下のW.I コレクションの写真と比べて、ほとんど変わってませんねぇ。バランスウェイトも原形のままです。

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煙突のキャップが無くなってるくらいでしょうか。

機関車研究家の方々が何人も台湾まで行かれていますが、いっぺん見てみたいですねぇ。

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2014年1月 5日 (日)

一枚の写真から 14 機関車編 日本最初の開業式の列車を牽いた機関車

1号、8,9号と来たので、今回は最大勢力の2-5号、後の形式160の160-163を紹介します。

この機関車はクリスティ報告で、最も性能が良いと言われた一群で、1872年10月14日(新暦)の開業式の列車を牽引したのがその証と言えますね。

記念列車は、5号と2号の重連で牽引したのが、Far East誌に載った写真の拡大で判明しています。

この機関車の竣工写真です。

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そして開業間もない頃

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キャブの前妻、変ですねぇ、小っちゃい板が立っていて、4本の柱で屋根を支える構造。

なぜ、前妻を一体化しなかったんでしょう?、実は当初はキャブはこの前の板だけで、横の柱も屋根も無かったんだそうです。異様ですが、当時のイギリスでは珍しい物ではなかったようです。これはメーカーでの検査で屋根が追加になってこの形になったそうです、それにしても前妻くらい作り変えたらいいのにと思いますね。

図面です。

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さすがに140年前の図面って感じですねぇ。

この機関車も先の190のような排気を遮断するブレーキがあります、この機関車の場合、煙突直下のワイングラスの様な物がそれです。

この機関車は両数も多く、調子も良いとの事で、錦絵では非常に多くの題材になっています。前に紹介した物も全部この機関車ですね。今回はこんなのです。

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明治22年発行ですが、開業式をイメージして書いた物のようです。機関車の前妻は、側まで板でつないだ状態で書かれています。

この機関車は後にキャブ背面を改造され、特徴的なひさしは後ろはカットされてしまいました。

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2014年1月 3日 (金)

一枚の写真から 13 機関車編 ブレーキヴァンが付いた機関車

1号の次は2号かというとそうではなく、8,9号です。

この機関車は後の形式190で、最初のDubs製の機関車です。

金田茂裕氏の「日本最初の機関車群」から。

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そして、後ろにブレーキヴァンと称する車両を連結した状態。

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そしてもう1枚、ノースブリティッシュのカタログから。

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製造当時をしのぶ写真はこの3枚だけだと思うんですが、問題は後の2枚、ブレーキヴァンと称する車両の存在がこの機関車の白眉です。

この機関車、本体にはブレーキシューがありませんね、そしてブレーキヴァンには付いている、これは5000の場合と同様で、5000の場合は炭水車のみにブレーキが付いています。という事はこの機関車は5000と同様、ブレーキヴァンを連結して運用するという事ですね。

ところが、ここに大きな疑問が・・・、それは、このタイプは機関車が2両でブレーキヴァンは1両しかないのです。これでは、2両のうち1両しか使えないという事になり、開業に当たって購入したばかりの物でこれはふつうありえません。機関車2両、ブレーキヴァン1両で済む方法は・・・

これがこの機関車の謎なんですよ。ここで、この機関車の組立図を見て頂きましょう。

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これの前後の連結器、変な形ですね、これの解析は「SL No.3」と金田さんの「日本最初の機関車群」を参照いただくとして、通常はバッファとスクリュー連結器ですよね、図面の連結器が実際に来た機関車とは違うという事で、当時中古品説も出たようですが、メーカーの竣工写真でもこの連結器が付いており、日本に送る時に付け替えた物と思います。そして注目は、後ろに連結されている車両、ブレーキヴァンなら、台枠が車輪の外側にあるはずですが、この図では内側、よくよく見ると、これは前の機関車と同じ物です。という事は前後反転に連結した、鉄連の双合機関車と同じ。前後の機関車の屋根は別の物を上にかぶせているようなので、屋根は同じで、違いは渡り板のみのようです。

この状態では結局前にも後ろにもブレーキが無いという状態です。後ろの機関車のみブレーキが付いている可能性も考えましたが、動輪が後ろいっぱいまで来ていて、ハンドブレーキの軸を付ける場所がありません。これではブレーキは成り立ちませんね。後にブレーキを付ける改造をした時は、台枠を後ろに延長してブレーキ軸を付けています。

この状態でブレーキを掛けようとすれば、どちらかの機関車を逆転するくらいしかないように思います。ブレーキ側の機関車のレギュレータを絞っても、惰行状態と同じで、スライドバルブが浮くことでシリンダーではブレーキが掛かりませんね。それでは本当に全くブレーキが無かったかというと、そうでもなくて、この図面の側面図のシリンダ排気管の下の方を見て頂くと排気管の中心線上にレバーが付いた蝶ナットを上から見たようなものがあります。この横にはSteam Brakeと書いています、これはレバーで回転するようになっていて、蝶ナットの様に見える物は、前から見ると円形で、90度回転したら排気管を塞ぐ形になります。これによってシリンダー内の圧力が排気されないようにしてブレーキを掛けるものです。恐らくレギュレータは少し開いてスライドバルブの背圧が利く状態で、バルブギヤーはニュートラルで、この弁を塞いだのではないかと思います。しかし、このような物で完全にふさげる物でもなく、最終的には自然に停止を待つか、別の機関車で逆転させるかとなって、営業運転では使えそうもないと思うんです。

