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2014年1月 1日 (水)

一枚の図面から 10 150組立図

あけましておめでとうございます

昨年10月にブログを始めて、初めての正月を迎えましたので、日本最初の機関車達のうち、当初の1号、後の形式150を取り上げます。

先ずは、THE ENGINEERの1871年2月24日号

1the_engineer_l

鉄道博物館の保存機やW・I コレクションで見られる形からは相当かけ離れていますが、現在の姿は、神戸に居た頃にライトによって改造されたようです。私は絶対に原形の方がかっこいいと思います。

150の組立図ならTMSや機関車の系譜図で知ってると言う方が多いと思いますが、それらは荒井文治氏がメーカーの組立図を元に作図された物で、側面と正面だけです。

その図面の元となった組立図のコピーもあるのですが、青焼で比較的鮮明なんですが、今回は、別に入手された、オリジナル図面のマイクロフィルムから焼かれた図面を見て頂きます。この図面は、金田茂裕氏が1,990年に発刊した「日本最初の機関車群」で作図された組立図の元になった物です。

縮尺は1/8、図面日付は1870年10月16日、明治3年ですね、143年前の図面です。

Vulcan_foundry_150_7838_l

上記の青焼図と同じ物ですが、青焼図には色々と書き込みがあります、青焼図は全体に線が太く、書き込みは白文字なので、原紙のコピーに書き込まれた物を青焼したものと思われ、今回の図面はメーカーに残されていた原紙をマイクロフィルム化した物と思われるので、青焼図は日本に図面が来てからコピーされた物に記入した物ではないかと想像します。

その青焼図の表題付近の書き込みです。

150_002

1番上は、No.1 First Engine xxxxxxxx Japan と書かれているようで、日本に来てからライト辺りが書きこんだのでは?とも思えるのですが、不鮮明で、英文の筆記体に慣れていない私には読めない言葉が多いのですが、どなたかこれを読解して頂けないでしょうか、そうすればこの図面の出所が分かりそうな気がします。

さて、話を組立図に戻します。

ボイラーは非常に低く、ボイラー下部はランニングボードより下になっています。煙室扉はランニングボードギリギリですね。

平面図を見ると、車輪と台枠のクリアランスの少なさに目を引かれます、車輪のバックゲージは3’3”、台枠の外側幅が3’1-1/4”でクリアランスは7/8”(22.23mm)しかありません、1/80では0.28mm!、板台枠の厚さも同じ7/8”(22.23mm)ですねエンドビームは当時の標準の木製です、連結器、フックは、後部はしっかりと踏ん張りを利かせた枠にたけのこバネが付いていますが、前部は端バリにボルト付けしただけ、バック運転時の牽引ショックは吸収されない物となっています、開業当初から新橋も横浜も転車台があったので、バック運転での営業列車は考えていなかったと推察されます。

そして、メインロッドの大端!二股に分かれてますねぇ、こんなのは他に見た事がありません、後のW・I コレクション等の写真では一般型に改造されています。

先輪は軸箱部でわずかに横動を許しているようですが、数ミリ程度の様で、台枠の補強のアングルとギリギリです。前に作った160もそうですが、このクラスは先輪はラジアル台車等にしないで固定軸が多いですね。

先輪後部の上方に第1動輪用の砂箱がありますが、第2動輪用は、キャブの床から少し下がった所に漏斗状の物があるだけです。バック運転の時は機関助士が直接砂をこの間に入れたのかも知れません、まぁ上記の様にバック運転はあまり想定していなかったとすればこのような形でも良かったのかもしれませんね。

バネ装置は、先輪と第1動輪は普通の板バネのみ、第2動輪は断面図の様に枕木方向にバネがあり、中央にピンがあって、左右の力を平均化するようになっています、これは160も同様ですが、日本に来たイギリス製ではあまり見ない方式の様に思います。

ル・シャトリエの反圧制動機が付いてるそうですが、図面からは配管くらいしか分かりません、通常のブレーキは手ブレーキのみで、ブレーキシューは木製です。

この機関車は、新橋-横浜間を走った後、1880年に神戸に転属、大改造され、1885年からは武豊線、後に大船-横須賀間に転じ、明治中期以降は大阪駅の入換用だったそうです。1911年(明治44年)に島原鉄道へ行き、1930年に保存のために鉄道省に戻りました。その時の、島原鉄道社長の「惜別感無量」の銘板は有名ですね。

