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2013年11月

2013年11月30日 (土)

一枚の図面から 4 ある機関車

まずはこの図面をご覧ください。Willamette_bridge_042_1572l

これはアメリカのWillamette Bridge Ry.という鉄道のスティームトラムなんですが、これの写真がこれ。

Willamette_bridge

そして、これはDenver & Berkeley Park Rapid Transit Ry.のNo.9 Wheat Ridge。

この2両の写真、そっくりでしょ?動輪径が、上記は914mm下記が889mmである以外ほぼ同型のようなんです。

Wheat_ridge

このDenver & Berkeley Park Rapid Transit Ry.の機関車の僚機が、実は日本に来たようなんです、それも2両!。

恐らく電化で不要になり、売却された物と思うんですが、アメリカの中古の機関車を日本で購入した、ってあまり聞かないんですが、「スクラップとして購入したものを再生した」って、どこかで聞いた事ありませんか?

この機関車の特異なリヤタンクと銘板、ベレー帽のような給水ハッチ・・・・

そこで、

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おいおい!って思うでしょ?

けれど、特異なリヤタンクをご覧あれ!、下周りをご覧あれ!

そう!モデラーに人気の高い!?、国東鉄道の2,3号!、これこそがDenver & Berkeley Park Rapid Transit Ry.の機関車のうちの2両の後の姿なんです。

木造の部分を全部撤去して、キャブとランニングボードを作ればあーら不思議!

図面の動輪を889mmに変更して、模型化でもいかがですか?

近藤一郎さんはこの機関車を含む「ボールドウィンの機関車落穂拾い」と言う、私の駄文とは違ってちゃんとした本の原稿を書かれているんですが、発刊できるかどうか・・・・。

スクラップだったという説には反論もあり、まだ謎が多き機関車ですが、製造時と末期で姿が大きく変わった機関車の1つとして非常に面白い機関車です。

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友達紹介 2 YBさん 2

今日は、親しい人たちと忘年会でした。

まぁ私の友人たちと言ってもすごい人たちで、友人と言うより、師匠たちと言った方が良いような人たちで、ほとんど全員私より工作上手な人たちです。

なかでも、先日お宅訪問した、YBさんは、お邪魔した2週間前はまだ台座を作り始めてたC62の汽笛を完成させて持って来ていました。

これがまた・・・・

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1/24なので、弁から上の本体の高さが17.9mm、当然のごとくハンドルその他はネジが切ってあって回して緩めたり出来ます、吹鳴のレバーやそれで抑える軸も大きいように見えますが、肉眼では「何か動くなぁ」と言うような感じです。

そして上の共鳴箱!空洞になってるでしょ?肉厚は0.2mmくらいでしょうか、写真では分かりますが肉眼では分かりませんでした、実物はその下のカップ状の物の周囲に細いスリットがあってそこから蒸気を出して鳴るのですが、実物でスリットの幅0.5mm程度かな、そのスリットがあるんじゃないかと確認したほどです、0.5/24=0.02mm、さすがに無かったですが・・・

組立は半田ではなくロウ付け、ボルト等はネジが切ってあります。

OJゲージで、スクリューカプラをM1.0のネジの右ネジ左ネジでちゃんと締まるように作る人も一緒でしたが、彼も含めて全員口アングリです。

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2013年11月29日 (金)

一枚の写真から 8 機関車編 夕張炭鉱の圧縮空気機関車

またまたポーターですが、今回はちょっと珍しい圧縮空気機関車です。

日本の圧縮空気機関車は汽車会社の魚雷の材料を使ったという物が有名で、鉄道史料20号に図面と詳細な報告がありますが、ここで紹介するのは、同誌21号でも紹介された夕張炭鉱の圧縮空気機関車です。

この機関車は日本最初の圧縮空気機関車で、登場は1898年(明治31年)で、1-4号の4両で、最後の1両のみ1904年製です。軌間は498.5mm、動輪直径は558.8mm、全長は5029.2mm、高さは1473.2mm、幅は990.6mm、小さいですねぇ。

炭鉱坑内での粉じん爆発に備えたもので、昭和3年に電気機関車に代わるまで使用されたようです。

資料は、鉄道史料21号と、例によって金田茂裕氏の「H.K.ポーターの機関車」、近藤一郎氏の「新編H.K.ポーターの機関車」、それ以外は思いつきませんが、ぜひ、それらを参照してください。

では、夕張炭鉱2号の写真です、これも本邦初だと思いますよ。

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ほとんど真横ですねぇ、近藤さんの「新編H.K.ポーターの機関車」または「1億人の昭和史13巻」に正面に近い写真があって、推定形式図も近藤さんの本にあるので、つわものは模型化できそうですね。

汽車会社のは610mm軌間ですが、それも作ってこれと並べてみたいなぁ・・・

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2013年11月28日 (木)

一枚の写真から 7 機関車編 横浜税関の機関車

ポーターつながりで、今回は「亀の甲」です。

このクラスはアメリカでは非常に有名で、模型製品も多く出ています。

日本にもこのタイプは2両来ており、1067mm軌間の物が横浜税関の海面埋立工事用、もう1両は秋田県の浅野総一郎専用鉄道向けで610mm軌間です。

従来は1両の機関車が改造を繰り返しながら変転したと思われていましたが、近藤一郎さんが「新編H.K.ポーターの機関車」で2両と解明しました。

これらの機関車は、1067mm軌間の横浜税関の物は、工事終了後762mm軌間に改造されて上野鉄道に行き、5号を名乗りました。

610mm軌間の浅野総一郎専用鉄道の機関車は後に相模鉄道へ行き、無番号として馬入川の砂利採取線で使われた。この時の写真が機関車の系譜図にありますね。

さて、今回の写真ですが。これも私の友人「養殖海坊主」君が入手したもので、前の義経や大湯鉄道のと同様、ポーターのメーカー写真で、これも本邦初の発表になります。

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ポーターの製番は2224、キャブに書いている通り、横浜税関の海面埋立工事用の機関車です。

この機関車の図面は、国会図書館の「近代デジタルライブラリー」でダウンロードできる「横浜税関海面埋立工事報告」の巻末の折込にあり、これはそれからの抜粋です。

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金田茂裕氏はこの図を元に組立図を書き始めており、それが残っています。金田さんはこのように方眼紙に先ず鉛筆で下絵を書いて、それを元にカラス口で清書したようですね。その事が分かる貴重な資料だと思います。

