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2013年12月

2013年12月31日 (火)

一枚の図面から 9 4500組立図

4500はスタイルブックに図面があるし、機関車の系譜図や金田さんのJ.A.マッファイの機関車にも組立図があるので、それが最終的な形だと思っていたんですが、これを見てください。

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ちょっと前が切れてるんですが、もし手元に上記の組立図が有れば比べて頂きたいと思うのですが、一見よく似ているのですが、従来の組立図に加筆して、一部変更したのが本図で、これが最終的な組立図となるようです。

図でご覧の様に、後部台枠はシリンダの上で上へ上がり、ボイラー下部に沿って前方の第1動輪後方で前部台枠を押さえるようになっています。

普通に考えると、第1第2動輪の中央で落とすべきとも思えるのですが、模型と異なり、後部シリンダ中心の少し前、高圧蒸気管の関節の回転中心に合わせて前部台枠の回転中心ピンがあり、上記の後部台枠から来た荷重受けは全く上下することはない、左右回転だけで、上下方向は一切動かないようになっているので、前部台車の荷重点はどこでもよいという事になりますね。ただ、後ろ過ぎでは第1動輪に重量が伝わりにくいし、前過ぎでは左右の偏倚が大きくなるので、この位置が適正だったんだろうと思います。ここは単に滑るだけの様に思います。

本図で目立つのは、従来の図面になかった第1、第3動輪のブレーキシューです。これは貨車の様に従来からあるブレーキの動きを利用して反対方向に力を伝える、貨車なんかに良く使われる手法で、無理やり入れたような感じですね、日本鉄道が勾配用で使うために、設計変更で付けたのかもしれませんね。

それから、外観上で大きく目立つ煙室戸、この図面をよく見ると、ボイラー中心より下がっていますね。ドイツの機関車にはよく見る手法ですが、従来の組立図では中心なので、これも設計変更で変わったと思われます。煙管を1本でも多く入れるための方策ですね。

写真をよく見ると実際下がっているのですが、ハンドレールがあって気が付かない事が多かったと思います。

綺麗なメーカー写真が手に入ったので、ご覧ください。

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下周りは赤色に見えるのは私だけ?

下周りを赤に塗って上周りは黒でライニングを入れたら綺麗でしょうねぇ。

追加のブレーキや、煙室扉のズレも分かりますね。

後部の煙突状の物は、複式なので後部の煙突は不要で、単なる安全弁カバーではないかと思います。

煙室下部左から出ているホースは何でしょうねぇ、エジェクターの排気管が見られないので真空ブレーキはないようで、4510の写真では真空ブレーキ用のホースがはっきりと分かるんですが、本機のは細いし負圧用とは思えないので・・・・

車輪冷却用の水管でしょうか?、この時代の機関車に有ったというのは聞いたことがありませんが、可能性はあるかと思います。

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2013年12月29日 (日)

旧作の記録 8620

今回は35,6年ほど前の実験機です。

前年に6760を3点支持のイコライザーに改造して、テンダーの重量の一部を機関車に掛ける方法でそこそこのけん引力が出たのですが、それを元に色々と考えて、思いついた形で作ってみたのが、この8620です。

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ベースはトビー製の中期の軸バネ可動になった時の物、せっかくの軸バネですが、軸箱付という事で、それにイコライザーを掛けるようにしたもので、第1動輪中心を1点、第2,3軸を左右でつないだイコライザーとして先輪を無視したもっとも簡単な3点支持です。

後に先輪以外の軸箱をベアリングに替えて、クラッチ付のギヤーボックスを作った物です。

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ウォームは当初天賞堂パワートラックのプラスチック物を使っていたんですが、割れてきたので、数年前にだるまや製に交換。第1動輪は中央にベアリングを入れて上から板で押さえています。

まぁ、機関車の方は特に特徴も無いのですが・・・・

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炭水車はこんな感じ。

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大きなウェイトがt1.0の板で作った台に乗り、その上部前端と後端に横方向に軸が出て、

それが変な形のイコライザーにつながっています。

ウェイトは3分割で作り、一番後ろを最後に撤去した状態です。

ウェイトの前部を持ち上げると・・・

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後ろも前と同じように上がっているのが分かるでしょうか?

そう、このイコライザーは、機関車のドローバーを押さえつけるウェイトを効率よく掛けるため、前を上げるとウェイト全体が持ち上がるので、その力が重量として機関車に掛かるという物です。

三角の物2個が車体側です。

ですが・・・

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機関車につなぐと、ウェイトは上がらず、それより軽い炭水車本体が持ち上がってしまいます。これではだめですねぇ。

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ここを押さえつけてやると、車体は下がって、ウェイトが前も後ろも上がる。

という事で、炭水車の車体の前部には出来る限りのウェイトを積み、石炭も実は大きなウェイトの上に薄く乗っているだけなんです。

車体側に目いっぱい積んでも、浮き上がりが治らなかったのですが、可動ウェイトの一番後ろを撤去すると沈んでくれました。

今ならイコライザーの支点や作用点にベアリングを使うところですが、当時は非常に高価で、もったいなくて使えませんでした。

イコライザーの回転抵抗は車体側の重量で押さえつけているので、高速走行時に動作が遅れて炭水車の第1軸が脱線するような事はありません、もちろん機関車のドローバーにもきつい目のバネが入っています。

当初は1426だったか?のモーターを使ってたんですが、改造するとウェイトに負けて空転もしない状態になったので、後にエコーがマシマの扁平モーターを発売した時に扁平の1626に交換したところ、空転出来るようになりました。

結果は・・・・

私のクラブの運転会ではいつも真鍮製の客車10両以上を牽いて空転もなく滑らかに快走します。

実は、神戸のある運転会で、出来て間もないこの機関車と6760の重連で、客車を30両ほど牽引してるところを見たH御大が声を掛けてくださったのが、お付き合いしてもらうきっかけになったんです。H御大にとって、その頃から牽引力は大きなテーマだったんですね。

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2013年12月28日 (土)

旧作の記録 9850

今回は、昨日走行写真を載せた9850です。

15年も前の旧作ですが、H御大が「どないなってるの」と興味を示されたので、簡単に説明しようと思います。

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機関車自体は、かの阪神淡路大震災で被災した車両を某模型店が「震災セール」と称して非常に安く売っていた天賞堂製の物です。

被災車なので、ボイラーやテンダーはへこんでるし、部品も取れてるし、バルブギヤーが曲がっていたり、クランクピンまで曲がっていました。

とりあえず塗装をはがし・・・普通ならこの辺で写真なんですが、デジカメ時代以前なので、全然写真を撮っていません。下周りは、ベアリングを入れてイコライザーやギヤーボックスも作るので、台枠は完全にばらして、軸箱部は3x6のベアリングを入れるため、フライスで6mmに広げました、動輪押さえ板は嫌いなので、幅1.5mmの軸箱守控えを作って、M1.0のタップを立てて、各軸毎にねじ止めしました。

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イコライザーは前後共左右2点づつで、最終は線バネです。ギヤーはいつもの振り子式クラッチ付で、この頃の私の標準、モジュール0.5のスパーギヤーで、モーター部はカツミの1:14を使っています。

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当時の図面です。

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前部台車

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ギヤーボックスの前は前部台車の荷重受け、2x4のベアリングで左右に転がる、当然バネはなし。

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後部主台枠

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前後組立、ボイラー側の右の四角く光ってるところは、前台枠の荷重受けを受けるところ

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前台枠のギヤーボックス

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後台枠のギヤーボックス、モーターは1630

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炭水車はウェイトを機関車のドローバーに掛ける方式です。

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後部に回転軸を付けて、ウェイトが炭水車と別に上下する構造です。

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ウェイトを持ち上げた状態、ドローバーはきつい目のバネに換えて、線路の起伏によってこのウェイトが上下して常に機関車に荷重が掛かるようになっています。

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この方式は従台車の無い機関車には有効で、

モーターが火室に入る場合の、後ろにウェイトを積めないデメリットが無くなり、煙室部まで一杯にウェイトを積んでもバランスが大きく狂わないので結構牽引力が稼げますよ。

この頃のカツミのウォームギヤーは、安かったけれど、角度が違うのかウォームがものすごく摩耗します。当時はこれを標準にしていたので、大量に買いましたが、現在はだるまや製を標準にしています。モジュールは0.25と半分なのに、精度が高く摩耗はほとんどありません。

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2013年12月27日 (金)