島原鉄道の頃の写真です。

1l

上記のメモに付きまして、HI氏からコメントを頂きました。

全文を紹介します。

>1号機関車の図面に追記された英文ですが、日付の書き方からする >と、頃は1933年、2行目は、New in the museum Omiya, Japan に見え>ますね。Wikipediaによると「国鉄返還後大宮工場で整備され、工場内>にあった「鉄道参考品陳列所」で仮展示されていた」らしいので、その>ときのものではないかと思いました。日付の次の行は判読がむずか >しいですが、59 yearsから、59年振りの再整備?あたりなら、>1872+59=1931で、辻褄はほぼ合いそうです。最後の署名も             >「Mating surface Lee bolan」なら、「あわせ面加工 リー・ボラン」となり>ますが、果たしてどうでしょうか。

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コメント

あけましておめでとうございます。
今年も記事のアップ、楽しみにしております。

お正月から、この図面を見て怒ってます。
と言うのが、昭和40年の図面がここまで綺麗に判別できないため!
それより100年近く前の技術者の姿勢が立派なのでしょうね?

投稿: ひからび | 2014年1月 2日 (木) 04時07分

ひからび様
当時の設計技師と言えば、今の様にその辺ゴロゴロしてる俺らとは格が違うからねぇ。

某所で見た、戦前の原紙は綺麗やったなぁ・・・絹のような薄い布の表面をコーティングしたようなもので、周りは折り返して縫っているもの。それに墨入れをして、ペンで書いた字が達筆で・・・額に入れて飾りたいと思ったけど、その後マイクロフィルムを撮って、燃やしてしもたんやろなぁ。

昭和40年頃はまだ青焼やったと思うけど、ジアゾになってからは退色がひどくて、ちょっと古くなったら黄色くなってしまって判別出来ん。

投稿: クラーケン | 2014年1月 2日 (木) 11時48分

HI氏からメモの解析と翻訳を頂きましたので、本文最後に追記しました。これに対するご意見もお願いいたします。

投稿: クラーケン | 2014年1月 2日 (木) 18時29分

クラーケンさん、お正月から面白い記事です。

色々考察するのは面白いですね。
全く自信は無いのですが、図面と現物の照合をしたか、図面が正しいかのサインではないかとも思えるのですが?
古い機械の図面を現物と照合する時に、現物を測ったサイン入れるときありますから・・・・。

ただ、1933年と言えば、もう国内ではある程度の設計者が居たので、外国人のサインがあるのが以外と思いました。
メーカーに問い合わせたことも考えられますね?

兎に角、考えていると面白いです。

投稿: ひからび | 2014年1月 2日 (木) 20時39分

New in the museum Omiya, Japanではなく、Now in the museum Omiya, Japanじゃないと変でした。訂正します。おっしゃるようにこの時代に外国人の署名はナゾですね。

投稿: H.I | 2014年1月 2日 (木) 21時10分

VULCAN FOUNDRY LOCOMOTIVES 1832-1956
という本が手元にあります(ISDN:0 85153 215 2)

この中で150形の原型写真に注釈が付いてますが、まずはその原文を以下に示します。

The first locomotive for the Japanese 3ft. 6in.gauge lines was delivered in 1870.
In service for 59 years, this locomotive is now preserved in a museum in Omiya.
(以下略)

本の奥付きによれば1976年刊行なのですが、大宮に鉄道博物館ができたのは2007年ですよね。
私が本を購入したのは2010年頃なので、再版のたびに注釈を更新してきたのかもしれません。
いずれにしても、59年間稼働したという記述などからみても、近年の書き込みと思われます。
この青焼きはいつ入手されたものでしょう。

投稿: フレッド折澤 | 2014年1月 2日 (木) 23時53分

フレッド折澤様
59年稼働したという事は、日本に到着した1871年+59年=1930年(HIさんのとは開業前から工事用に稼働していたと思われるので1年前倒しとしました)で島原から鉄道院に戻った年と一致します。
鉄道博物館は当初東京駅構内にあり、関東大震災で焼失後、万世橋に本格的な物として1936年に開館しました。
この機関車は1930年に鉄道院に戻った後、HIさんの解析により、1933年に大宮の博物館に入ったと推察されます。
この大宮の博物館とは、当時大宮工場内に存在した「鉄道参考品陳列所」と考えるのが妥当と思います。当時ここには110が切開された状態で展示されていましたので、開業当時の2両が居た事になります。
そして、万世橋の鉄道博物館が開館した時に移された物と思います。
青焼図面はスキャンデータを人から頂いた物で、相当昔の物です。

投稿: クラーケン | 2014年1月 3日 (金) 00時37分

なるほど。
本が刊行された1976年にはこの機関車は万世橋にいたはずですが、本の記述が図面の書き込みに頼ったのかもしれませんね。

投稿: フレッド折澤 | 2014年1月 3日 (金) 01時07分

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