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そしてこの図面は、近藤一郎さんの手で「新編H.K.ポーターの機関車」の折込になる組立図に・・・・・実際は近藤さんが独自で探し当てたポーターの組立図を元にしたものを書いて、この機関車の研究は一旦終了し、その後にこの写真が見つかったというわけです。

ですから、この項は、「新編H.K.ポーターの機関車」と共に見て頂けたらと思います。もちろんこの本の元になった金田さんの「H.K.ポーターの機関車」も。

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2013年11月26日 (火)

一枚の写真から 6 機関車編 国鉄50

国鉄の機関車はかなり研究が進み、全形式が解明されたかのごとく思われる方も多いかと思いますが、国鉄の機関車の全形式を網羅した研究書は意外に少なく、形式図集を除けば、臼井茂信氏が1956年に発刊した「国鉄蒸気機関車小史」と、金田茂裕氏が1984-1986年に発刊した「形式別国鉄の蒸気機関車  Ⅰ~Ⅳ」の2種類のみです。

臼井さんの「国鉄蒸気機関車小史」は当時は非常に有用であったと思いますが、さすがに古すぎ、その後に発刊された多くの書籍によって訂正すべき内容が多く、57年も経った現在ではさすがに有用とは言えなくなっております。

その後発刊された、金田さんの「形式別国鉄の蒸気機関車」はその後の多くの訂正を行い、形式図と写真を全形式に入れた画期的な本です。

この書籍を含め、金田さんの本の大きな特徴は、発刊後も新たな発見や間違いが見つかった場合の正誤表を精力的に出していることで、金田さん亡きあとは、近藤一郎さんが引き継いで各書籍の正誤表を出し続けています(正誤表等の請求はこちらへ)、メールはくれぐれも迷惑にならないようにお願いしますよ。

ただ、正誤表にも限界があり、「形式別国鉄の蒸気機関車」の様に発刊から30年近く経ってしまうと、正誤表の域を超えてしまうような事が多くなってきます。そのような場合はそれ以降に発刊された書籍を見るべきと思います。

この「形式別国鉄の蒸気機関車」で初めて世に出た写真に形式「50」があります。

荒井文治氏撮影となっていましたが、本当は長沢佳熊氏の撮影だそうですが、非常に不鮮明な写真で、金田さんはこの写真とわずかな数値から形式図を作成された。後に近藤一郎さんが組立図より作成された形式図と驚くほど近く、金田さんの慧眼に感服する。

H.K.ポーターの日本に来た機関車に関しては、2011年の近藤一郎氏の「新編H.K.ポーターの機関車」が最新かつ現在最も正確な研究資料ですが、その後も発見等があり、今回お見せするのもその一つです。

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これは私の友人が入手したもので、H.K.ポーターのメーカー写真です。

「DAITO RAILWAY Co.」と書かれている通り、大湯鉄道の機関車で、メーカーズプレートの製番5642から1号と分かります、後に買収されて形式50の50号となった機関車です。

従来の写真に比べてこの鮮明さ!、近藤一郎氏の「新編H.K.ポーターの機関車」の折込にある組立図とで、全貌がほぼ解明されたと言えると思います。

ゲージは1067mm、非常にかわいい機関車で、運転整備重量は10.87tしかありません。後に10.71tになっていて、水タンクを縮小したとする本もありますが、解体直前の従来の写真と比べて、変化はないようです、また、上記「新編H.K.ポーターの機関車」では組立図が実際とは違う可能性を指摘されていますが、この写真で疑問点は氷解しました。

こんな具合で、1枚の写真でも研究が大きく前進することがあり、「これだから研究はやめられまへんなぁ」ですね。

本当にこれを入手してくれた友人に感謝です。

これで国鉄の機関車の1形式が埋まったわけですが、まだ写真の無い物や、形式図すらまともに書けないものもあり、まだ道半ばです。

これをご覧の皆様で、他の人は持っていないと思う、古い時代の機関車の写真をお持ちの方で、公表しても良い方が居られましたら是非メールでご一報頂けたら幸いです。

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2013年11月25日 (月)

一枚の写真から 5 機関車編 義経

このところ、図面ばかりでしたが、久しぶりに写真です。

近藤一郎氏が2011年に発刊した「新編H.K.ポーターの機関車」は、金田茂裕氏が1987年に発刊した「H.K.ポーターの機関車」を元に、それ以降に見つかった非常に多くの資料を使ってもう一度チャレンジした労作です。ぜひあなたの書架に一冊!!

お二方が所蔵していたにも関わらず、その2冊に載らなかった写真です。

傷が有ったり、破れがあったりと、見た目が悪いのとコントラストが低いのとで印刷は無理と判断されたのかも知れません。

そこはブログ、そんなことお構いなしで、ちょっとコントラストと明るさを調整した物を見て頂きます。

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写真をクリックすれば拡大しますので、ぜひアップで見てください。

非常に美しい写真ですが、煙突上部は破れてしまっています。

もう一枚の写真、これは上記2冊に載ったメーカーのカタログ写真です。

368porterl_2

この2枚を詳細に比べてみたところ、カタログ写真と上記の写真は見えている物や各部の角度が同じで、カタログ写真は上記の写真に修正を加えたものだと分かりました。

という事は最初の写真はH.K.PORTERで撮られた写真という事が分かります。

元の写真は、暗部が良く出ているのですが、上部のハイライトが飛んでしまって、そのままでは使えなかったのでしょうか、それにしても修正でワゴントップボイラーがストレートの様になってしまっていたり、全体がぼけた感じになっているのはひどいですね。

木のプラットホーム上に線路と直角に仮の線路を敷いて、はみ出したところに櫓や馬で無理やり撮影台を作ったような感じです。標準軌ではないので既設の線路が使えなかったのかも知れませんね。

それにしてもこの写真、すごいです、日本初の空気ブレーキのコンプレッサに空気ダメ、ブレーキシリンダにその配管まで鮮明に写っています。

また、第2、第3動輪間のイコライザーに模様があったり、ブレーキハンガーやシューにまでラインが入れてあったり、また、クロスヘッドの動きで給水するフェードポンプもよく分かります。

昭和27年の鷹取工場での復元工事の際は、空気ブレーキもフィードポンプも付けず現在に至っていますが、梅小路の新しい博物館では走行状態にするという事も聞きましたので、外観だけでも復元してくれればいいんですが・・・しないでしょうねぇ。