千曲鉄道訪問

先日、西宮のH御大のお宅へ行ってきました。

かの有名な千曲鉄道です。日本有数の個人レイアウトです。いつお伺いしても整備は万全。有名な急こう配は28パーミルだそうです。

今回は、借りていたアルバムをお返しするのと、友人のT健太郎を紹介するのが目的、ハタ坊さんを交え、運転に歓談に非常に楽しい時間を過ごさせて頂きました。

今回、私は旧作の9850を持って行きました。これは大分前に天賞堂の9850を改造した物で、私の古典機関車随一のけん引力を持つもので、今回は急こう配の腕試しです。

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伺った時に、9750重連で牽引していた列車の機関車を付け替えて走らせましたが、さすがに急こう配でストップ、編成の中間に2軸のユーレイを入れてもらったら勾配も問題なく登ることが出来ました。実際、このユーレイが無ければ、クラッチ付の私の機関車は下り勾配でノーブレーキになるので、下りではちょうどいいブレーキになりました。

それにしてもマレーが似合うレイアウトです。

次はT健太郎くんの6760、これは機関車のモーターからテンダーまで伝導軸を伸ばして、動輪とテンダー車輪のうちの2軸、計4軸駆動の強力機関車です。

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ムサシノの客車を主体とする金属製客車6両を空転もせずにぐんぐん登ります。

そして、筑前参宮鉄道ジハ1

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小型なので、向こうの方に行ってしまったらさびしいので、駅の近くで撮影。

変わったバルブギヤーや色んなギミック満載の「おもろい」やつです。

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2013年12月26日 (木)

一枚の図面から 8 3軸貨車トキ900の下周り

3軸貨車は貨車に限らず、日本では種類が少ないので興味ある人は多いかと思いますが、軸受周りの構造は意外に知られていないようです。

私が持っている資料から、この軸受周りを検証していきたいと思います。

先ずは全体図。

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台枠図。

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そして端の走り装置

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端の軸箱守

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そして端の軸箱

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軸箱守の幅22mmに対して、軸箱のスリットの幅は30mm、左右の横動は4mmづつです。

そして中央軸

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中央軸の軸箱守

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そして中央軸の軸箱

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軸箱守に対して、軸箱はスリットではなく、中心寄りはフリーとなっています。軸箱守の外側と軸箱の受けの隙間は15mmですので、横動は左右とも15mmという事になりますが、実際は車軸と軸受の幅の余裕分がそれに加わります。ただ、それでも車輪のタイヤと軸受けとの隙間が最大で、設計当初は34mmだったのが、最終的に44mmまで広げています。またこれは、端部の軸受では28mmで、実際には最大そこまで横動をする可能性があったという事ですね。

端部と中央は逆の動きになるので、端部の軸受の横動も加えると、本来の設計値は4+15=19mm、軸受とタイヤの隙間は端部28mm、中央部44mmなので、5mm余裕分と考えると、28-5+44-5=62mm、まぁこの辺りが限界値という事になるかと思われます。

簡単に計算してみると線路半径は61018mm、約60mカーブという事ですねぇ。まぁ国鉄には通常はこのようなきついカーブは無いと思われますが、路面を走る鉄道などにはきついカーブもあり、そういう場合の対処かもしれません。

ちなみに横動が19mmの場合は199mなので、やはり軸受と車軸の横動を考えに入れているようです。100mカーブの横動は37.8mm、貨車の場合の設計基準と思われる80mカーブの横動は47.3mmで、当初の中央の軸受とタイヤの隙間の場合に近くなります。

2007年夏、浜松工場の一般開放があったので、このトキ900、実際はチ500からの復元改造ですが、これを見に行ってきました。

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端部、上の写真の一番向こうの軸です。通常の1段リンクと違ってリンクが鎖状になっています

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中央部

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バネ受けとリンクの長さが、中央部が長いですね。

バネ受けのアップ、端部。

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リンクが横に動いても、外れ内容になっていますね。

そして中央のバネ受け。

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チ時代に、保守もされず、長期間放置されていたようで、板バネが錆びて、間が広がっています。

上周りはこんな感じ。

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肝心のアオリ戸等の金具は、単なるフラットバーの下部にパイプ状の物を溶接した物、これは良しとしても、アオリ戸受けは、これもフラットバー下部にパイプ状の物を溶接した物、これは全くひどい。

他の部品も、見た目重視の、歴史を復元するというイギリス等の復元とは次元の違う、子供だましと言える程度の物。せっかくお金を使って復元するのに、わずかなお金をケチって手抜き工事をしたのでは、全体が台無しです。

まぁ、下周りは本物なので、計り知れない価値があるのは間違いない事ですが・・・日本の鉄道会社のこういうケチ臭いやり方は嫌になります。

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2013年12月24日 (火)

一枚の写真から 12 貨車編 ある貨車

読売新聞の2013年4月3日付の朝刊、文化面に、驚きの写真が出ていました。

それの切抜きがこれ、写真部分だけで、上が全体、下が、貨車の部分を拡大したものだそうです。

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この貨車、どこかで見た事があるという人は、よほど守備範囲の広い人、って、このフレーズ、気に行ってしまいましたが・・・

中央に荷物扉とおぼしき物、何かラティスのようですね、そして前後は窓のような扉のような・・・

当時の客車についているステップが無く、バネのスパンが短いのでどうやら貨車であろうと思いますが、中央の扉は内側をスライドするようです。中央の大きい扉が有ればその前後に扉は普通必要ないので、これは窓、その下は塞ぐための窓枠の様にも見えます。

後の有蓋車のような防水をよく考えたというより、通風を最優先に考えたような構造に見えます。これを手配したイギリス人が二トンを高温多湿で、雨が少ないと考えて作った物でしょうか。

明治26年にF.H.トレビシックがまとめた、日本初の客貨車形式図集には、この形のままの物はありませんが、積載重量5tと、メーカーの記載がない(という事は、おそらくイギリス製)のと、両数がまとまっているのとで、ASタイプだろうと私は推定するんですが、今までまともに取り上げた書物は無いようです。

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普通の有蓋車になっていますが、製造から22年も経てば改造されて当然ですね。

と、まぁ、ここまで書いて、この貨車の写真が見つかったと言うだけで、なぜ新聞に載るほどのニュースなのかと思うでしょ?

記事にもちゃんとは説明されていなかったので、ここで、この写真の値打ちを説明したいと思います。

記事にある、「当時の錦絵」というのが以下に示すものです。

先ずは国輝、明治5年発行、版元は大黒屋平吉

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次は、広重、明治7年?発行、版元は万屋孫兵衛

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次も、広重、明治7年発行、版元は浜田屋鉄五郎

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どれも機関車は後の160の1次形、機関車の後ろの赤い貨車は紛れもなきこの貨車なんですが、今まで、このタイプの写真も図面も見つかっていなかったので、実在したという証拠が無かったんですが、今回この写真が見つかった事によって証明されたわけです。

2枚目の写真では、窓に人の顔が書かれており、これが3等車という考え方も出来ますが、開業時に中等車?を改造した3等車があるので、単なる勘違いと思っているんですが・・・

ちなみに広重の図の客車がまさにその改造3等車で、オープンデッキを埋めて定員を増やし、デッキの所に扉を付けた物です。

版画なので、刷師によって多少色が変わる事は考えられるが、絵師の指定での色付けと思われるので、実物の鉄道を見て書いたと思われる写実的な物に、貨車が赤で刷られている物が多い。これが正しいと考えるのは少々無謀とも思えるが、当時の赤系の塗料の代表は水銀朱とベンガラだと思うが、イギリス人にも通じるものと考えればベンガラではないかと思う。ベンガラは水銀朱より茶色に近く、茶色に書かれた錦絵も存在するので、ある程度退色したり、汚れたりして茶色に見えるものも有ったのではないか?とも考えられる。

おまけで、関西(と称する)の錦絵を紹介します。

広重、発行年不明ですが、京都開業の明治10年と思われる、版元は福田熊次郎

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機関車はエーボンサイドのA3、これは当時関西には来ていませんねぇ。開業式は後の5100だったはず。駅は、建物は大阪駅のイメージだが駅全体の感じや本屋の方向は新橋の様、こんな終端駅は当時も関西にはない。客車は片側だけにデッキがあって、御料車も1号とは違いが多い。

どうやら、広重は大阪駅の写真か図などを見て、東京に居たままで想像で書いたようですね。東海道線が開通していない当時、徒歩か危険な船くらいしか交通手段がなかった時代では、わざわざ関西まで来なかったんでしょうねぇ。関西なら客車の色も違ってたと思ったのかもしれませんね。

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2013年12月22日 (日)

一枚の写真から 11 機関車編 スチームトラクター?