ここからは私の想像ですが、これはDubsで双合機関車の構想を立て、それ用の連結器の特許も取って実際に作ってみた試作機ではなかろうか?作ったのは機関車2両でこの組立図の状態。当時は3’6”の鉄道が増えていた時代でしたので、このサイズの販路も考えに入れたと推察されます。そして日本から機関車の打診があり、この機関車を売り込んだのではないかと・・・

新橋-横浜間は当面必要な鉄道という事で、後の東海道線の一部と言う考えはなく、単独の支線と考えられていたのですが、考えてみると、この間32㎞の間で昼間のみ1時間間隔で1日9往復、運転時間53分の線で、当初輸入された機関車は10両!ダイヤから考えると4両で運行できるので、普通に考えれば予備機も入れても6両もあれば足る事になります、それに、新橋、横浜での入換機関車(これは予備機でもまかなえそうですが)各1両で総勢8両もあれば充分な営業が可能と思われます。

またまた私の想像ですが、それプラス特殊用途の2両、これがこの機関車ではないかと思うんです。上記の様にブレーキに弱点があるので、売り込みに際して2両の間にブレーキ車を付けて、円滑な運転ができるようにしたと思えば、両数の問題は解決です。これにはもう一つ理由があり、写真では、機関車の反対側に手ブレーキハンドルがあります。ブレーキリンケイジから考えると、機関車側にも手ブレーキがあるとは考えられず、この写真の状態での運行は考えにくいと思われます。

ではどんな特殊用途か・・・

ブレーキヴァンをよく見ますと、側面中央に大きな観音開きの扉があり、相当大きなものが積めそうです、また、屋上にはランプカバーがあるので、人が載ることも考えられます。ここで、上から2番目の写真をご覧ください、妻面に窓のような白で四角い物があります、これは窓を表しているようですが、透視図の手法で線を引いてみると、各辺の角度や高さが成り立っていません、反対側の側面に壁があるのに、こんな真っ白に穴が見えるのもおかしい事で、3枚目の写真の様に黒くつぶれるのが普通です。以上の事から、この窓は、「窓が開いている」という事を説明するために写真に細工をしたものと思われます。ただ、側面に窓が無く、人が載るので、この位置に窓があるのは妥当なので、このような位置に窓があったと考えるべきだと思います。

という事は・・・大きな物が積めて人が乗れて、しかも前後に自由に動ける・・・・

私は、不測の事態に備えての事故救援車ではなかったか?と思うんです。全く初めて作る鉄道ですので、脱線事故や、大型動物(牛や馬)との衝突等で脱線事故が多いと考えたモレルがそういう場合に対応できる車両として準備したんではないか?ブレーキヴァンにはジャッキや枕木や複線器等も詰めるし救援要員も乗れます。事故があったら列車を組成することなくすぐに出動できます。

ところが、実際に営業を始めてみるとそのような事故はほとんど起こらず、準備した機関車に調子の悪い物(後の110や150)があって、列車運用に使おうと考えたと思うんですが、列車単位は重連を要するほど大きくなく、片方のみの力行で充分という事であれば、方向転換が不要というメリットだけで、有効長は長いし、乗務員は倍要るし、力行しなくても保火は必要で燃料を使うし・・・そんなわけで非常に不経済な物となったと思います。

ですから、1両だけ手ブレーキを装備する改造をして独立させ、もう1両はブレーキヴァンを写真と反対でブレーキが機関車側に来るように連結した状態で営業運転をしたのではないかと考えるんですが、皆さんはどう思われますか?

ここで錦絵、先ずは国輝。

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そして幾英。

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機関車は明らかにこれですねぇ、国輝はブレーキヴァンの様に見えます。幾英は炭水車のように見えますが、京浜間には当時テンダ機関車は居なかったので、単に石炭を積んでいる無蓋車の様に思います、そしてこの幾英の絵はキャブが後ろに延長されていますので、手ブレーキ付に改造された後ですね。

写真はこんな感じです、番号は違いますがぴったりでしょ?