蛇足ですが、弁慶の絵葉書を1枚。

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ん?同じような・・・・

ロッドの位置も影の具合も全く同じ、写真修正の達人に掛かると弁慶の難しい方の字も書いちゃうんですねぇ。

これに関連しまして、Good Old Rail「しずか」について非常に興味深い記事があります。ぜひご覧ください、王子の軍用鉄道の記事もあります、該当の記事は5ページ目です。

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2013年11月24日 (日)

一枚の図面から 4 昔の工業規格

今回は、ちょっと趣を変えまして、材料関係の規格のお話。

「そんなもん知ってるワイ」とおっしゃる方は飛ばしてください。

私の蔵書に、昭和12年発行の「機械工学便覧」というのがありまして、こういう便覧は現在でも、工業関係に身を置く者は必携で、私も現代の物を使っています。

模型等の世界でも、実物を実測したり、寸法のない図面を測ったりするときに必要で、ボルトやリベットは、図面では軸の径が書かれているので、模型に必要な頭の寸法は資料を見ないと分かりません、空気管等も同様で、指示寸法が規格の違いで内径だったり外径だったり資料を見ないと正確な寸法が出てきません。

工業規格、鉄道関係では、国鉄は大正10年にフィートインチからメートル法に正式に切り替えたと記憶していますが、規格の多くは現代にいたるまでフィートインチをベースとした物が多く残っています。

戦前の工業規格は「日本標準規格」=「JES」と言い、メートル法採用と共に発布されたようです。ですから、私が持っている「機械工学便覧」はこれにのっとっているのですが、私の主たる興味は大正初期あるいは明治期に及ぶので、この規格ばかりでは埒があきません。

それ以前も「便覧」は有ったろうと思いますが、私が持っているのは、機関車の設計法等、個々の分野についての物ばかりで、全体を見渡した資料は持ち合わせていないのですが、古い車両等を調べるにはそういう標準的な物を調べる必要があります。

恐らく、各業種で独自の規格を作っていたかと思うのですが、いまいち分かりませんので、後の規格は従来の物を元にしていると考えています。

そこで、昭和12年の便覧なんですが、上にも記したように、現在のJISと寸法関係はさほど変わりません。それは過渡期の混乱を避けるため、従来の材料が混在しても支障が出ないようにと言う配慮だと思います、それは、フィートインチからメートル法に変わった時も同様で、現代のJISも、こと鉄鋼材料に関しては、未だにフィートインチがベースになっているんです。

ですから、後の規格表を見るのは、それ以前の規格を見るうえで役に立つと思います。

昭和12年発行の「機械工学便覧」から比較的重要と思われる材料関係とボルト類の寸法表を貼り付けます。先ずは鋼材から。

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ボルト類とリベット

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上記の表の寸法は、フィートインチを採用している国々も近い寸法なので、英国や米国等の図面でも近い物が使われているようです。

各寸法を下記の様に近似のインチにすれば、日本の古い時代の寸法になります。

3>1/8"(3.18mm),4.5>3/16"(4.76mm),6>1/4"(6.35mm),

9~10>3/8"(9.53mm),12>1/2"(12.7),16>5/8"(15.88),

19~20>3/4"(19.05mm),22>7/8"(22.23mm),25>1"(25.4mm),

30~32>1-1/4"(31.75mm),38~40>1-1/2"(38.1mm),

45>1-3/4"(44.45mm),50>2"(50.8mm),63~65>2-1/2"(63.5mm),

75>3"(76.2mm),100>4"(101.6mm)と言うような感じです。

フィートインチの時代は、基本的に分数で、上記の様な並びになります、要するに分母が8の倍数になるという事です。

なお、鉄板等の規格の板厚は、現在1.2,1.6,2.3,3.2,4.5,6,9,12,16,19,25と言う感じで、やはりインチ寸法がベースとなっていて、各寸法の間の厚さの物も準標準として存在します、これも昔はインチに換算することが出来ます。

ネジやリベットは図面では軸の径を指し、上表のd寸法が図面指示の寸法に当たります。ですから、模型的には、ボルトは上表のB又はC寸法、リベットではD寸法が重要になりますね。フィートインチの時代は、やはり材料と同様で、近似の寸法となります。

なお、空気配管等は一般的に「ガス管」と言う物で、今の家庭用のガス管と同じものです。図面指示のサイズは、基本敵に内径で、模型等に使うには外径が必要なので、下記のような寸法になります。

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管継手はねじ込みタイプが普通ですが、蒸気機関車ではフランジ継手も見られます。

蒸気管等に使う銅管は、基本的に図面寸法が外径で、継手はフランジ以外はガス管と見た目が違うので塗装をしていても見分けがつきますが、一部内径指示の物もあるようです。

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2013年11月22日 (金)

一枚の図面から 2-1 ある電気機関車の、後日談

「一枚の図面から 2 ある電気機関車」を掲載したのち、さるお方から「これでは無いだろうか」と写真を1枚頂きました。

これです。

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屋根を延長して、デッキの手摺を屋根まで伸ばして、砂箱を高くすると、まさにこれではないでしょうか。

写真は王子と下十条の中間で、東京第一陸軍造兵廠の十条工場の専用線で使われた機関車との事です。

軌間は750mmとの事で、762mmから改造されたのかも知れません。ポールも図とはちょっと違い、その下の箱もありません。

ヘッドライトを前後に2個づつ持ち、屋上にはベルのような物が有ります。

このようなトロッコを牽引するのなら、空気ブレーキは不要だろうから撤去して、その跡へ屋上から抵抗器を降ろしてきたのかも知れませんね。

図面と、この写真で模型を作れそうです。

皆さんいかがですか。

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2013年11月19日 (火)

7010,5100の製作 35 明治初期の機関車大改造を追って

7010,5100の工作はほとんど進みませんが、今日は炭水車のリベットを打つための準備と一部の打出しです。

ちょっとリクエストもあったので、今回は図面も交えて、私のリベット打出し機の説明をします。

本体組立

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本体部品 左上がベースで、その下がスライドする奥行きのストッパ、

右の表とその下のボルトはダイです。

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これはサドルタンク等の内側R用の治具、今回はこの図面の治具は使わない予定です。

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本体はプロクソンの使っていないボール盤、そこら辺に転がってる材料を使って図面の物を作って、本体にネジ止めします。右に立っている寸切りボルトはボール盤のハンドルを当てて止めるストッパ、これが有るのでリベットの形が統一できます。

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ポンチは折れた小径のエンドミルを加工、ダイはM3のセットスクリューです。

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ポンチとダイのアップ

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5100の床下増漕のリベットを打ちます。

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リベットのピッチは先に打ったリベットに引っ掛ける方式で、ダイを旋盤加工で段差を付けます、この段差部分の直径がピッチになります。