先ずはこの写真。

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見た事ある!って人は、相当な「へちゃむくれ」好きですねぇ。

川崎製鉄葺合工場の14~16号は、とても蒸気機関車に見えない形で異彩を放っていますが、これまであまり研究された事は無いように思います。

初見は「機関車の系譜図3」ですが、最近では、高井薫平氏の「小型蒸気機関車全記録 西日本編」に出てますねぇ。

15号と16号も。

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これらの写真は、自称「へちゃむくれ」好きの中西進一郎さんが撮られた物ですが、他の方が撮られた写真は見た事がありません。

そして、これと同類の様に見える、トワイライトゾーンMANUAL16号のP84~89の川崎車両入換用のT-1と称する変てこな機関車、こちらは、怒られそうなので写真はご容赦を。

川鉄の3両はロッドでの伝導、川車の方はロッド無しです。川鉄の写真はキャブの内部が良く見えませんが、川車の物と同様、縦型のボイラーが中央部に立っていて、屋根から煙突が飛び出しています。川車の煙突は化粧煙突ですねぇ。

川車の方のP88の写真ではボンネットの中が少し覗われますが、四角い箱に丸いフタが2個並んでいるのが見えます、これはまさしくクレーン用のシリンダーで、昨日のブログの写真の様に2個のシリンダーが一体になったユニットで、クランク軸やバルブギヤーも一体化した物です。

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これはクレーンのメカの図面ですが、右上がシリンダーで、そこからクランク軸までが一体の鋳物のユニットで、ここから床下に動力を持って行けば良いわけです。

そして、もう1枚、中西さんから頂いた写真があります。

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中央は車輪で左はブレーキシュー、車軸には奥と手前に2個のギヤーがあります。これはちょっとおかしなことで、通常は1個で事が足ります。

この奥にギヤーが見えていますがギヤーの横に中梁から出る受けがあり、その奥に軸が見えていますね、その先にちょっと太い所があり、その先をよく見るとギヤーが見えますね、当然その奥の中梁からも受けが出ているわけで、手前のギヤーと一体になってるとすると・・・、

奥のギヤーは車軸の奥のギヤーと噛み合ってるようで、手前側は車軸のギヤーとは噛み合っていない、この軸には動力が伝達されているはずなので、現在は奥のギヤーから動力が伝達されているわけです。

同じ軸に2つのギヤーが付いている理由は、この場合同じ中心距離で違うギヤ比のギヤーが付いていると考えるのが妥当なので、この軸が左右に動く構造(軸の途中の太い所がストッパ)でどちらかのギヤーが噛み合って、ギヤ比が変わると推測されます。

昨日のブログで書いたように、常にフルギヤーのバルブギヤーなので、スピードコントロールはレギュレータだけで、それだけでは負荷が減ると早く、増えると遅くなり、コントロールがしにくいので、この車軸部でのギヤーを動かすことにより、高速と低速を切り替えているようです。

この機関車達に関しては、製造年等は不明瞭な点があるのですが、機関車表では、川鉄の14,15号は1920年、16号は1935年製との事で、川車のT-1は1944年製造の1が前身ではないかと思っています。

クレーンとの共通点は、シリンダーユニットと周りのギヤユニット、それに縦型ボイラー位の物ですが、一般の蒸気機関車より構造ははるかに簡単です。

「小型蒸気機関車全記録 西日本編」では、これらの機関車はクレーンの改造と書かれていますが、製造がクレーンも作っている川車なので、改造と言うのはおかしく、クレーンの部品を多く使って安く仕上げた簡易的な入換用機関車と言えるんではないかと思われます。

蒸機版貨車移動機と言うところでしょうか。

もっと普及しても良いように思いますが、すでにあったガソリンの移動機に比べて、価格が高かったのかな?

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2013年12月21日 (土)

一枚の図面から 7 川崎造船のクレーンロコ

クレーンが続いていますが、今回は一般受けするかな?

今回の一枚の図面は、クレーンが付いた機関車です。

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これは川崎造船がホーソーン・レスリーから輸入したクレーン付機関車の図面のようです、「ようです」とは変ですが、川崎造船が輸入した物と、佐世保海軍工廠向けにコピーした物かはっきりしないからです、ただ、この図面自体は。川鉄の図面の複写との事なので、川鉄の15,16号、川崎造船がホーソーン・レスリーから輸入した物だと考えたからで、平面図のブームの先端のフックの部分の補強が3点吊りに対応してるように見えます。

ブーム(ジブ)の収納位置では煙突にはまり込む感じになるため、煙突が扁平になっているのが面白いですね。

この写真は金田さんの「ホーソーン・レスリイの機関車」からのコピーですが、川崎製の佐世保海軍工廠向けの物です。

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そして川鉄のホーソーン・レスリーオリジナルの昭和4年の状態、オリジナルは3t、2t、1tの吊りがありますね。

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この機関車、クレーンは一般の物と違い、巻き上げがありません。品物を持ち上げるのはブームの上下だけです、そしてこの構造が面白くて・・・

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ボイラーは火室部分が上に大きく飛び出していわゆるTボイラーになっています。

その出っ張り部分にシリンダーが組み込まれていて、そのシリンダーがブームの支点につながっています。大昔のスティーブンスンのロコモーションのようですね。そして、この出っ張り部分が蒸気空間になっていて、ボイラー上部に蒸気空間が必要な一般の機関車より煙管が増やせて効率が上がるように思います。

この上部に大きな歯車がありますが、この歯車から上部全体が回転します。その回転の動力が前方にある小さな蒸気機関がそれで、これがクチュクチュ動くところが見てみたいですね。という事は、上下用のピストンはブームの回転と共に回転するわけですね。これはちょっと珍しいと思います。

この機関車はクレーン部を撤去された状態で戦後まで生き残りました。

これは臼井茂信氏により、「ビードル」と名付けられた物ですが、昭和24年に金田さんが撮られた貴重な写真です。

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煙突は丸くなっていますが、ボイラーはそのままですね。小さなドームが付いているので、Tボイラー上部から蒸気を取らずにこのドームから取っているようにも見えますが、それでは煙管と火室上部を下げなければならないので、内部は改造されているのか、それとも単なる砂箱なのか・・・。

その後、1962年に中西進一郎氏が撮られた物です。

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上周りはすっかり作り変えられ、下周りのみが元のままですが普通の機関車の様になってしまいました。金田さんの時なら面白い機関車だと思って撮るのは十分に考えられますが、中西さんの時代に、一見普通に見えるこの機関車を撮られたのは素晴らしい感性だと思います。

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2013年12月20日 (金)

川鉄葺合工場のスティームクレーン

クレーンつながりで、川鉄葺合工場で使われていたスティームクレーンを紹介します。

撮影は2004年7月、神戸の生田川河口部の空き地に放置されていた物です。銘板には若津鉄工所昭和17年12月製造とあります、製造番号はありません。

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背面、メジャーは1m。

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ブーム、ブームの上下は可動式だったものを、鉄棒で固定式に改造している。

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機関。クランクの上に見える赤い管の上の引っ掛けが付いてるのが加減弁、この引っ掛けで操作するらしい。右の大きな軸受は、巻き上げ軸。

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シリンダヘッド。赤い管は、左が吸気管、右が排気管。吸気管の下に見えている巨大ウォームギヤはブームの上下用だったが、現在はブームは固定なのでワイヤーが掛かっていない。

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機関上から、2つがユニットになっていて、バルブギヤは偏心輪1個で回転方向一定のフルギヤー。偏心軸は操作稈の操作で左右に動くようで、これでニュートラルにしたりするのだろうか?

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その右、左下のべベルで逆転する。

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運転席から、中央左寄りの錆びたべベルは走行用。

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前の車輪を下から、縦方向の軸は、上の写真の錆びたべベルの軸、これは上部車体の旋回中心と一致しているはず。

この軸の下にべベルが有って、前後方向の軸につながって駆動していたようです。

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後ろの車輪、前と同じ構造。底板のくりぬき穴から見える板厚、ものすごい。

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アウトリガと車輪軸受、車輪はリジッド。

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最後に旋回車輪部と、ブームの軸受。

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当日は時間があまりなくて、1時間弱の撮影でしたので、100枚ちょっとしか撮れなかったんで、もう一度見てみたいと思って、半年後に行ったら何もなかった。

どこかにちゃんと保存されてたらいいんですが・・・、どなたか、これの消息を知りませんか?