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この後、2両とも手ブレーキ付に改造して、ブレーキヴァンは廃車になったか、別の車種に改造されたと思われます。

後に大改造を受けて、原形がほとんどわからないくらいに改造されてしまって普通の機関車になってしまいました。まぁ、それはそれで格好いいんですが・・・

ものすごい長文になってしまいましたが、これを書くのにあれこれ考えて5時間も掛かったという事でご容赦ください。

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2014年1月 1日 (水)

一枚の図面から 10 150組立図

あけましておめでとうございます

昨年10月にブログを始めて、初めての正月を迎えましたので、日本最初の機関車達のうち、当初の1号、後の形式150を取り上げます。

先ずは、THE ENGINEERの1871年2月24日号

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鉄道博物館の保存機やW・I コレクションで見られる形からは相当かけ離れていますが、現在の姿は、神戸に居た頃にライトによって改造されたようです。私は絶対に原形の方がかっこいいと思います。

150の組立図ならTMSや機関車の系譜図で知ってると言う方が多いと思いますが、それらは荒井文治氏がメーカーの組立図を元に作図された物で、側面と正面だけです。

その図面の元となった組立図のコピーもあるのですが、青焼で比較的鮮明なんですが、今回は、別に入手された、オリジナル図面のマイクロフィルムから焼かれた図面を見て頂きます。この図面は、金田茂裕氏が1,990年に発刊した「日本最初の機関車群」で作図された組立図の元になった物です。

縮尺は1/8、図面日付は1870年10月16日、明治3年ですね、143年前の図面です。

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上記の青焼図と同じ物ですが、青焼図には色々と書き込みがあります、青焼図は全体に線が太く、書き込みは白文字なので、原紙のコピーに書き込まれた物を青焼したものと思われ、今回の図面はメーカーに残されていた原紙をマイクロフィルム化した物と思われるので、青焼図は日本に図面が来てからコピーされた物に記入した物ではないかと想像します。

その青焼図の表題付近の書き込みです。

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1番上は、No.1 First Engine xxxxxxxx Japan と書かれているようで、日本に来てからライト辺りが書きこんだのでは?とも思えるのですが、不鮮明で、英文の筆記体に慣れていない私には読めない言葉が多いのですが、どなたかこれを読解して頂けないでしょうか、そうすればこの図面の出所が分かりそうな気がします。

さて、話を組立図に戻します。

ボイラーは非常に低く、ボイラー下部はランニングボードより下になっています。煙室扉はランニングボードギリギリですね。

平面図を見ると、車輪と台枠のクリアランスの少なさに目を引かれます、車輪のバックゲージは3’3”、台枠の外側幅が3’1-1/4”でクリアランスは7/8”(22.23mm)しかありません、1/80では0.28mm!、板台枠の厚さも同じ7/8”(22.23mm)ですねエンドビームは当時の標準の木製です、連結器、フックは、後部はしっかりと踏ん張りを利かせた枠にたけのこバネが付いていますが、前部は端バリにボルト付けしただけ、バック運転時の牽引ショックは吸収されない物となっています、開業当初から新橋も横浜も転車台があったので、バック運転での営業列車は考えていなかったと推察されます。

そして、メインロッドの大端!二股に分かれてますねぇ、こんなのは他に見た事がありません、後のW・I コレクション等の写真では一般型に改造されています。

先輪は軸箱部でわずかに横動を許しているようですが、数ミリ程度の様で、台枠の補強のアングルとギリギリです。前に作った160もそうですが、このクラスは先輪はラジアル台車等にしないで固定軸が多いですね。

先輪後部の上方に第1動輪用の砂箱がありますが、第2動輪用は、キャブの床から少し下がった所に漏斗状の物があるだけです。バック運転の時は機関助士が直接砂をこの間に入れたのかも知れません、まぁ上記の様にバック運転はあまり想定していなかったとすればこのような形でも良かったのかもしれませんね。

バネ装置は、先輪と第1動輪は普通の板バネのみ、第2動輪は断面図の様に枕木方向にバネがあり、中央にピンがあって、左右の力を平均化するようになっています、これは160も同様ですが、日本に来たイギリス製ではあまり見ない方式の様に思います。

ル・シャトリエの反圧制動機が付いてるそうですが、図面からは配管くらいしか分かりません、通常のブレーキは手ブレーキのみで、ブレーキシューは木製です。

この機関車は、新橋-横浜間を走った後、1880年に神戸に転属、大改造され、1885年からは武豊線、後に大船-横須賀間に転じ、明治中期以降は大阪駅の入換用だったそうです。1911年(明治44年)に島原鉄道へ行き、1930年に保存のために鉄道省に戻りました。その時の、島原鉄道社長の「惜別感無量」の銘板は有名ですね。

島原鉄道の頃の写真です。

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上記のメモに付きまして、HI氏からコメントを頂きました。

全文を紹介します。

>1号機関車の図面に追記された英文ですが、日付の書き方からする >と、頃は1933年、2行目は、New in the museum Omiya, Japan に見え>ますね。Wikipediaによると「国鉄返還後大宮工場で整備され、工場内>にあった「鉄道参考品陳列所」で仮展示されていた」らしいので、その>ときのものではないかと思いました。日付の次の行は判読がむずか >しいですが、59 yearsから、59年振りの再整備?あたりなら、>1872+59=1931で、辻褄はほぼ合いそうです。最後の署名も             >「Mating surface Lee bolan」なら、「あわせ面加工 リー・ボラン」となり>ますが、果たしてどうでしょうか。

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