リベット径は0.25で、ピッチは0.6なので、ダイの段差部分の直径は0.6x2-0.25=0.95です。

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鉄のセットスクリューは焼き入れが出来るので、段差加工、中心に0.25の穴あけ加工の後、焼き入れをします。

明日から本格的にリベットを打って行こうと思います。

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2013年11月17日 (日)

友達紹介 1 YBさん

昨日、京都の御大と、ハタ坊さんとで、高槻のYBさんのお宅へ伺いました。

先ずは昔撮った写真から。

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これを見て、おおっ!と言う人は中々の通かと思いますが、京都の御大が本に載せようと思っていたのに省かれてしまった機関車の従台車です。

YBさんは学生時代までキンキンの鉄道好きだったんですが、就職と共に仕事に専念するため、きっぱりとやめてしまいました。

定年後再開したんですが、この写真は当然学生時代のものですねぇ。こんな機関車のこの部分を撮るあたり中々の人です。

再開後は、模型を作っているんですが、これがまた・・・・

仲間内で有名な、「お座敷工場」です。

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これだけ機械があるのになぜかフライス盤が無い・・・しかしよく見ると・・・

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何と!旋盤がフライス盤になってる!!主軸回転数が結構上げられるので、主軸にエンドミルを付けて・・・・、親戚が集まる時はこれらの機械を全部押し入れにしまうそうです。大変ですねぇ。そして・・・

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この極小タップダイス!、どんなに小さなものを作ってるかと思うと・・・。

どーん!

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今は分解中ですが、1/24のC62です。

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動輪は当然中空のボックス、車軸と輪心、輪心とタイヤは細目ネジねじ込みにより分解が出来ます。

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これらのバルブギヤー等、全部旋盤(本人はフライス盤と言っている)で作ってるんですよ、わざわざ多くの治具を作って・・・・。

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動輪の表面の鋳物風のボツボツは、「ケガキ針でチョンチョンと突っついた」との事ですが、何万回?

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このドーム、自作の金型を使ったプレス製です。

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そして、例の極小タップダイスの使い道・・・

左はインジェクターのハンドルで、右側の物を三角のカッターで丸棒から削り出し、これを成形したものにリングをかぶせて・・・、「ナットを緩めれば外れるのは当然」なんて言っています。

そして左側は見てのとおり砂撒管元栓ですが、左側の母型を作って、ロストワックスを発注したそうです、ですが、何か未完成のような・・・

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完成がこちら。

各ボルト類は全部ねじ止めらしいですよ、一体何個のボルトがねじ込まれてるんでしょう。

そしてT型継手も全部自作。

このほかにも、動力逆転機の所で必要と、内径0.6mmのベアリングを使ったり、この人のお話は尽きる事がありませんが、下回りは完成していて、フロンガスでラジコンで走行します、走らせるほどボイラーが冷たくなる・・・面白いですねぇ。

このC62の次はC51、その次は9600。非常に楽しみですね。

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一枚の図面から 3 5100への改造

今回は私が今作っている7010と5100を取り上げます。
後の形式(本文では今後この表記とします)7010を5100に改造した内容は私の製作記に概略を書きましたが、文だけだったので、今回はちゃんと図面で検討を追っていこうと思います。

先ずは金田茂裕さんが1990年に出版された「日本最初の機関車群」所載の7030(7010とほとんど同型)の組立図です。

7030
近藤一郎さんからVulcan Foundryからのオリジナルの組立図を見せて頂きましたが、青焼図をマイクロフィルムにしたものを焼き付けたもので、全体が真っ黒で非常に見難く、金田さんはこの図面からよく上記の図面を書き起こしたものだと思います、ですから私はオリジナルではなく、金田さんの図面を元にしました。

71005100
金田さんの7030組立図をCADに書いて、それを下にコピーして、5100の形式図の寸法によって、流用する物を探しながら各部をまとめて行きました。

5100
7010から流用の物が黒線、変わった所が赤線です。

結果は驚くべき物で、従来発表されていた改造方法よりかなり巧妙で、

台枠はモーションプレート前端付近で切断して、そこから前を新製しますが、側板は従来の板台枠の内側に重ね継ぎして、板厚分だけ台枠を狭くして、先台車の車輪の横動の逃げとしたようで、半径100mの曲線上ではこれで十分先輪を逃げる事が出来る、後部も端ハリとの高さ関係が変わったので、後部動輪のすぐ後ろで切断して、新たに切り出した板を継ぎ足した。

シリンダーは従来の位置に合わせ、シリンダーから新第1動輪(旧第2動輪)までの距離は同じなので、メインロッド、バルブギヤー等が全部流用できる、ただ、サイドロッドは軸距離は同じでもエンドの構造が違うので新製したと思うが、改造したのかも知れない。

ボイラー中心が、動輪が大きくなった半径分だけきっちり上がってるので、ボイラーと台枠の関係や火室等も元のまま。
ただ、レール面からの床板の高さは改造前と同じにする必要があるので、台枠の上端に合わせてあった床板は、動輪直径の差分の半径分だけ下がっている、スプラッシャは全く変わるので新製。

ブレーキハンガーも動輪直径の差分の半分だけ前へずらして、その分下の引棒を変えている。

キャブはボイラーが上がった分、前妻板のボイラーのくりぬきを上げているが、くりぬきが窓の下端と近くなるので、座を設けてキャブ全体を3”(76.2mm)程度上げているので、後部の手摺がテンダーの手摺と段違いになっている。

テンダーは元のまま。

結局、神戸工場での工作の概略は、台枠側ハリ前部の切り出しと、先台車の受けの鋳物、後部台枠の側板だけ。

動輪と先台車を輸入してきて取り付けるだけでこれだけの大改造を成し遂げたと言うことに なりますね。まさに設計の妙!。
わずかな期間で最小限の工事で済むよう最適の設計をしたWMスミスって人、すごいですねぇ!!!

