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2013年10月

2013年10月31日 (木)

一枚の写真から 1 機関車編 事故写真

先ずは、この写真をご覧ください。

1800_l

模型を作る人は こういう写真、好きですよね。

私もその端くれなのでこれを見つけた時はもう大騒ぎしたものです。

で・・・これは何だろう、と言う疑問がわきますね。

先ずはこの機関車の特徴から。

台枠が板台枠である事から、一部を除くアメリカの機関車は排除、しかし薄いですねぇ、板台枠は日本の機関車の場合(以下全部)、厚くても1インチ程度まで、1/80では0.3mmほどですよ。

シリンダーが左側に見えますねぇ、シリンダーの内側が箱状になっているので、弁室は内側のようです、バルブギヤーは動輪にエキセントリックが4枚付いているので、スティーブンスン式、内側弁室なのでアメリカ式ではないですね。

下側のクロスヘッドからサイドロッドにかけて、真下から見てるので厚さ関係が良くわかりますね。クロスヘッドとその右のメインロッドの奥のスライドバーは厚さがかなりあります。9600の場合、スライドバーの幅は114.3mmで、実は高さも同じ、断面は正方形で横に溝が掘ってあります。それに比べて、メインロッドやサイドロッドは非常に薄く、9600のサイドロッドは、分厚い第2第3間でも41.3mm、その前後では38.1mmになります、1/80では0.5mm、製品のロッドは分厚すぎますね。

ここで注目は、右側の動輪、フランジレスですねぇ、という事は、少なくとも車輪は3対以上あるという事。シリンダーの隣が第1動輪なので、これは第2動輪ですね。

バネは軸箱の下に付くタイプで、イコライザーはなく、イギリス製に多いタイプです。

動輪の横のエヤータンクから、空制の機関車である事が分かりますが、シリンダーのすぐ後ろで太いテコが付いているのがブレーキシリンダーです。ここにシリンダーが有るという事は、ブレーキは前に引っ張って掛かるという事で、動輪の後ろにブレーキシューがあり、左右をつなぐハリがあって、それを前のシリンダーの所にあるブレーキ軸で引っ張るようになっています。

このブレーキシリンダーの上側に何か見えますが、これが内側弁室のバルブスピンドルです。

第2動輪のすぐ右の箱状の物は火室の下の灰箱のようですね、前寄りの中央に火室の吹出弁がありますね。

以上をまとめると、台枠、弁室、バネ装置の構造から、イギリス製の可能性が非常に高いことが分かります、また、第2動輪の横のランニングボードの下にエヤータンクがあって、ブレーキシリンダーが前に付いていると言えば、これはもう1800系しかありませんね。

1800系には1800,1850,1900,1960がありますが、この中のどれかだと思います。

ある方から、1923年の磐越西線の事故車1940,41のどちらかでは?との意見を頂戴したのですが、残念ながらあとで良く調べてみると、台枠の形やブレーキの方向が違う事が分かりました。

どなたか、この事故の資料をお持ちの方が居られましたらご一報ください。

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2013年10月30日 (水)

鉄道史よもやま話 1

日ごろお世話になっている、白馬のMさんから、実物の鉄道の話を何でもいいから書け!と言われて、この項を始めますが何を書いたらいいのやら・・・・

まぁ最初なので、鉄道の最初の頃のお話を一席。

イギリスの産業革命で我々に関係が深いのはもちろん蒸気機関であるが、元々はニューコメンが発明した、単なるシリンダーとピストンの前後運動のもので、蒸気でピストンを押した後、シリンダーを水で冷却して蒸気を凝結してピストンを戻し、また蒸気を送り込むと言う物で、蒸気のほとんどは冷えたシリンダーとピストンを温めるのに費やされるという非常に効率の悪い物であった。

それを改良して、シリンダーと別に凝縮器を作って、そちらで冷却するようにして、シリンダーが冷えないように改良したのが、かの有名なジェームズ・ワットである。

彼はさらに、このピストンの前後動をクランクによる回転運動に変える機構を開発した。これはのちの機関車に通じる大きな発明で、この後リチャード・トレビシックが世界初の線路上を走行する車両を作る元になったと考えて過言ではない。