興味をお持ちの方で、さらに部分写真をお望みの方にはお送りしますので、メールでご連絡ください。

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2013年12月19日 (木)

一冊の本 機械設計図表 輸送機篇 第1巻

今回はクレーンです。

皆さん興味ないでしょうねぇ。

私が小さい頃は戦後復興まっただ中で、そこらじゅうで土木工事が行われていて、遊び場になっていた屋根の抜けたビルなんかがどんどん無くなっていき、空地には大きな土管や建築資材が置かれ、建設機械を目にしない日は無いような時期でした。

そういう建機に魅了され、鷹取工場の近くで、町内にシェル石油の引き込み線がある、そんな環境で育ったら、こんな人間が出来ちゃいました。

私のメカ好きは、こんな建機の動きから来ているようです。

さて、その建機好きと汽車好きが合わされば、軌道上を走るクレーンに行きつくわけです。

今回ご紹介するのは、昭和12年発行、機械設計図表 輸送機篇 第1巻という物です。要するに色んな機械の事例を集めた本で、写真や図面が豊富に載っています。

その中から、いわゆる「ロコクレーン」(広範な意味で)が載っているページを紹介します。

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B5サイズの本で、写真が小さくて見辛いのですが、仕方がないですね。

全部が日本の物ではないようですが、当時の多種多様な軌道走行クレーンがうかがえます。あぁ、もちろん動力は全部蒸気ですよ。

この第1巻には、他のタイプのクレーンや付属品など、非常に多くの写真や図面があります。

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2013年12月17日 (火)

蒸気機関車リスト

今日は昨日の予定だった、クレーンの本の事をさらに延期して、蒸気機関車の事です。

皆さんは、国鉄関係で蒸気機関車は何形式あるんだろうと思ったことはありませんか?

そして、動輪が手に入ったけど、この動輪は何に使えるんだろうと・・・

私も大分前に思い立ちまして、金田さんの「形式別国鉄の蒸気機関車」や、「国鉄軽便線の機関車」等を元にしてリストを作りました。

現在は図面のリスト等も兼ねた、結構使いでのある資料となっています。せっかく作ったんだから、これを見て頂いている方々で興味がある人に配布しようと思います。

この画像は、一番最初の形式のみを羅列したもので、1形式が1行です。

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一般的な形式はここまで

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E10までで324形式もあります。そして

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ナローや鉄道院になる前に転出した2形式を含めると、全部で387形式(タイプ)となりました。

ものすごい数ですねぇ、皆さんは何形式くらいご存知ですか?私はせいぜい2/3くらいでしょうか。

画像の下に見えているように、シートで形式内で分化した物も含めた、形式順(詳細)、製造年順、製造所順、全所属鉄道順、動輪直径順と多様な並べ替えを作っています。シートの最後に私鉄も少し作りかけていますが、大変なので、出来るのは100年後。

最初の形式順(略)には、図面の在り処も書いています。

エクセルデータは、ここに置いていますのでダウンロードボタンからダウンロードしてください。古いエクセルでも開けます。

間違いや改良点など、お気づきの点が見つかりましたら、ご連絡をお願いいたします。

追記

ご連絡を頂いて、リストの内容を一部変更しました。

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一冊の本 鉄道史料139号

13mmゲージ・・・というか、鉄道模型のゲージ論って結構関心が高いんですねぇ、アクセスも多く、コメントも多くいただき大感謝です。

さて、今回は新シリーズ、本の話を一席!という訳で、クレーンの本の紹介をしようと思ってたんですが、今日、鉄道史料139号が届きましたので、それの紹介をして、売り上げに貢献できればと思います。

とはいえ、初回からちょっと辛口になった面もありますが・・・・

最近は巻頭になる事が多いDan Free氏の記事は、今回は鉄道錦絵。

冒頭で日本の鉄道研究家が錦絵に関心を示さないと書かれているのですが、金田茂裕氏は著書で機関車研究家としての視点から錦絵を調査された。私も錦絵には少なからず真実が描かれていると考えるけれど、時代背景や版元の都合、絵師のくせや画風の調査等色んな側面から研究する必要があり、多くの錦絵を比較調査する必要があります。

その点で今回の記事は、Dan Free氏所蔵およびスミソニアン博物館、そして神戸市立博物館の錦絵を元にしたようで、広範な調査とは言えないところに弱みがあると言わざるを得ない。

多くの錦絵を見ていくと、絵師のくせが現れる、機関車は当然の事、顕著なのは客車や貨車の書き方、広重は客車を当時の写真にあるものにかなり忠実なモールド車体で、下等車に改造した物も分かるほど写実的で、色は基本的にクリーム色の車体に赤の縁取り、ほとんど例外が無いのに139号P16の様にまっかっかに塗った物は他にはあまりない、P17の国輝は貨車が赤色で客車は薄茶色、国輝は大体この色付けですね、この絵の赤い貨車、今年4月3日の読売新聞でオーストリアの写真家モーザーが写した横浜駅の写真に写っていると話題になりましたね。記事ではこの貨車を改造3等車としているが、当然間違い。他の絵師もこの2例に近い色は割合多いですね。

P11下の機関車は最も特徴的な従台車の存在を無視して5000ではないとしているが、違う根拠が各部の比率だとかフィードポンプとか、勘違いやイメージの把握違いの差程度の点を挙げて全く違う機関車を提示している。

また、P17では鉄道博物館展示の「最古の客車」と呼ばれる客車の修復時に最も内側で発見された緑色云々は、保存されている「最古の客車」が、「最古客車図」を元に作られたレプリカという事を知らないのか、フィクションが書かれている。

大きな間違いと思われるのは、錦絵の色を相当信用していることで、版元の刷師による色使い一つで全然変わってしまう色は、絵師の描写力等と重ね合せて考えるべきで、版元が違えば同じ車両が全く違う色になっていることは珍しい事ではないので、信用してしまうのには慎重になるべきと思う。

ただ、この記事では、錦絵によく出てくる、全く奇妙な、とても機関車とは思えないモチーフの出典が明らかになった事で、まさか試作の消防車だったとは・・・

Dan Free氏の記事で長々と書いてしまいましたが、アメリカ人である同氏が、これほど日本の古い時代の資料を所蔵しているのも驚くけれど、ちょいちょい間違いはあるにしても、これほど古典時代の鉄道に詳しい人も、日本人でも珍しいかと思います。我々日本人も外国の人々に先を越されぬよう頑張らないとと思いますが、この世界は若い人の参入が少なくて・・・・

もちろん筆者の著作を内容に忠実に翻訳するのは当然としても、「鉄道史料」の趣旨では正確さが大事と思うので、別に解説文を入れるべきだと思いました。

次は、湯口徹さんの内燃機関車、足尾のフォードやミルウォーキーのガソリン機関車等、もうこれは盤石で、貴重な図面と写真!私が出る幕などありません。

後半に湯口徹さんがもう一つ、汽車会社の幻の工藤式蒸気動車という記事があり、1067mmゲージの小野田軽便鉄道の物をちょっといじった計画図と言う、私も図面の手書き時代によくやった手法の図面に接して、昔の設計技師に思いをはせることが出来ました。

他にも三井三池の鉄道や、紳有電車テン1の事、阪急の梅田-十三間三複線の資料等、盛りだくさんです。

どうです?欲しくなったでしょ?

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2013年12月15日 (日)

13mmゲージ 続 禁断の果実

ゲージ論は模型の世界の永遠のテーマなので、もっと炎上するかと思っていたのですが、思ってたほどではないですね、なぜでしょう?

