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2013年10月30日 (水)

鉄道史よもやま話 1

日ごろお世話になっている、白馬のMさんから、実物の鉄道の話を何でもいいから書け!と言われて、この項を始めますが何を書いたらいいのやら・・・・

まぁ最初なので、鉄道の最初の頃のお話を一席。

イギリスの産業革命で我々に関係が深いのはもちろん蒸気機関であるが、元々はニューコメンが発明した、単なるシリンダーとピストンの前後運動のもので、蒸気でピストンを押した後、シリンダーを水で冷却して蒸気を凝結してピストンを戻し、また蒸気を送り込むと言う物で、蒸気のほとんどは冷えたシリンダーとピストンを温めるのに費やされるという非常に効率の悪い物であった。

それを改良して、シリンダーと別に凝縮器を作って、そちらで冷却するようにして、シリンダーが冷えないように改良したのが、かの有名なジェームズ・ワットである。

彼はさらに、このピストンの前後動をクランクによる回転運動に変える機構を開発した。これはのちの機関車に通じる大きな発明で、この後リチャード・トレビシックが世界初の線路上を走行する車両を作る元になったと考えて過言ではない。

トレビシックの有名なペナダレン号は、鉄道馬車用の折れやすい鋳鉄のレールの上を走行したので、重量に耐えられずレールの折損が多発して実用に耐えられなかった。車両の問題と言うよりインフラの問題であるが、普及するには早すぎたと言える。

その後、10年ほどの後、ジョージ・スチーブンソンら多くの技術者が時代の要請により、競って機関車の研究を始め、ストックトン・ダーリントン鉄道の開業を経て、1929年の有名なレインヒルトライアルで、ジョージ、ロバート・スチーブンソン親子によるロケット号が他を圧倒して優勝した。

この「ロケット」は従来の機関車とは大きく構造が違い、初めての煙管ボイラー、シリンダーの排気による通風の強化、シリンダーと動輪の関係等、現在の蒸気機関車に通じるさまざまな発明がちりばめられ、ジョージ・スチーブンソンを機関車の発明者と呼ぶ者も居る所以である。ただし「ロケット」の設計は実質的に息子のロバートによるのでおかしいのではあるが、機関車以外の多くの功績も含め、ジョージ・スチーブンソンの方が有名ではある。

我々機関車の研究にいそしむ者としては親子で作った機関車工場「Robert Stephenson & Company」がなじみ深い。

なお、中庸に書いた、リチャード・トレビシックの息子は当時のイギリスの大鉄道、LNWRの工場で、イギリスきっての大工場クルー工場でCMEとして活躍し、その息子、フランシス・ヘンリー・トレビシックと、リチャード・フランシス・トレビシックはクルー工場で修業した後、日本へ来て、日本の鉄道史に燦然と輝く多くの足跡を残している。

・・・・どうもこういう文を書くと固くなってしまうねぇ、ほとんどアドリブで書いてるので間違い等も多いかと思うので、皆さんのダメ出しをお願いします。

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コメント

ブログ開設おめでとうございます。
わがヘタレ工房が参考にさせていただくには、クラーケンさんの工作レベルは違いすぎますが、すごく楽しみにしています。また、実物の話題も期待しています。

投稿: raltruck | 2013年10月30日 (水) 08時33分

raltruck様、ようこそお出で下さいました。
集会から帰って一念発起して始めました。
参考になるものがあるかどうかわかりませんが、こんなのでよろしければ、これからもご覧頂けましたら光栄です。

投稿: クラーケン | 2013年10月30日 (水) 08時58分

字だけのブログなんて私には無理\(;゚∇゚)/

投稿: ヘボ絵本職人 | 2013年10月30日 (水) 22時05分

クラーケンさま ブログ開設おめでとうございます。
これで毎日また楽しみが増えました!でも模型作る時間は減ったかも。
トレビシック兄弟が日本で活躍した時代は、LNWRではF.W.WebbがCMEを勤めていた時期のようで、B6やF1あたりのデザインはLNWRのロコとの関連も深そうですね。そのあたりまたブログなどで大いに語ってください。楽しみにしております。