トレビシックの有名なペナダレン号は、鉄道馬車用の折れやすい鋳鉄のレールの上を走行したので、重量に耐えられずレールの折損が多発して実用に耐えられなかった。車両の問題と言うよりインフラの問題であるが、普及するには早すぎたと言える。

その後、10年ほどの後、ジョージ・スチーブンソンら多くの技術者が時代の要請により、競って機関車の研究を始め、ストックトン・ダーリントン鉄道の開業を経て、1929年の有名なレインヒルトライアルで、ジョージ、ロバート・スチーブンソン親子によるロケット号が他を圧倒して優勝した。

この「ロケット」は従来の機関車とは大きく構造が違い、初めての煙管ボイラー、シリンダーの排気による通風の強化、シリンダーと動輪の関係等、現在の蒸気機関車に通じるさまざまな発明がちりばめられ、ジョージ・スチーブンソンを機関車の発明者と呼ぶ者も居る所以である。ただし「ロケット」の設計は実質的に息子のロバートによるのでおかしいのではあるが、機関車以外の多くの功績も含め、ジョージ・スチーブンソンの方が有名ではある。

我々機関車の研究にいそしむ者としては親子で作った機関車工場「Robert Stephenson & Company」がなじみ深い。

なお、中庸に書いた、リチャード・トレビシックの息子は当時のイギリスの大鉄道、LNWRの工場で、イギリスきっての大工場クルー工場でCMEとして活躍し、その息子、フランシス・ヘンリー・トレビシックと、リチャード・フランシス・トレビシックはクルー工場で修業した後、日本へ来て、日本の鉄道史に燦然と輝く多くの足跡を残している。

・・・・どうもこういう文を書くと固くなってしまうねぇ、ほとんどアドリブで書いてるので間違い等も多いかと思うので、皆さんのダメ出しをお願いします。

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2013年10月29日 (火)

鉄道聯隊K‐2 134号

川鉄の後は、京成電鉄に乗って新津田沼へ。

駅前の鉄道聯隊K‐2を見に行きました。

新版蒸気機関車スタイルブックに素晴らしい図面が載っている機関車ですが、これは、ゲージを2フィート(609.6mm)から国鉄標準の3フィート6インチ(1066.8mm)に改造したもので、クリーンリントナー装置を撤去して、動輪を台枠の内側から外側に移した形です。

2009年に一度見に行ったんですが、その時は日暮れ間近で撮影時間があまりなく、今回はリベンジのつもりでしたが・・・雨ですねぇ。

高いフェンスに囲まれ、全景は見苦しいですが、細かいアップはフェンスの隙間にレンズを突っ込んで撮影しました。

例によって周りぐるっとの写真を掲載します。

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詳細写真が入用の方が居られましたら、メールでご連絡ください。

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川崎製鉄千葉工場NUS7

27日に東京で、機関車模型を作る人たちの集まりがあるので、26日早朝から出て、千葉方面の機関車を見て回ることにしました。

最初はJR京葉線稲毛海岸近くの、川崎製鉄千葉工場NUS7です。蒸気機関車スタイルブックの最後のページに載っている図面と同系の26tタンク機関車です。

風の影響で結構な雨で、ずぶ濡れになって撮影しましたが、雨はどうしても写ってしまいますね。

まぁ、私は模型用の資料と割り切って写すので別に問題はないのですが、雨で機関車の周りが水深15cm程もあって近寄れなかったので、横からのアングルのみとなってしまいましたが、それでも130枚ほど撮影しました、もちろん雨のためピント等の狂いがあって全部が使えるものではありませんが・・・

以下に、とりあえずぐるっと1周したものを掲載します。

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詳細写真が入用の方が居られましたら、メールでご連絡ください。

この機関車は、川崎車両の国内向け最後の蒸気機関車として名高いもので、昭和28年3月製です。この後、インド向けを製造して、川崎製蒸気機関車は終わりました。

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2013年10月28日 (月)

汽車好きクラーケン

遅ればせながら、私もブログを始める事にしました。

末永くどうぞよろしくお願いします。

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