まぁ、13mmゲージの話を十三クラブの規格に絞ったため、スパイクモデル等のファインスケールを標榜している人が少ないためでしょうか。

私は16番ゲージで模型を作っている者ですので、どこまで行っても、1066.8/80=13.335mmに対する16.5mmのゲージの差に頭を悩ませ、非常なる努力をして、出来る限り幅の狭い機関車を作っていますが、3.2mmの差は如何ともしがたく、13mmゲージへの憧れは子供の頃から非常に大きい物でした。

近年になって16.5mmゲージで動輪やロッドの厚さをスケールに近づけ、実物のクリヤランス分を削る事によってかなりスケールに近い物が作れるようにはなりましたが、馬鹿でかい近代機ならともかく、幅の狭い古典機では、どうしてもスケールモデルと言う物の製作は無理で、もはや16.5mmゲージでは車輪厚をスケールの1.6mm程度にして作るのが最後のチャレンジと言うところまで来てしまいました、それでも現在作っている7010は車輪の厚さ2.2mmで1.6まで削っても1.2mm狭くなるのみで、スケールのランニングボード幅の27.3mmにはもう少しと言う所で届きません。

しかも市販のフランジウェイの広い線路を使う制約上、車輪の厚さは2.0mm程度が限界のようです。

13mmゲージと言う選択肢は有ったものの、せっかく新たなゲージで車両を作るのに、ここでも広いフランジウェイで16.5mmの車輪を使うのと、ファインスケールにこだわるのと2つの選択肢がありましたが、前者は篠原の線路を使って簡単にレイアウトを作ることが出来るのに対し、後者は、線路が無いので、全部新たな規格でスパイクしたレイアウトを作らなければなりません。

そんなものはとても無理という事なら、前者を採用するしかありませんが、それではせっかく13mmで作る意味が無い(これはもちろん自分的にはと言う意味です)、そんな訳で13mmは諦めていたんですが、先日、十三クラブの「邪ー魔ん カッセ」さん、(まぁ、コメントで名前を明かされているので、最早ペンネームは不要かとも思いますが、一応これで通させて頂きます。)とお会いして、十三クラブの理念をお聞きして、大きく感銘を覚えたので、一度作ってみたいという憧れが噴出したわけです。

世に、私の様にファインスケールを標榜しつつも、車輪の規格の面で躓いている人も多いかと思います。このブログで十三クラブの線路に対するこだわりを理解して、1/80でファインスケールを目指される方々が増える事を切に望みます。

最後に、十三クラブのレイアウトで実際に線路をスパイクされた、「邪ー魔ん カッセ」さんから頂いたメールを掲載します。

ブログ拝見しています。13㎜ゲージにも関心をお持ち頂き、心強く感じています。

さて、プロトサーティーンを中心に、規格を統一しようという動きが出始めたのが2001年、2002年の『13ミリゲージャーの集い』で、スパイクモデルの車輪断面を念頭に、バックゲージ11.5㎜+0.0-0.2㎜で行くことで意思統一がなされました。

追って分岐器の詳細各部の数値が決定されることになっていましたが、長年11.0㎜から11.5㎜までの範囲で各自が自由に(勝手に?)楽しんできた13㎜ゲージのバックゲージを統一することがいかに困難なことか。

簡単に統一規格が見いだされるとは思えません。

以来、10年を経過しても分岐器に関する統一規格は実現していません。

私の個人的な考えですが、80分の1の縮尺で、肝心要のバックゲージが0.5㎜も違っていれば全く別ゲージだと思っています。

いくら時間をかけても、すべての13㎜ゲージャーが満足する納得できる統一規格というものは出来ないでしょう。

私も現在60歳を超え、分岐器の統一規格の誕生を待っていられません。

そこで、十三クラブ独自規格という事で、スパイクモデル規格の輪軸を使用することを前提として、13㎜ゲージ・バックゲージ11.5㎜+0.0-0.1㎜・フランジウェイ0.8㎜で分岐器を設計し、レイアウトを作成しました。

これは決して13㎜ゲージの規格はこれでなくてはならないというものではありません。スパイク規格の輪軸を使うことを前提に、十三クラブのメンバーの車両をスムーズに走らせるために最も適した分岐器を作ったという事で、他人に押し付けるものではありません。

個人的には、スパイク規格のフランジウェイ0.8㎜にも不満で、できるなら実物のフランジウェイ42㎜/80=0.525㎜に合わせ、車輪幅も125㎜/80のスケール通りにしたいのですが、フランジ幅(厚?)、フランジ角度をスケール通りに求めると、必然的にフランジ高さも0.33㎜となってしまいます。フランジ高さ0.33㎜、踏面幅1.0~1.2㎜でまともに走れるのか。可能なら素晴らしいですが、下手をすると某鉄道会社です。軌道の製作と保線技術に極めて高い精度が要求されるのは間違いありませんね。

もう少し私が若ければ、フランジ高さ0.33㎜、踏面幅1.0~1.2㎜が本当に現実的でないのか検証したいところですが、そこまでやっていると生涯に予定している車輌が完成しません。(すでに絶望的な状態ですが) ここは若かりしスパイクモデルの川口氏が、試行錯誤の末に現在のスパイク規格に至った事実を尊重して0.8㎜のフランジウェイを採用し、マンガンクロッシングを鋳造(IMONに外注)しましたがフランジウェイが広い分、実物に比べてベタッとした感じがするのは残念なところです。

13㎜ゲージと言えども完全に実物の通りにするには難しい問題があります。問題はすべて繋がっていて、切り放して考えることはできません。

このたびの十三クラブのレイアウトは、スパイク規格の輪軸を使用した車輌を前提に製作したもので、すべての13㎜ゲージ車輌がスムーズに走行できるようには考えていません。悪くすれば、13㎜ゲージのガラパゴスになる可能性を強く孕んでいます。

賛同がなければ今後20年ほどで十三クラブは絶滅しますからどこにも迷惑をかけることはないと思います。ただし、どこかに若い13㎜ゲージのクラブが誕生し、0.8㎜のフランジウェイを採用したら、呪われた因子が残ることになりますが。

昨年秋にこのレイアウトを合運に持ち込んでお披露目して以来、『フランジウェイをあと0.1㎜拡げたらKATOのコンコン改軌の輪軸が通るのに』、『あと0.2㎜拡げたら珊瑚の輪軸が通るのに』『ロストのフログのフランジウェイをヤスリで拡げたら』といろいろご親切な意見を頂戴しました。

KATOも珊瑚も通らんのは判ってる!! それでもスパイク規格の輪軸をスムーズに走らせたいんや!!

『ひっくり返っても(転覆して 裏返しになっても)美しい』が私のモットーです。

「ひっくり返っても美しい」には、参った!ですが、模型が好きな人は裏返ったのが好きという事でよーく分かります、けど、あの碓井の怪力軍団がひっくり返るなんて想像したくないですねぇ。

なお、内容に関わらない箇所で、やばい所をほんの少しだけ修正させて頂きました。

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2013年12月13日 (金)

13mmゲージ 車輪の追加検討

昨日は、夜中から作図を始めて一気に書いてブログアップをしましたが、布団に入ってつらつら考えると、クロッシング部の車輪との平面を検討したら、車輪の厚さは薄くできそうと思いつきました。

早速仕事前にちゃっちゃっと書いたのが本図です。

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左が一般的な10.5の車輪、右は最小クラスの5.0の車輪を想定しました、今回は幅1.6mmが実線です。

昨晩の断面だけの検討では幅1.6mmの車輪は、クロッシングの溝にはまりましたが、平面図を書くと、実際は最大幅はピンポイントなので、わずかにポイント先端側に動くと1.6mm幅のタイヤが線路に乗ります。

また、最小クラスの5mmの車輪でも、このわずかな距離では車輪の沈下もわずかで、この大きさでも1.6mm幅で行けそうで、心配なら1.7mm程度に広げれば十分な余裕が出来る事が分かりました。

昨日のブログでは車輪の幅はスケールに出来ないと書きましたが、今回の検討で、車輪の厚さも実物通りに作っても問題ないことが分かりました。

今まで13mmゲージは門外漢だったので、根本的なミスがあるかも知れませんが、この検討が正しいとすれば、13mmゲージで蒸気機関車を作るのに幅を広げる必要は全くないことになります。

珊瑚模型が国鉄の形式5を出したそうですが、ちゃんとスケールの幅になってるんでしょうかねぇ・・・

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13mmゲージ 禁断の果実

先日の呑み会で、十三クラブの方2人とお話をして、クラブの13mmゲージの線路の規格をお聞きしました。

今まで13mmゲージと言えば規格がバラバラで、車輪と線路の関係でトラブルが続出していると思っていたのですが、十三クラブでは何と、独自の規格で線路を自作してるとの事。まさに理想的な環境と思いました。

13mmゲージは、スケールモデルを標榜する者にとっては、1/80なら当然の選択肢なんですが、クラブのレイアウトで走らせる楽しみを覚えた身としては、16.5mmゲージ以外を採用するのは、運転をあきらめるという事になってしまうので、周りで素晴らしい13mmの作品を作られる人たちを指をくわえて眺めていたんです。