設計者の大先輩として尊敬します。

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2013年11月15日 (金)

一枚の写真から 4 機関車編

今年8月初めに、私の古くからの友人「養殖海坊主」くんが、H.K.PORTERのメーカー写真を何枚か入手しました。

基本は蒸気機関車なんですが、「珍しい物」として1枚の「変な物」が入っておりました。これを選ぶ「養殖海坊主」くんっていいセンスしてます。

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トロッコを箱にして、上にモーターを乗せているようなものですが、見てのとおり機関車のようです。

製造番号7158からH.K.PORTERのカタログのリストを検索すると、メーカーのクラスはRC-70、ゲージは56”(1422.4mm)、1930年製、アメリカペンシルベニア州ビーバー郡の製鉄、鉄鋼製品製造業のA.M.Byersと言う会社に納入され、そこのNo.1となったとあリます。カタログには「Remote-Controlled Trolley」とあり、Mule(ラバ)と言う愛称だったようです。

以上がカタログにある全データですが、ゲージ56”は他に聞いたことがない物で、標準軌より0.5”狭い物です。無くはないかも知れませんが、機関車の規模を考えると、36”(3フィート、914.4mm)のミスタイプではないかと思います。

もう一つの問題、モーターが付いているので電気機関車であると思われますが、コントローラーも集電装置もありません。

集電装置が無いのは上部左のフタ状の物がバッテリーのカバーと考えると、バッテリー機関車として解決ですが、コントローラーが無いのは、カタログの「Remote-Controlled Trolley」によれば人が乗るのではなく、機関車の周りから何らかの方法で操縦していたと考えられます。この当時無線操縦技術が有ったのかどうか分かりませんが、有線の可能性もありますね。「ラバ」の愛称からも、速度はかなり遅かったのではないかと思います。

変わった物好きの私としましては、ぜひ作ってみたいと思い、図面を書いてみました。情報はこの写真1枚とゲージが3フィートと言うだけです。

Hkporter_wno7158_1

さすがに小っちゃいですねぇ。これを1/87の10.5mmゲージで作るのが良いんですが、どうせ推定だらけの物なので、1/80の16.5mmゲージとして、フランジ高など多少アレンジして模型化図面を書いてみました。

Hkporter_wno7158_2

幅が広くなりました。そして部品図も

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Hkporter_wno7158_4

車輪は7mm、モーターは直径4mm長さ14mmの振動用のコアレスを2個、ギヤーはだるまやのモジュール0.25です。目立つ連結器座はニワの旧型がぴったりです。

と言うわけで、早速真鍮板を板を切り抜き・・・・

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と言うところまでで、急に本業が忙しくなり中断してしまいました。

今は5100,7010の方に気が行ってしまってるので、はてさて完成まで行くものやら・・・・

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2013年11月13日 (水)

一枚の図面から 2 ある電気機関車

もう40年近く付き合いをしている「ヘボ職人」からリクエストがありましたので・・・

先の8250の図面と共に入手したもので、製造はもちろんBaldwin、図面の日付は1905年(明治38年)、鉄道名はJapanese Government、ゲージは762mmとなっており、その他は全く不明です。

Blw_5215l_2 

私も、日本に存在した電気機関車もある程度は知っているつもりでしたが、これは知りませんでした。

このままでは非常に難解なので、部分ごとに色分けをしてみました。

Blw_2

黄色はブレーキ関係、何と!空気ブレーキを装備しています。側面図室内右側にコンプレッサがあり、床下の左端には大きな空気ダメ、そして右側には空気分配弁とおぼしきもの、その左上にブレーキシリンダがあります。

車輪径は図面実測で24”(609.6mm)、モーターは2個なので、速度調節は直列と並列しかないので、抵抗器は必要なんですが、見当たりません、このような小さな電動車は通常床下に置かれるものですが、場所が空気関係で占領されたようです、室内には青色で囲った箱があり、ひょっとしたらこれが抵抗器かも、と思いましたが、これは直接制御のマスコンの様に思います、図では抵抗?と書いてますが・・・、側面図にはその箱より一回り大きい枠(赤色ハッチングのもの)が書かれていますが正面図にはありません、ただ、箱の付近に緑色の何かを立てるような物が有り、これは正面図にもあります、これを抵抗器の熱から乗務員を守る遮蔽板ではないかと思いましたが、単なるマスコンのアーク避けかも知れません、正面図に赤線で書いてみましたが、全くあてになりません。

そうなると抵抗器が無いのですが、屋根上の大きな箱に入っているのかも知れません。抵抗器は結構発熱するので、ここなら熱が上に逃げるので妥当です、着色図平面で揚げフタと書いているのは、屋上の箱ですね。

台枠は、7”x2.5”のチャンネル材で側枠を通し、端ハリ付近で強固につないでいます、軸箱守は鋳鋼製で側枠にボルト止めされているようで、前後の軸箱守をバーで結んでいます。

車体は1.75”(44.5mm)厚の木製のようです、床板は1.5”(38.1mm)なので車体の方が分厚いという事ですねぇ、屋上にはポール状の物が2本立っているようですが、回転しない構造なので、阪神国道線の電車の「Yゲル」のような物かも知れませんが、バネ装置がないのでどうなっていた物やら・・・

床下の空気ダメのすぐ後ろにあるオレンジ色の円筒状の物2本!何でしょう?まるで分かりません。

さて、このように調べてみましたが、やはり私には素性が分かりません。砂撒き装置がえらく詳しく書かれているので、勾配線か重量物のけん引に使われたようにも思えます、この辺りにヒントが有るかも知れませんが・・・・

何方か、この機関車の素性を教えてください。

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2013年11月12日 (火)

一枚の図面から 1 8250のこと

一枚の写真から話を広げるのも楽しいんですが、図面屋の私、図面に関しても面白い事が書けるかも・・・

第1回は、私にとっての一生に残る大イベントの事を書きます。それは先日コメントを頂いた、銕騎さん(ペンネーム)と「図面資料集成 東武鉄道の蒸気機関車」を昨年発刊した、石島治久さんとのお付き合いから始まります。

銕騎さんが石島さんとのお付き合いで、Baldwinの組立図を南メソジスト大学から入手した、と言う情報をお聞きして、早速そのホームページからリストをダウンロードしました。

リストはpdfだったので、pdfからEXCELに変換するソフトを購入して、ソートをして、目を皿のようにして、日本向けと思われるものを抽出しました。結構ミスタイプも有ったりで日本向けを全部抽出できたかどうか分かりませんが、今まで未見の図面が多くある事に驚きを隠せませんでした。

その中に、金田さんが著書でヴァンダビルト・コルゲイテッド・ファイヤボックスであると書かれた山陽鉄道の112号、後の国鉄8250があるのを見つけました。

ヴァンダビルト・コルゲイテッド・ファイヤボックスは船舶用で使われた火室を機関車用に応用したもので、アメリカのニューヨーク・セントラル鉄道等でわずかな両数が使用されたそうで、コルゲイト板を使った円筒火室で、ステイがほとんど不要で、多くの煙管を付けることが出来るメリットがあります。参考に船舶用のボイラー図面です。

