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2013年12月10日 (火)

一枚の写真から 11 貨車編 とある有蓋車

今回は私が撮った写真です。撮影は1986年、南海電鉄(当時)貴志川線の伊太祁曽です。

445_19860906_18l

なーんや、普通のワ1やん。と思うでしょ?

写真の手前角の台枠の所、隅柱に大きな当て板があるでしょ?、それから側柱の上部、軒桁に当たる所に三角の補強!

これは山陽鉄道が日露戦争当時に兵庫工場で250両作られた貨車なんです。同類が近江鉄道にもありましたが、そちらは床板が無くて側だけだったので特徴ある隅柱の補強もありませんでした。

車両の視点Ⅱ P48に杵屋栄治さんの昭和10年当時の現役の写真がありますが、通常のワ1は、大正時代中期の増トン工事によって5~7トンの物を10トン積みにするために側の柱を継ぎ足して高さを上げているので、かなり背が高くなっているのですが、この写真では他のワより高さが低くなっています。

とりあえずぐるっと1周しましょう。

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445_19860906_22l

そして

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ピンボケって?、現地へ着いたのが日暮れ直前で、暗くてピントを合わせられなかったのです、絞り開放の低速シャッターで実際より明るくなっていますが、肉眼ではかなり暗い状態で・・・などと言い訳をするんですが・・・。適当ピントでゆるーい写真になってしまいました、まぁ資料という事でご容赦を。それにしても水色に塗られていて良かった。

おまけで、側梁の下から床下にカメラを突っ込んで撮ったもの。

446_19860906_29l

正面左の梁は手前側の中梁です、その下に黒く見えているのが向こう側の側梁、軸箱守が切断されているのが見えますね。台枠も完全な鋼製です。

この貨車はもちろん国鉄関係の形式図集に形式図が有るんですが、見てみると不思議なことが浮かび上がってきました。

先ずは鉄道院最初の1911年(明治44年)版

1911p374_3

そして、1926年(大正15年)版

1926p250_2

同じ、1926年(大正15年)版の追録

1926p2601 

ここで、高さ関係が100mm下がっていますね、そして「死重積載」が消えています。

そして最後の1929年(昭和4年)版

1929_p272_2

大正15年版を境に高さ寸法と記載データが変わっています。

これらの事をまとめたのがこの表です。

Axls_4   

上の段がこの貨車、上の4段は形式図からの寸法、下の「参考」は、増トン後の他の「ワ」です。緑文字は、形式図の寸法を元にした計算、赤文字は下記です。大正3年版は明治44年版と同じなので割愛します。

数値は、明治44年版はフィート・インチをmmに換算しています。大正15年版の最初の物が原形、大正15年版の追録が増トン後と解釈できますが、表のH列、屋根の厚さを形式図の数値から計算したところ、マイナスになってしまいました。これは大正15年版で床面高さが増えているのが原因の様で、他のワと比べても大きい数値となっています、このような改造をすることも考えられず、これはインチからmmへの計算ミスと考えて、床面高さは当初からの1122mmと推定しました。これが表の5行目、赤文字です。

要するにこの貨車は改造工事によって100mm車高が下がっているのです。

増トン工事の目的は、速度向上による走行安定性のための重量の確保と、短い軸距離の延長が主要因と鉄道技術発達史に書かれていますが、もう一つ、貨車1両当たりの容量とトン数の統一と言うのが大きいと思います、貨車は混載を除けば通常は1車毎の契約なので、各社で大きさが違うと不便が生ずるためです。

これを踏まえて、今回の貨車と、他のワと比べてみると、改造前、容積は他の増トン後のワより大きく、荷重は9~10トンとなっていて重量に比べて容積が大きくなっています。これは日露戦争の軍馬の輸送を考えた設計であろうと思いますが、他のワに比べて容積が大きすぎるのを統一するために増トンならぬ「減トン」工事をしたという事になりますね。改造後は他のワとさほど変わらない数値となっています。

ところで。

この山陽鉄道のワですが、形式図でご覧の様に、最初に書いた隅柱下部の大きな補強が特徴ですが、という事は、当初から鉄製の柱だったという事なんです。近年まで残ったワで鋼製の柱を持った物は通常木製の柱を改造したものですが、この貨車の柱は、高さを除けば原形のままと言えると思います。そして屋根は、山陽鉄道には珍しくR屋根なので、これもどうやら原形のようです。というわけで、私が見たこのダルマは大正中期の増トン工事を経て、自連化工事をした後の姿をとどめていると思われます。

製造当時は、木製の柱が普通の時代ですが山陽鉄道は鉄製の無蓋車を作ったりもしているので鋼材の扱いでは日本の最先端を行っていたようです。

しかもこの当時、兵庫工場では後の6100,8500,3380等を製造していて、他の貨車や客車もたくさん製造しています。今、元の敷地を見るとそれほど広くはなく、新橋工場や神戸工場などとは規模が違いますね、さすがに狭すぎたようで、明治33年に鷹取工場を開設し、修繕業務等からそちらへ移転していったようで、国有時もまだ移転途中だったと鷹取工場60年史にあります。

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コメント

まいど
読んでたらなんか、ねむうなって来たんで寝ます。
おやすみ。

投稿: おそまつ君 | 2013年12月10日 (火) 04時22分

4時22分って!!
こんなん読んどらんと、早く寝ろ!!!!

投稿: クラーケン | 2013年12月10日 (火) 09時20分

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