まぁ、今までに13mmをやってみようと思わなかったわけではなくて、知り合いの車両を改軌してあげたり、自分でも改軌して雰囲気を見たりという事はしたのですが、当時は、16.5mmの車両のゲージを狭めただけなので、ゲージが狭まった分車輪の厚さが強調されて自分としては、16.5mmの車両に比べて格好よくなるとは思えませんでした。

そうです!分厚い車輪ではおもちゃに見えてしまうんです。

という事で、車輪を薄くすれば良いわけなんですが、それにはいろいろと問題が出てきて、16.5mmゲージの分厚くて高いフランジの車輪と、スパイクモデルなどの低くて小さいフランジの車輪が同じ線路に乗るのが土台無理な話で、どちらかに合わせる必要があります。市販の線路(篠原)では、どちらも走らせるために中途半端なものとなり、その点でも13mmゲージの車両を作る気にならない理由になっておりました。

もちろんある程度の大きさの車両では、16.5mmゲージで出来るだけ幅を詰めて作れば良いわけで問題はないと思ってるんですが、私は小さい機関車も作りたいんですが、幅が狭すぎてどうしても16.5mmゲージでは無理な車両があります。

十三クラブでは線路の規格が決まっているので、それにのっとって車輪を作ればちゃんとしたものが作れるような気がしてきました。

そこで、十三クラブの方にお聞きしたフランジウェイ0.8、バックゲージ11.5と言う数値を元に自分なりに車輪の設計をしてみました。

もっとも問題になるポイントです。十三クラブは#7との事ですが、検討は篠原に合わせて#6で行いました。上が篠原、下が十三クラブです。篠原の線路はゲージが13.2mmになっていますね。

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そして断面です、左はフランジ部です、上が実物、下は自分なりに考えた物です。そして中央は線路との関係、やはり上が実物、下は自分の考えです。そして右は上図の切断線、ポイントのクロッシング部の車輪が落ちてしまう所、ここの幅で車輪の最小厚さが決まります。

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フランジの形は、実物に合わせば良いわけですが、模型の場合の誤差等と、篠原のポイントのクロッシング通過を考えて、フランジ高さを0.45とし、レールと接するところは当然カーブですが、ちょっと緩い目にしてこれも線路の誤差に備えました。

実物の車輪の厚さは普通は125mm、蒸気機関車の様に大きな直径の物は135mmです。1/80の場合、両方の中間で1.6mmとするのが理想と思いますが、可能か否か?

断面右の下側の十三クラブのポイントの図で、フランジウェイ0.8で書くと車輪のバックゲージは11.5はギリギリですね、この寸法で実際に作られているとすると、車輪はほとんど横に動く余地がなく非常に安定したものとなりますが、この状態で、クロッシング部の溝の幅は1.75mm(厳密には1.8mm)、1.6mmでははまってしまって小さい車輪では脱線します。

これを基準にすると車輪の幅は1.8mmでは余裕が無いので、0.2mm余裕を見て、2.0mmにすることにしました。

結局車輪の幅は両側でスケールより0.8mm広くなり、完全なプロポーションの模型は無理という事になりました。

これでは16.5mmではなく、13mmゲージを採用する意味が無いのですが、16.5mmでは、出来る限り幅を詰める設計をして、ゲージの差3.5mmに対して、2mm程度までは詰められるので、まぁ0.8mm程度は問題なく、幅方向を全く広げない模型は作れそうです。

1/87の12mmもそうですが、フランジ部の規格は全く整っていないようですね、16.5mmの方も、メーカー各社の製品は、世界規格のNMRAに準拠しておらず、各社で全然違うのが現状です、まぁ、戦前の、16.5mmがおもちゃだった時代に決められた規格にこだわっても意味はないと思いますが・・・。1/87の12mmは近年に始まったのに、一番肝心な車輪の規格を決めないというのは全く理解に苦しむところではありますが、古くから作品がある13mmも何も決まっていないというのは、設計業を営む自分としては全く納得がいかない点です。

十三クラブの人たちにこだわりの規格をお聞きして、最小半径2000mmの大レイアウトで走らせてみたいと思うようになりました。

冒頭に書いた、運転が無理と思っていたのが、運転は可能となると、何か作りたいですねぇ。

16.5mmでスケールを目指す人間が、楽な13mmゲージの機関車を作るからには、「各部の幅が広いから、スケールより幅が広くなってしまった」等とは絶対に言いたくないので、一度とことんスケールにこだわった3’6”の機関車を作ってみたいと思います。

さて、何を作ろうかな・・・・・

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2013年12月11日 (水)

友達紹介 3 ドブチューさん

今回はドブチューさん。

変な名前ですねぇ、名前は変ですが、ものすごい人ですよ。

つい先日完成したOJのC54です。先ずは未塗装時から。

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超精密!!、OJなので全部自作ですよ。短気な私にはとても真似の出来るものではありませんが、それにしてもこの繊細な工作と、それを続けて完成まで持って行く根性!ものすごいですねぇ。

そして塗装。

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なんて色でしょう!、さすがたくさん実物を見て見て見た人の色ですねぇ。銀色を塗るとの事ですが、こんな感じで出来るとは想像もつきません。

長野県大町市にお住みですが、標高800m。冬は雪との格闘で大変だそうですが、夏はパラダイス!

私は毎年夏休みに夏バテ治療を口実に避暑に行かせてもらいます。

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ご自宅の裏庭、うまい空気の中、木陰で日がな一日ビールを飲みながら過ごします。

書籍の収集も凄くて、お邪魔するたびに見た事がない本を見つけます。

そして工作室はこんな感じ

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まさに「整然」!

切粉1つありません。こんなに綺麗で工作してるかと思えるほどですが、ここからC54をはじめ、多くの作品がが生まれたんです。

こういう所で住めたら最高ですが、俗人の私は、一定期間仲間と酒を呑まないと死んでしまうという厄介な病気にかかっているので・・・・

しかし、前のYBさんといい、今回のドブチューさんといい、ハタボーさんやH御大にK御大、それにKKCの人たち・・・それから実物研究の大家たち、お付き合いして頂いている方々それぞれ一癖二癖ある、楽しく個性的な人たちです。

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2013年12月10日 (火)

一枚の図面から 6 Shibata Bunskyをご存知ですか?

「Shibata Bunskyをご存知ですか?」

と聞かれて「ピン」と来る方は大分いかれてますねぇ、私もその一人でして・・・

「新編H.K.ポーターの機関車」等を書かれて、日本で有数の機関車研究家たる近藤一郎氏から、上記の題のメールを頂いたのは、4年ほど前の事です。

「Shibata Bunsky」と言う名は、1969年交友社発行の「SL No.2」のP44の脚注に出てくるのですが、その後、原典所有の川上幸義氏が1978年に交友社から出された「私の蒸気機関車史  上」のP142に記事を書かれました、この記事によって「Shibata Bunsky」という言葉が広まったわけですが・・・。こちらはShibata Bunskiとなっていますが・・・

その話の発端がこの機関車で、Baldwinが製造した最後のB6タイプがこれなんですが、台湾向けである事は以前から分かっていたのですが、納入先が「Shibata Bunsky」となっているとの事で、これがどういう商社なのか、あるいは何者なのか、色々と憶測するだけで、長い間の謎の一つだったんです。そしてこの機関車の大きな特徴は、上から見た炭庫が「へ」形をしているというのです。

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写真でお分かりのとおり、キャブの後ろがデッキの様になっていて、炭庫はその分斜めになっているように見えます。

そして、件のメール、内容は「Shibata Bunsky」の正体が分かったと言う物です。こういう事があるから、こういう研究はやめられませんねぇ。

近藤さんのお宅に来られたA氏が、横浜開港五十周年記念の書物に、「柴田文助」の事が書かれている事を発見されたんです、答えは「Shibata Bunsuke」でしたね。

「柴田文助」氏は結局、セールフレーザー商会の人で、何らかの事情で、会社名ではなく、担当したと思われる「柴田文助」氏の名前としたらしいというのです。セールフレーザー商会はBaldwinの日本に対する販売商社ですので、納得のいく結果となりました。

当時はこの機関車に関してはこの写真だけで色々と考えを広めるしかなかったんですが、

ある日、じっくりとこの写真のリヤタンクを見ていて、写真に斜めの面がわずかに見える事に気が付きました。キャブの後ろの太い線に見える折り曲げラインの後ろです。

この角度から写真を撮っていて、斜めの面が見えるなら、「へ」形よりももっと角度が大きいんではないか、「へ」形ではなく、妻面に平らな面がある台形の、45度程度の大きな面取りではないかと・・・。

それから2年近く月日が経って、「一枚の図面から」の最初の回と同様、運命の2012年7月8日がやってきました。

じゃーん!