Photo_3

これは構造が違いますが、 この図の下方の波波がこの構造に相当します。

アメリカで十数両に使われただけの物が日本に入っていたと言う事実を、金田さんは煙管サイズと本数だけから、このタイプの火室であると断定したわけで、その慧眼はものすごいと言えますが、今まで何の証拠もなく、本当はどうなのか、大いなる謎だったんです。

そして、その答えが出る日が決まりました。そう、銕騎さんから「荷物が届いた」とお電話が来たんです。もう矢も楯もたまらず、次の日にお伺いする事にしました。

その日、2012年7月8日は、私にとって忘れられない日になりました。

銕騎さんのお宅へは私とハタボーさんとO君の3人で伺いました、銕騎さんははやる気持ちをを押さえてまだ中身を見ていないとの事です。

組立図は60枚ほど、部品図は50枚ちょっと、1枚1枚開く度に「うおーーー!!」と言う感じです。

熱海軽便1は棒台枠ではなく板台枠、台湾のB6の「柴田文助」のリヤータンクはへの字ではなく45度の大きな面取り、全く資料がなかった徳山海軍練炭製造所の機関車他、初めて見る組立図の連続です。

そして8250!

Blw_8250_111112_4364l50_3

火室部分アップ

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どうです!!

金田さんは国鉄の形式図を元に、火室の下の台枠は通常の機関車と同様傾斜がある形式図を書きましたが、ここは水平でした、そして火室管板が傾斜している、特異な形状の灰箱等、新たな発見のてんこ盛りです。

しかし、想像で書かれた金田さんの形式図の正確さに、改めて驚かされますねぇ。

やはり日ごろからの知識の集積の賜物だと思います、その境地まで行くのが理想ですが・・・

後日、この図面を基に、近藤一郎さんが形式図を書かれました。

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山陽鉄道屈指の大型機!いつかは作ってみたい!!!!

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2013年11月10日 (日)

砺波市チューリップ公園の1052・・・のバルブギヤー

昨日の記事で、コメントを頂いたので、調子に乗って第2弾です。

外側シリンダー用の標準タイプのバルブギヤーです。従来の説ではウェッブ形ジョイ式等として特殊なものとして、600等のジョイ式の方が標準と思われてきましたが、そのタイプは内側シリンダー用のジョイ式を外側に持ってきた物で、外側に付くジョイ式としては亜流です。

日本国内ではこの1100クラスに付くタイプの物は少ないので、こちらが標準ではないと思われていたようです。

先ずは左側から。

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ランニングボードのフタを開けて、バルブスピンドルを上から見たとこ。

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バルブスピンドル。

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モーションプレートと扇形滑り

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扇形滑り上面

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メインロッド中央部

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第2動輪クランク部

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第3動輪クランク部

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これから右側、最初はО君の写真

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左側ドレンコック

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2013年11月 9日 (土)

砺波市チューリップ公園の1052

イギリス製の機関車で何が好きかと聞かれたら、10位までに入るグループの機関車。

中越鉄道が1896年にネィスミス・ウィルスンから輸入した機関車で、国有後1050となりました。1100の最終タイプと同型ですが、リベットの位置等細かなところに1100との相違点があります。この機関車は1924年に電気化学工業青梅工場に払下げ、長年働いた後、ここに保存されました。

取材は2009/7/25、温室のようなガラス張りの建物で、真夏のため、室内はものすごく高温で、夏バテの私はヘロヘロになりながら撮影しましたが、物置の様に色んな物が置かれていたこともあり、何と全景を撮るのを忘れてしまいました。ですから最初のこの写真は同行のO君の物です。

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機関車の上に乗っているように見えるのはそのOです。

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まぁ数だけは何百枚、同行の者のも合わせるとものすごい枚数になりますが、バテバテで撮ったので見れる写真は無いのですが、資料としてご覧ください。

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鉄道史よもやま話 2

明治以降、日本の鉄道で活躍したお雇い外国人は多くを数えますが、有名どころを並べると、

先ず、最初に浮かぶのはゲージの選定から、全体の構想まで、良かれ悪しかれ日本の鉄道の基本を作り上げたエドモンド・モレル、日本に赴任して、開業前に夭逝してしまいますが、彼なくしては鉄道建設の実現も危ぶまれた事だと言えます。

モレルの後任のボイル、汽車監察方の東のクリスティ、西のスミス、それからライト、東のF・H・トレビシックに西のR・F・トレビシック、これらの人々は全部イギリス人で、日本の鉄道の黎明期から官設鉄道に従事しましたが、

北海道はアメリカ人のクロフォードによるアメリカ流、

九州はドイツ人のルムショッテルによるドイツ流と、当時の世界を代表する工業国の優れた技術者が来日して日本の鉄道を作っていきました。

そのようなわけで、当時の世界の先進国の機関車達が集う状況が日本にあったわけで、それが現在、古典機関車を楽しむ者として、アメリカ、イギリス、ドイツその他の国々の機関車が同一線路上に走る面白さを味わえることとなりました。

私のような車両に重点を置くものとしては、汽車監察方の存在が大きく、特に国産第1号の機関車を作り、神戸工場で多くの機関車を作ったR・F・トレビシック(兄)が非常に有名ですね。

では、汽車監察方では彼が最も有能だったのでしょうか?

もちろんトレビシックは非常に有能ではありますが、私はそれほど目立たないW・M・スミスと言う人を最もすごい仕事をした人と考えています。

スミスは明治7年に来日して、神戸工場の汽車監察方になり、11年には解雇されてしまう。

たった4年間日本で活躍しただけですが、この間の彼の業績には目を見張る。先ず最初に行ったのは、日本が独自で車両の整備や製造が出来るよう、神戸、新橋両工場の計画と工作機械の調達、これはあまり語られることはないが非常に大きな業績と思う。

着任早々、設備も完全ではないであろう神戸工場で、日本最初の機関車の大改造を行っている。これは明治10年2月の京阪神間の開業式に備えて、Kitson製のC型テンダ機関車を2-B型テンダ機関車にするもので、外観を大きく変える大工事です。この工事の詳細については、現在製作中の機関車の記事の冒頭で書いているので参照くださいhttp://kraken.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/70105100-1-4968.html