投稿: ゆうえん・こうじ | 2013年10月31日 (木) 10時46分

ゆうえん様
コメントありがとうございます。
何年か前から、日本に来たイギリス人技術者の師弟関係について興味を持っています、まぁ、あまり資料は無いのですが・・・
LNWRのクルー工場は、CMEを、トレビシック(父)からラムズボトムを経て、次のウェッブがトレビシック兄弟の師匠になったわけですが、
後から日本に来た兄は、先輩に複式機関車で有名なワーズデルが居り、彼の影響でトレビシック(兄)が日本で最初に作った機関車860が複式になった物と思っています。

しかし・・・
こんな感じの文って、読む人居るやろか?
こういう感じならいくらでもネタはあるんですが・・・・

投稿: クラーケン | 2013年10月31日 (木) 13時29分

読むヒトが、私だけでも書いていただけますでしょうか?
イギリス人だけではなく、米国人や洋行帰りの日本人技術者の相姦図ではなく、相関図を明らかにしていただけると 制式機につながる日本の蒸機デザインの系譜が見えてくると思います。
大正期に島秀雄がイギリスを切ってプロイセン・ドイツに傾倒するけど、仕様に反して物産の横やりゴリ押しでで輸入された8900の米国流パシフィックが、日本の制式機のベースになっていったのは歴史の皮肉でしょうね

投稿: ゆうえん・こうじ | 2013年11月 2日 (土) 22時39分

ゆうえん様
こういうリクエスト、大歓迎です。

しかし、難しい話題ですねぇ。
機関車の系譜は大体わかるかと思ってるんですが、人のつながりとなると、各分野に非常に多くの人が出てくるんですが、それぞれがどのような活躍をしたかとなると私の興味の範囲を超えているのでちょっと厳しいです。
ですが、私が分かる程度の人々の簡単な紹介は書くつもりではありましたので軽ーく書いてみようと思います。

島安次郎と斯波権太楼との関係は機関車の系譜図に記述されている程度しか分かりませんが、三井物産の暗躍はありそうですねぇ

投稿: クラーケン | 2013年11月 2日 (土) 23時33分

失礼しました。大正〜昭和時代に活躍したのは、島秀雄氏の父君の島安次郎氏でしたね。一説によると箱根越えのマレー3形式も物産が関与して押し込んだとか?
今だとボーイングやエアバスなどの航空機メーカーが自国の政府と手を取ってトップセールスかけるのと機関車の商談は同じだったのでしょうね。

投稿: ゆうえん・こうじ | 2013年11月 3日 (日) 01時05分

ゆうえん様
私は技術バカで、経済には全く疎いのですが、
島安次郎が関与したドイツのメーカーはどちらも関税引き上げに伴う非常に厳しい納期を守るために会社始まって以来とも言える短期間で完成させましたが、
三井物産(斯波権太郎)が関わった方はそのような話は聞かれず、しかも価格もドイツ製に比べ非常に高価になっていますね。

投稿: クラーケン | 2013年11月 3日 (日) 01時21分

そういえば例の88テンホイラーシリーズ 米国のはなぜリッチモンドに発注されてボールドウィンに発注されなかったのでしょうか?
当時の状況考えると価格や納期でもボールドウィンの方が有利だったと思います。ボールドウィンの機関車は既製部品の組合せのイージーオーダーみたいなものですからね。
こういうことを考えていると話はつきなくなっていきますね

投稿: ゆうえん・こうじ | 2013年11月 3日 (日) 11時51分

ゆうえん様
そういえば、マレーもALCOが24両に対し、BLWは18両ですねぇ、やはり三井物産の影響でしょうか?
フレイザー商会と三井物産との力関係も伺えますね。
ドイツ製の9850は島安次郎の影響も考えられますねぇ。

投稿: クラーケン | 2013年11月 3日 (日) 12時24分

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