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果たせるかな!

角度は45度!、34インチ(863.6mm)程度の面取りでした。

一般のアメBとは、サンドドームが1個多いとか、サイドタンクが高くかつ長くなっているとか、台枠等わずかな違いがあります。

それにしても・・・図面を見ても、後部の三角のデッキが何のための物なのか分かりません。台湾ではB6タイプは戦後まで全機揃っていたので、この形のままなら、話題に上って活躍中の写真でもありそうな物ですが、1枚も見つかってない所を見ると、早々に一般型に改造してしまったんだろうと思います。

なお、この機関車に関しては、近藤さんが近々(?)に出版される「ボールドウィンの機関車落穂拾い」にはるかに詳しく記述されていますので、出版の暁には、そちらをメインにお読みください。

思えば、これに関するメールのやり取りから、近藤さんとのお付き合いが深まったように思います。「Shibata Bunsky」!知ってて良かった!と心から思いますねぇ。

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一枚の写真から 11 貨車編 とある有蓋車

今回は私が撮った写真です。撮影は1986年、南海電鉄(当時)貴志川線の伊太祁曽です。

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なーんや、普通のワ1やん。と思うでしょ?

写真の手前角の台枠の所、隅柱に大きな当て板があるでしょ?、それから側柱の上部、軒桁に当たる所に三角の補強!

これは山陽鉄道が日露戦争当時に兵庫工場で250両作られた貨車なんです。同類が近江鉄道にもありましたが、そちらは床板が無くて側だけだったので特徴ある隅柱の補強もありませんでした。

車両の視点Ⅱ P48に杵屋栄治さんの昭和10年当時の現役の写真がありますが、通常のワ1は、大正時代中期の増トン工事によって5~7トンの物を10トン積みにするために側の柱を継ぎ足して高さを上げているので、かなり背が高くなっているのですが、この写真では他のワより高さが低くなっています。

とりあえずぐるっと1周しましょう。

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そして

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ピンボケって?、現地へ着いたのが日暮れ直前で、暗くてピントを合わせられなかったのです、絞り開放の低速シャッターで実際より明るくなっていますが、肉眼ではかなり暗い状態で・・・などと言い訳をするんですが・・・。適当ピントでゆるーい写真になってしまいました、まぁ資料という事でご容赦を。それにしても水色に塗られていて良かった。

おまけで、側梁の下から床下にカメラを突っ込んで撮ったもの。

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正面左の梁は手前側の中梁です、その下に黒く見えているのが向こう側の側梁、軸箱守が切断されているのが見えますね。台枠も完全な鋼製です。

この貨車はもちろん国鉄関係の形式図集に形式図が有るんですが、見てみると不思議なことが浮かび上がってきました。

先ずは鉄道院最初の1911年(明治44年)版

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そして、1926年(大正15年)版

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同じ、1926年(大正15年)版の追録

1926p2601 

ここで、高さ関係が100mm下がっていますね、そして「死重積載」が消えています。

そして最後の1929年(昭和4年)版

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大正15年版を境に高さ寸法と記載データが変わっています。

これらの事をまとめたのがこの表です。

Axls_4   

上の段がこの貨車、上の4段は形式図からの寸法、下の「参考」は、増トン後の他の「ワ」です。緑文字は、形式図の寸法を元にした計算、赤文字は下記です。大正3年版は明治44年版と同じなので割愛します。

数値は、明治44年版はフィート・インチをmmに換算しています。大正15年版の最初の物が原形、大正15年版の追録が増トン後と解釈できますが、表のH列、屋根の厚さを形式図の数値から計算したところ、マイナスになってしまいました。これは大正15年版で床面高さが増えているのが原因の様で、他のワと比べても大きい数値となっています、このような改造をすることも考えられず、これはインチからmmへの計算ミスと考えて、床面高さは当初からの1122mmと推定しました。これが表の5行目、赤文字です。

要するにこの貨車は改造工事によって100mm車高が下がっているのです。

増トン工事の目的は、速度向上による走行安定性のための重量の確保と、短い軸距離の延長が主要因と鉄道技術発達史に書かれていますが、もう一つ、貨車1両当たりの容量とトン数の統一と言うのが大きいと思います、貨車は混載を除けば通常は1車毎の契約なので、各社で大きさが違うと不便が生ずるためです。

これを踏まえて、今回の貨車と、他のワと比べてみると、改造前、容積は他の増トン後のワより大きく、荷重は9~10トンとなっていて重量に比べて容積が大きくなっています。これは日露戦争の軍馬の輸送を考えた設計であろうと思いますが、他のワに比べて容積が大きすぎるのを統一するために増トンならぬ「減トン」工事をしたという事になりますね。改造後は他のワとさほど変わらない数値となっています。

ところで。

この山陽鉄道のワですが、形式図でご覧の様に、最初に書いた隅柱下部の大きな補強が特徴ですが、という事は、当初から鉄製の柱だったという事なんです。近年まで残ったワで鋼製の柱を持った物は通常木製の柱を改造したものですが、この貨車の柱は、高さを除けば原形のままと言えると思います。そして屋根は、山陽鉄道には珍しくR屋根なので、これもどうやら原形のようです。というわけで、私が見たこのダルマは大正中期の増トン工事を経て、自連化工事をした後の姿をとどめていると思われます。

製造当時は、木製の柱が普通の時代ですが山陽鉄道は鉄製の無蓋車を作ったりもしているので鋼材の扱いでは日本の最先端を行っていたようです。

しかもこの当時、兵庫工場では後の6100,8500,3380等を製造していて、他の貨車や客車もたくさん製造しています。今、元の敷地を見るとそれほど広くはなく、新橋工場や神戸工場などとは規模が違いますね、さすがに狭すぎたようで、明治33年に鷹取工場を開設し、修繕業務等からそちらへ移転していったようで、国有時もまだ移転途中だったと鷹取工場60年史にあります。

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2013年12月 7日 (土)

一枚の写真から 10 機関車編 2916の先台車

2900と言う機関車は、軸配置C-1の2100、2120、2500に先輪を追加して1-C-1とした機関車ですが、改造前のアンバランスさが無くなって均整がとれた機関車となって、私の好きな機関車なんですが、私がいつもお世話になっている2人の巨匠が、一方の人は2916の先台車はビッセルと言い、もう一方はラジアルだと言って、意見が分かれたんです。

一般的には2900の先台車はビッセルなので、ラジアルは無いだろうと思ってたんですが・・・

先ずはこの写真を見てください。

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これは1937年の2916です。

それから2914。

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これは、撮影時期は不明ですが、真空ブレーキ併用なので、昭和6年以前ですね。

そして旧2167(2120形)の一般的な2906、

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外観的な差異として、2916,2914はサイドタンク前方下部が切り取られ、上部は延長されて、2906は2120の時よりそのまま前方に延長されている。この違いは空気ブレーキ改造時の元空気ダメの場所に起因するが、元々の2900の改造は1912年(大正元年)なので、改造当初は2914,2916も2606と同様のサイドタンクであったと思います。

2914は元2593(2500形)で一般的なアメBですが、2916は元2667(2500形)、これは2500の異端児、元関西鉄道の106号です。当初の写真はボールドウィンのカタログのみです。

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一般的な2500とはかなり印象が違うし、動輪直径も2100と同じで少し小さく、動輪直径順で形式を付けた鉄道院のやり方では、2100に近い別の形式になるべき機関車です。

2900になってからは、キャブやリヤタンクなどを改造してしまったので、他の2500改造の物との差がほとんどありませんが、ドーム類ははっきりと違っています。

この2916と言う機関車、模型をやっている者にとっては、意外に有名で、昔、宮沢模型が製品化した2900がこれなんです。とてもスケールモデルとは言えないものですが、サイドタンクの形やドームは一応これの形に似ています。

長々と2900について書きましたが、ここからが本題。

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これは、2900の廃車直前、1948年の写真です。最初の写真の2916から11年後の姿です。