この内容を見ても分かるように、設計を生業とする私が現代の目で見ても非常に巧妙で、設備のまだ整っていない工場での作業も考慮した素晴らしい設計です。

この後、5130のテンダーを6両製作したり、国産で初の2軸と2軸ボギーの客車を製作したり、八面六臂と言うべき活躍をしました。

当時の未熟な日本人技術者に、現場で図面を見せながら「なぜこのようになっているか」と言う説明をしながら、工員と一緒になって作業をしながら技術を教えたと伝わっています。こういう事は現在でも見習うべきことですね。

恐らく性格上の問題で、当時の日本側の最高責任者の井上勝から嫌われて契約を延長することなく帰ってしまいました。そのような人なので、帰国してからの活躍も素晴らしく、有名な複式機関車の設計など、日本に関わったイギリス人技術者で、唯一イギリスの鉄道史に名を残す人となっています。

新橋工場のクリスティは鉄道史にはほとんど名を残すことがなく、初期の機関車の状況を現在に伝える「クリスティ報告」が有名なくらいです。

スミスの後任として、西の汽車監察方になったライトは、10年も神戸工場に君臨したにも関わらず、有名なのは煙突先端の形を変えたくらい、あとは2-Bタンク機関車をテンダを作って2-Bテンダ機関車(後の5490)に改造したくらい、これなどスミスの改造に比べたら全然レベルの低い物です。このライトの煙突、好き嫌いはあるでしょうが、私は嫌いです。

工場のトップがスティタスシンボルで煙突を改造するのはイギリスでもよくある事で、それぞれ独特の形が有るのですが、提灯のようなキャップは日本では他に例がありません。

その在任中、東ではF・H・トレビシック(弟)、その後12年経って兄のR・F・トレビシックが西に着任します。

二人、特に兄が作った機関車については次回とします。

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2013年11月 7日 (木)

7010,5100の製作 34 明治初期の機関車大改造を追って

下周りの全部品の切り出しが終わりました。

1311061

左が大体床下増槽、右が側枠関係です。

ザックザックと糸鋸とヤスリ、良い運動になりました。

明日は筋肉痛かも。

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2013年11月 6日 (水)

7010,5100の製作 33 明治初期の機関車大改造を追って

延べ工作日数69日です。

昨日はほとんどケガキに費やしましたが、今日は糸鋸三昧。

半年ぶりに糸鋸とヤスリで右手がグロッキーです。

この工程は、台枠の側枠と床下増槽を切り出しです。

台枠側枠はt0.5真鍮、床下増槽はt0.2にリベットを打ち出して、t0.2と0.3で裏打ちします。

1311051

右が側枠、ケガキはもちろん裏側です。左に何枚もあるのが増槽ですが、今、写真を見て、増槽の横の板、左下の細長い物が1両分しかないのに気が付きました。

明日切り出さねば。明日はそれと裏打ち材少しと下回りのベースになる板t1.2を切り出して、リベットまで行けるかな?

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2013年11月 4日 (月)

7010,5100の製作 32 明治初期の機関車大改造を追って

色々と多忙が続き・・・なんていう言い訳を言いながら・・・

3月以来の久しぶりの工作ですが、実際は久しぶりすぎて自分が書いた図面について忘れていることもあるので、再検討から始めました。

炭水車の3Dを見ていて、前の軸中央にベアリングがありましたが、変に目立っていたので何とかしようと思い立ち、色々と図面をいじりました。

結果として下図のように、前部車軸は固定として、後部を中央で受ける3点支持として、後部車軸上部にベアリングの軸を持って来て、車軸中央を上から抑えるように変更しました。ベアリングは床下の増槽でほとんど隠れます。

このベアリングの軸は可動ウェイトの軸受と干渉するので、このウェイトの軸も兼用する構造としました。

このベアリングは2x5、車軸端部のベアリングは軸箱内側に入れなければならないので、1x3です、可動ウェイト後部のオレンジ色が中央ベアリングです。

51007010_3d_201311031_2

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というわけで、構造が固まったので、切出し作業をするための単品図を作りました。

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結局連休の前半は工作をしませんでしたが、明日から糸鋸ザクザクと行けそうです。

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2013年11月 3日 (日)

一枚の写真から 3 機関車編 明治初期の大事故

「鉄道史よもやま話」は比較的まとも、この、「一枚の写真から」に書いているコメントは、私の想像の面が多くて、あまり信用できないものと思ってほしいのですが、

今回はその最たるもの、まだ誰からも賛同を得ていない、完全に私の妄想ですので、「こんな風に考えるバカなやつが居る」、と言う程度に考えてください。

今回は写真と言っても特に珍しい物でもなく、4枚も出てくるんですが、明治10年の日本鉄道界最初の大事故について妄想を書き連ねます。

この事故は、明治10年10月1日、住吉駅東方、現在の摂津本山駅付近に於いて、下り回送列車と上り定期列車とが正面衝突したもので、機関手等職員のみ3名死亡、2名重傷と言う大事故です。

事故の原因は、定期列車に先行する臨時列車(西南戦争終結直後の官軍帰還兵輸送)が遅れたためとされている(これは下記著書で否定されている)

この事故に関しては、一次資料は「工部省記録」に記述があるのみとの事で、佐々木、網谷両氏による「事故の鉄道史」では、この資料他、多くの当時の資料により非常に詳しく調べられている。

この書には事故の機関車は、下り回送列車が26号または28号、上り定期列車が40号と書かれているが、沖田祐作氏の三大事故録では26号とされている。26号は後の7030、28号は後の7031、40号は後の141で、26号も28号も同じ7030形です。

ここで、後の写真、渡辺・岩崎コレクションを見てみましょう。

先ずは下り機関車、当時の26号(7030)

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そして上り機関車、当時の40号(141)

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両機とも、見た感じは、事故を受けなかった僚機とほとんど変わりません。

正面衝突をした機関車を完璧なまでに補修したという事が分かります。

上著および「鉄道-明治創業回顧談」の当事者の記述をまとめれば、双方の機関車は一旦逆立ちになり、上り機関車には、緩急車と上等客車が乗りかかっている状態との事です。

機関車番号は「鉄道-明治創業回顧談」の当事者の記述で26,28,40号となっていますが、「工部省記録」に番号の記載が有るのかどうか確認していませんが絶対に正しいのでしょうか。

以前から気になっていて、5100,7010を調べていた時にふと思ったんですが、テンダ機関車の方、7030は変化がないのに比べ、当時の14号、後の7010号の変化は特別じゃないかと・・・