最初の写真2916(1937年)の先台車周りの拡大はこれ。

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ブレースがあるので一見アメリカ製の機関車に見えますね。

排障器は端梁より下から出ています、これの形は、他の2914や2906と同じ形ですね、この時の台車は2900の標準の、中心ピンと心向棒があるビッセル台車です。

そして、廃車直前の時の拡大。

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先台車の所に板台枠状の物が上方の金具で継ぎ足されたようになっていて、排障器は端梁のすぐ後ろから出ています、そして、先輪の前に板台枠を左右につなぐ下が折れ曲がった板があります。

板台枠に左右に渡しの枠を作る構造は、まさにラジアル台車の構造です。何のためにわざわざ改造したのか全く分かりませんが、結局お二方のご意見は両方正解だったわけです。

考えてみると、シリンダより前に先輪がある機関車で、他にラジアルの物は、3085、3150しかなく、珍しいですねぇ。

さて京都の御大はどちらで作るんでしょう?、「部品はもう出来てる」と仰ってるので、完成が楽しみです。

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2013年12月 5日 (木)

一枚の図面から 5-2 宮原式水管機関車 3D

昨日に引き続き、今日は宮原式水管機関車の3D化です。

先ずは2Dの再検討から、煙室周りがどう考えてもおかしかったので、実際に作るならどういう形になるかを考えてテーパーの無い形にしたら、不自然感が無くなりました、また、キャブの後半など、元のままと思われるとこは、実物の部分図を元に正確な形に書き直しました。

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これを元に3Dデータを作りました。

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2120

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これを恰好いいと思うか不細工と思うかは別にして、なんかちょっとありそうな形になりましたねぇ。

だれか作らないかなー。

これの2Dと3Dのデータ、ご入用の方は、メールを頂けましたらお送りします。

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2013年12月 4日 (水)

一枚の図面から 5-1 宮原式水管機関車

側面断面と横断面図だけなので、どのような形なのかいまいち分からないのですが、実際に作った場合はどのような形の機関車になったものか、大変興味が出てきました。

機関車の系譜図ではかなり設計が進んでいたという事を信じて、全部の図面を丹念に調べて、図面を書いてみました。

先ず、2120の下周りの寸法と今回の改造図の寸法をチェックしたところ、全長も含め主要部は全く共通ですので、下周りは2120でそのままCADにプロットしました。

それをベースに今回の図面を1/20に拡大したものを測るわけなんですが、縦と横や、各図で寸法に狂いがありますので、微妙なサイズで何種も拡大コピーを撮ります。せれでも狂いがあるので、ところどころにある寸法でその都度チェックしながら寸法を出します、もちろん全部インチで寸法を出します。

8本あるタンク(ヘッダーと呼ぶのでしょうか)の内、細い2本はキャブの前面部から途中で終わっていて、そこに加減弁があるのですが、太い6本は煙室まで伸びているようです。一番前の断面図は、煙突中心のようなのですが、他の断面の大きな輪郭と共にだいぶ小さい形の輪郭があり、屋根もすぼまっています、当初はこの小さな断面がボイラー先端部を表していると思って書いたところ、側面図と合わなかったので、煙突中心を表していると分かり、ボイラー(煙室)先端部はもう少し小さくなる事が分かりました。大きなヘッダーが煙室まで伸びていて、屋根のテーパーを考えると、煙室もテーパーになっていると考えるしかありません。

全く分からないのが、煙室前部の大きな水タンクです。前面の図面は断面だけで、この部分の図が無いのでどれだけ幅があるのかが分かりません、煙室に扉が有ればこのタンクは左右に分かれていると思うのですが、それも図が無いので分かりません。そこで細かく断面図を見ると、ボイラーの中ほどの仕切り板にフタがあります。普通の煙管ボイラーは火室以外は密閉されていて中に入ることはできませんが、水管ボイラーはある程度の気密が保たれれば中に人が入っても問題ないわけです。そう考えると、煙管の掃除が不要なこのボイラーの場合は前に大きな扉を付ける必要はなく、メンテナンスに人が入られれば良いわけで、ボイラー下部に人が入る場所があるなら特に煙室前面に扉を付ける必要が無いと思います。というわけで、左右一杯の幅にして左右の水タンクとつなぎました。

キャブはボイラーが高くなったので、屋根をかさ上げしていますが、側面は元とあまり変わらないようなんですが、結構誤差があり、窓のカーブもだいぶ違う形になっていますが、とりあえず改造図の形にしました。

2120

以上を踏まえて書いたのが上図です。

大体の輪郭はまとまりましたので、これで模型化は可能かもしれませんね。

明日にでもこれを元に3Dモデルを作って形のイメージを確認しようと思います。

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2013年12月 2日 (月)

一枚の図面から 5 宮原式水管機関車

機関車の系譜図3の420ページに、宮原機械研究所と言うところで、1910年頃に2120クラスの機関車を水管ボイラーに改造するという計画があり、かなり設計が進んでいた。

という記事がありますが、図も何もなく、全く謎で、どのような格好になるのか想像もできませんでした、その後、その説明図と思われる物が手に入りましたので披露いたします。

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どうです?この形を見て、「想像通り!」と言う人が居たらすごいんですが、完全に水管ボイラーですねぇ、水管ボイラーは発電所のような大きい物は効率が良いだろうと思いますが、この程度の大きさでしかも横長で十分な蒸気発生量が出せたのでしょうか?

ボイラー周りの外観は分かりにくいですが、側断面だけを見るとオットードイツのディーゼルのようですねぇ。

断面が半分ずつですが4枚あって、キャブからボイラー、煙室まで断面があるので、ある程度のデザインが可能かも知れません。私も時間が有れば、3Dでモデリングするのも面白いかも知れませんね。

キャブの窓はB6とはカーブが違っていますが、図を簡略化しただけで、形を変えた物ではないと思いますが、妻板が変わっていて、アメリカの機関車の様に屋根と側板とがつながっているようにも見えるので、キャブの上半分は作り変える予定だったのかもしれませんね。

まぁ、この複雑さでは、水管の付け根等から水漏れが起こったら小さいだけに大変だったんではないかと思うし、この機関車がもし作られたとしても、鉄道院>鉄道省>国鉄ではろくにメンテナンスもせずすぐに使う事をやめてしまったでしょうねぇ。

市販のB6の下回りとリヤタンクとキャブ側面を使ってやってみよう!!と言う人が居たら大拍手です。ウェイトのスペースは大きいので、模型では強力な機関車が出来ると思いますよ。

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2013年12月 1日 (日)

一枚の写真から 9 機関車編 Steam Dummyというジャンルの機関車

皆さんは、Steam Dummyというジャンルの機関車をご存知でしょうか?

私は不覚にも昨日の国東の機関車を調べるまで知らなかったんですが、蒸気機関車に路面電車のような車体を付けた物。

アメリカではスティームトラムと呼ばずにSteam Dummyと呼ぶようですね。

そこで今日の写真ですが、日本で活躍した唯一のSteam Dummyとも言える、塩原軌道のA号、1911年ポーター製です。

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A号って変ですが、近藤一郎さんの「新編H.K.ポーターの機関車」に塩原軌道の番号がA,B,Cだったことを発見した顛末が書かれています。

そして、ポーターのカタログ

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全く同じ写真ですが、上の「NIPPON」や「PORTER 32」の文字は写真に書き込まれた物と分かります。

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これは寺島京一氏が複写した絵葉書で、西那須野駅での1コマです。

見てのとおり、電車のような形をしていますが、中は一杯で、単なる機関車です。扉は右側だけで、左側は後ろまで全部窓です。煙室扉が妻板に付いてるような格好で、アメリカの機関車の様に耐熱の銀色に塗っていたのでしょうか。

塩原軌道は栃木県西那須野から塩原口まで14.6kmの鉄道で、開業は1911年、軌間は1067mm、当初この機関車2両で営業を開始して、後にクラウスのCタンクを増備して、1921年に電化、「塩原電車」と社名を変えて1936年に廃止の鉄道です。

さて、昨日の国東も、同じSteam Dummyと言うのが分かったと思いますが、実はその国東の機関車の原形と同類が現在も保存されているのをご存知でしょうか。

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これは中西進一郎さんが撮影された写真ですが、アメリカ、ケンタッキー州のMammoth Cave National Parkと言うところで保存されています。

ボールドウィンの製番9442で、国東より1年前の1888年製、ゲージは恐らく標準軌、外板は鉄板貼りのようですが全体は木造ですね。

パイプをつぶして作ったカウキャッチャーも怪しいので、普通型になっていた機関車を復元工事をしたのかも知れませんね。

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