14_7010_2

14_2

最も大きい変化、それはシリンダ鋳物を作り直してるところです。比較写真で、右の原形のシリンダは弁室に対して後ろの出っ張りが大きくなっているのですが、左の後の写真では前の出っ張りが大きく、後ろは短くなっています、真横の写真から弁室の位置は変わっていないので、これはシリンダを前方に移動させたという事を示し、シリンダは普通弁室と一体で鋳造するので、丸々シリンダを作り変えた事になります。

元々この機関車は製造時からシリンダと第1動輪が近く、「次回発注からここを広げるように」と組立図に書かれていますが、シリンダの前方への移動はこのことを実現したものではないかと思います。また、煙室扉のカーブも微妙に違うようで、ヒンジは一般的なものに変わっています、また比較写真にはありませんが、キャブが前方に長いのも、この機関車だけの特徴です。

大事故で、前面は相手の機関車、後部は客車がぶつかったという事で、この機関車のシリンダ鋳物が損傷を受け、作り直さなければならなかった、そしてキャブは後方からの圧力によって破損したので新たに作り直す時に大きくした・・・・・

7010に変化がないのに比べ、この機関車の変化は特別な物を感じます、シリンダ鋳物は大きい物で内部も複雑、高度な技術を要するのでこれは製造メーカーに発注したかも知れません、「シリンダと第1動輪間を広げるように」と図面に書いて・・・。

正面衝突の場合は、通常どちらかが上、もう一台は下と言うように上下に折り重なる事が多いのですが、この14号は相手に乗り上げて、下部が損傷、という事は相手の機関車は上部が損傷したと考えられます。

そこで、40号(141)の写真をよく見ると、煙室戸の端部の形が変わっているので別物、そして煙室前面のリベットが見えないという程度しか違いがなく、キャブの構造は他の機関車と全く同じように見えるので、本当にこの機関車だろうかと疑問はあるのですが、この時期に大きく変わった機関車を見つけられません、以前はキャブとテンダーを大改造した5000ではないかとも思ったのですが、時期が合わないようです。

ですから、今のところ、私の妄想では、上り列車の機関車は26(および28)号(7030)ではなく、同型のの14号(7010)ではないか、相手は40号(141)以外の候補はない、と言う事ですが、他にも何か候補が有れば議論をしたいと思います。

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2013年11月 1日 (金)

一枚の写真から 2 客車編 ある客車

友人から、客車も載せろってリクエストがありましたので、今回は客車の話題です。

この写真、オークションで見つけた時は出入台妻寄りの手すりから、簡単に明治39年から42年にかけて量産された、所謂「オイラン型」の事故車の写真だと思いました。

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明治の客車のこれだけのアップは非常に珍しいのでこれだけでも貴重なんですが、

この事故から何かたどれるかと思い、沖田祐作さんの最新DVDに入っている「三代事故録」を丹念に調べたところ、何と同じ写真が載っているのを見つけました。

沖田さんの著作は、どれも人生を賭けたであろう労作で、最新版は機関車表、機関車製造台帳、三代事故録の3冊を全部まとめ、多くの写真や図面を盛り込んだもので、ページ数が多すぎて、とても印刷できないと今回からDVDになった物です。

今回DVDになって写真が入っていたからこそ、この写真の事が分かったわけで、沖田さんには大変感謝です。

なお、近々、ネコからムックとして発刊されるそうです。

著作の写真は「国鉄重大運転事故」という資料からの転載で、それほど鮮明ではありませんが、私のは、その原稿の写真のようです。

その本の記事はまさに驚天動地!!非常に有名な事故の時の客車だったのです。

それは・・・

1930年4月6日久大本線小野屋~鬼瀬間で起こりました。ここでピンと来た人はかなりの・・・

そう、世にも珍しい機関車のボイラー破裂事故の時の機関車次位に連結された客車だったのです。

この客車は2,3等合造車のコロハフ1702、

機関車は8550の8610号、溶栓が溶けた直後に火室の天井板がステーから外れ、ステーの穴から噴出した蒸気が、煙室から煙室戸を突き破って、この客車貫通路から吹き込み、中央の2,3等の仕切り扉をも突き破って2等室をも破壊した。

バック運転だったのが不幸で、22人が死亡した大惨事となりました。

写真の左に見える煙室先端とステイはその事故機関車と思われる。

このコロハフ1702なる客車、「オイラン型」ではなく、官鉄で明治30年から39年にかけて作られた、明治を代表するボギー客車で、明治時代に最も多く作られた一群です。

ダブルルーフですが、屋根が浅いのが特徴で、当初の側板は箱型と同様のモールディング、後にほとんどの車が羽目板に改造されています、デッキは当初はオープンタイプで後に妻板と側の扉が付いた物になりましたが、改造したものやそのままの物もあり、多種多様です。

この車の形式図は昭和3年版が最終で、この時期にこのタイプの2,3等合造車は珍しく、たった4両です。

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この客車ではないのですが、以前、この一党の客車の研究をしたことがあります。この図はその時に模型化を考えて書いた物でこの客車とは車掌室が有るかないか程度の差と考えてよい物だと思います。

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上側の図は反対サイドで、羽目板の表現は省略してあります、色んなタイプがあるので、デッキ部はオープンタイプとクローズドタイプの両方を書いています。

この車は妻板付ですが、元々の物か改造された物かは分かりません、ただ、問題の手摺は、他の物とは違うので、「オイラン型」と同様の物に付け替えたのかも知れません。

この一群の客車に興味がある方で、私が書いた図面でも見てみようと思われる方は、メールを頂けましたらお送りいたします。

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5100と7010の事

10月28日にこのブログを開設して、4日目ですが、思いのほか、多くのアクセスに驚いています。

まぁ初物なのでこんなんでしょうか。

「ココログ」の日付変更機能を使って、2011年から作り始めた160と、5100,7010の製作日記を

トクイ車輌の作業日(週)報」から移した物にちょっと手を加えてアップしましたが、その作業がやっと終わりました。

5100と7010は、今年の2月以降、全く工作が中断したままですが、花粉症が始まったのと、実物資料のスキャン作業が大量に入ったため、工作の時間が無くなってしまっただけで、気が萎えた訳ではありません。

クラブの今年の運転会も終わり、KKCの集会も終わり、仕事もやっと落ち着いて、

用事以外で久しぶりに土曜の休みにありつけそうで、何か月ぶりかの3連休を自由な時間で過ごせそうです。

体調万全、気力充実、久しぶりに5100,7010の工作を再開しようと思います。

乞うご期待!!!

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って・・・誰も期待なんかしてないっちゅうねん。

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